第54話 あとがき

 第1話「はじめに」で取りあげた6人の方々、騎馬民族征服王朝説の江上波夫(元東京大学教授)、三王朝交代説の水野祐(元早稲田大学教授)、「倭人伝を読み直す」を書いた森浩一(元同志社大学教授)、「邪馬台国の言語」を書いた言語学者の長田夏樹(元神戸市外国語大学教授)、さらに学者ではないが古代史に造詣が深く「古代史疑」を書いた松本清張、「この国のかたち」を書いた司馬遼太郎、これらの方々に共通するのは魏志倭人伝にせよ、記紀にせよ、その字ずらを読むのではなく、その時代背景や事件・事績の動機となったものをしっかり理解し把握したうえで、執筆していることである。そこには各人の歴史観と哲学がある。だから、物事を俯瞰してみることができる。それぞれの古文献には、その著作目的があり、その著者や編者の主観も入り込んでいる。そこには著者や編者の偏見や錯覚、さらには意図的な誇張や潤色もあるはずである。それらも含めて分析し、解説してくれる著者が求められているのは、いつの時代でも同じである。この6人の方々が本物であるといったのは、そういう意味も含まれる。


 江上波夫えがみなみおは「日本民族の源流」の序で、“近年は学問の専門分化が著しく進み、それがかえって視野を狭くしている傾向がみられる。かんなで削ることにかけては誰にも負けない、ということだけでは単なる職人芸であって、大きな建物をつくることはできない。それと同じことで、学問においてもできるだけ広く知り、広く考えることが大きな構想に結びつく”、と述べている。「かんなで削ること」それ自体は立派なことであるが、歴史の本質を見極めて描くには、それだけでは足りないといっているのだ。北方アジア史から日本民族の源流をみるという比較文化史的な視点を日本古代史に導入した業績は大きい。その後70年近く経って、かんなで削るだけの人は多くいるが、江上を超えるような幅広い知識と視野に基づく壮大な構想力を持った歴史家は出ていないようだ。 


 考古学者の森浩一もりこういちは、その晩年に「記紀の考古学」、「日本神話の考古学」、「倭人伝を読みなおす」などを書いている。本人が早熟だったと言っているように、高校生の頃には記紀を読み、遺跡の発掘の手伝いもしている。また、本人は考古学だけではなく、記紀をはじめとして古代中国の古文献も読みこなし、文献史学を含めて古代学であり、自らを古代学者としている。戦後すぐの若い頃から遺跡を巡り、発掘に従事し、文献との整合性を確かめ、また一流の言語学者や、地方の郷土歴史家・考古学者の学説にも真摯に向き合い、その深い学識と実地調査に基づいた学説は多くの一般の人びとを納得させてきた。私もその一人である。考古学だけとか、文献学だけにとらわれ、自分の専門分野だけを拠り所にして、歴史上重要な出来事を結論づけて、それを強弁するといった視野の狭い学者には強い警告を発していることも、多くの人の共感を得ている。“現在の古代史研究者たちは国とか県とか市町村に支えられすぎていて、知的興奮もなく、ただ仕事として行う発掘は、単なる実験とその結果の報告にすぎず、新しい着想は出にくい”、とまで言っている。 


 水野祐みずのゆうによれば、神話や伝説は考古学の遺跡・遺物と同等以上に貴重な古代史研究上の材料であるが、歴史学の研究は、単に文字による史料のみに依存するばかりでは、正しい研究はできない。人類学や社会学、考古学や民俗学、心理学や言語学などの諸科学の成果に立脚した史料の正当な解釈こそが歴史学の正しいあり方だという。この姿勢はあたりまえのことであるが、昨今の書店に並ぶ歴史本の大半は、古文献の言葉の解釈や考古学資料の一部を拡大解釈して大仰な表現で人目を引くような内容である。江上波夫・水野祐・森浩一のような一流の歴史学者は、広い視野を持って史料批判を行い、謙虚ではあるが時に大胆な仮説を提供してくれる。だからこそ、説得力がある。


 松本清張まつもとせいちょうは偉大な推理作家だけあって、魏志倭人伝にしても記紀にしても自分が作者や編者になった気持ちでその内容を理解しようとしている。作者や編者は可能な限り多くの資料を集め、疑問に思ったところは、その専門家に相談しながら記述したはずである。それは現代でも変わりはない。しかし、古代にあっては、その情報量は限られていたであろうし、疑問に思う内容を確認する作業は非常に難しかったと推測できる。したがって、思い違いや混乱などが当然のようにある。そこで、作者や編者の思い違いや混乱などを見極める力が必要となる。自分がその当時の作者や編者になった気持ちで読むこと。松本清張はそれが真実にせまる方法だと確信しているようだ。 


 言語学者の長田夏樹おさだなつきは東京外語大学蒙古学部を卒業後、満鉄の子会社華北交通に入社し、1944年には北京の北西170キロにある蒙古文化研究所に転職し、モンゴル人の遊牧生活を経験しながら、モンゴル・トルコ(チュルク)・ツングースといったアルタイ文化を研究していた。それは日本国家の成り立ちを考えることでもあった。終戦後、神戸市外国語大学で中国語を教えながら、日本語・朝鮮語を含めたアルタイ諸語の言語研究のため中国音韻学を研究した。その言語経験と知識と情熱から生み出された古代日本に対する分析には鋭いものがある。このような言語学者は現代にはもう出てこないかもしれないと思わせる。


 司馬遼太郎しばりょうたろうの「この国のかたち」や「街道を行く」シリーズ、数多くの随筆などを読むと、日本の風土や歴史上の人物に対する深い知識と愛情が感じられる。そして真摯に現在の日本人を直視し、その源流や本質を見ようとしていることにたいして、多くの読者は共感していると思う。しかし、今の日本人の島国根性については、“日本人はこの島国に一つの民族として何千年も住み、相互に影響し合って個が成立しにくいほどに似てしまい、日常的にも歴史的にも相互に監視し合い、相互に心理的記号のような、相互にのみ通用するようなササヤキとしての、日常語を使い、ついには集団として特殊化して、異郷や普遍的世界に踏み出しにくくなっている。それがわれわれ戦後日本人が濃厚にもっている厭ったらしさにつながっている”、と辛口である。最近の記紀ブームは、戦後70年を超え、人びとに落ち着きと余裕が出来て、自分たちを形作ったものは何かを知りたいという純粋な欲求かもしれない。司馬遼太郎の歴史に対する姿勢は我々にそのお手本を提供してくれる。


 以上の6名の方々に加えて、「邪馬台国と稲荷山刀銘」を書いた古代史学者田中卓たなかたかし(元皇學館大學長)、「葬られた王朝」を書いた哲学者ではあるがその鋭い歴史分析で著名な梅原猛うめはらたけし(国際日本文化研究センター初代所長)、「日本民族=文化の源流と日本国家の形成」を書いた民俗学者岡正雄おかまさお(元東京都立大学教授)、「日本神話」「渡来の古代史」を書いた神話と渡来人の大家であり、神社の宮司でもある上田正昭うえだまさあき(元京都大学教授)、「古代を語る」シリーズを書いた直木孝次郎なおきこうじろう(大阪市立大学名誉教授)、「東アジア民族史」を編集した朝鮮古代史の井上秀雄いのうえひでお(元東北大学教授)、独文学者でありながら「偽られた大王の系譜」を書いた鈴木武樹すずきたけじゅ(元明治大学教授)、これら諸氏の日本列島・朝鮮半島を含む東アジア全体で物事を考える歴史観に基づいた著作にも感銘を受けた。これらの方々は、鈴木武樹を除いて、大正生まれかその前後である。大正デモクラシーから世界大恐慌、そして太平洋戦争を経験された年代の方々であり、戦前の言論統制、戦後の言論の自由の時代を生きてきた方々でもある。時代がこのような人たちを生んだのかどうかはわからないが、これらの人たちを超えるような知識と感性と情熱をもった人が、今日の古代史家になかなか出てこないのは至極残念に思う。


 また、「気候と文明の盛衰」の安田喜憲やすだよしのり(国際日本文化センター教授)、「縄文人の生活世界」の安斎正人あんざいまさひと(東北芸術工科大学教授)、「イネの歴史」の佐藤洋一郎さとうよういちろう(総合地球環境研究所教授)、「古代国家成立過程と鉄器生産」の村上恭通むらかみやすゆき(愛媛大学教授)、「北東アジアの中の日本」の西谷正にしたにただし(元九州大学教授)、「東アジアの動乱と倭国」の森公章もりきみゆき(東洋大学教授)、「古墳の古代史」の森下章司もりしたしょうじ(大手前大学教授)、「墓制から見た朝鮮三国と倭」の土生田純之はぶたよしゆき(専修大学教授)、「古代の日本と加耶」の田中俊明たなかとしあき(滋賀県立大学教授)、さらに「中国の歴史:三国志の世界」の金文京きんぶんきょう(京都大学教授)、「古代朝鮮:三国統一戦争史」の盧泰敦のてどん(ソウル大教授)などの諸氏をはじめ、ここに書ききれない方々のその専門分野における優れた研究により日本古代史の流れをより良く理解することができた。


 最後に、数百冊の書籍や雑誌を読みながらメモを取ったため、メモの上にメモを重ねることになってしまい、文章の中にはどの書籍や雑誌から取ったものかわからなくなったものがある。したがって、本文の中には著者名をあげていないものが生じてしまった。まことに勝手ながら主要参考引用文献をもって引用先とさせていただくことをご容赦くださるようお願い申し上げます。

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