第53話 エピローグ

 一般的な文明・文化論では、高度に発達した文明・文化を持つ先進地域から遠く離れた地域において、自立的に新しい文明・文化を起こした例はない。現在の西欧文化にしても、その文明化のきっかけはローマ帝国によるガリア(現在のフランス)、ライン川やドナウ川の北方のゲルマン人地域(現在のオーストリア・ドイツ)、さらにブリテン島(現在のイギリス)への遠征と支配によるものであった。エジプト文明やギリシャ文明、そしてインダス文明にしても人類最初の文明といわれるメソポタミア文明の強い影響を受けている。そこには人の移動が常に伴っていた。

 日本列島においても例外ではない。縄文文化を最初にもたらしたのは、北方のバイカル湖周辺から細石刃さいせきじんをたずさえてサハリン(樺太)経由で日本列島に住み着いた人びとであり、少し遅れて対馬海峡を渡って細石刃と土器を持った人びとも九州へ入ってきている。その次の弥生文化をもたらしたのは、中国江南からイネの適地を求めて渡来してきた人びとである。危険を冒してまで移住するにはさまざまな理由がったはずである。気候変動による飢饉、人口増加による新天地の開拓、あるいは戦乱から逃れるためであったかもしれない。もちろん、移住先では先住の人びとと新参の人びととの共生と混淆が必要となる。このような小規模な移住が繰り返され、少しずつ文明化したと思われる。その後、日本列島に支配者文化をもたらした人びとは先進文化をたずさえていた。それは真に文明と呼べるものであった。そこには、文字があり、農業・狩猟・漁業の生産力を飛躍的に高める青銅や鉄などの金属とその加工技術があった。それらが古墳時代をもたらした。日本列島において幸いしたのは、その支配者文化をもたらした人びとは、征服するために一気に来たのではなかったことである。縄文時代も弥生時代もそうであったが、幾度にもわたる重層的な渡来であり、渡来してきた人びとも比較的少人数であった。他民族からの大規模な侵略をまぬがれたという点では、日本列島は地政学的に恵まれていた。極東に位置し、海峡によって隔てられた島であり、山が多く平地が少なく、しかも雨や雪が多いためすべてが森におおわれていた。したがって、古代において大規模な侵略はほとんど不可能な土地であった。


 記紀では、太古の昔から日本人は日本列島の中で自立的に文明・文化を発展させてきたように描かれているが、人類史上そのような例はない。文明・文化が伝播するときには必ず外部からの侵略や征服、あるいは移住が伴っている。問題はそれが急激で、しかも大量の殺戮を伴うかどうかである。古代・中世の中近東やヨーロッパそして中央アジア、近世の南北アメリカ大陸をみてほしい。そこには凄惨な状況が存在した。しかし、日本列島はそうではなかった。地政学的に有利ではあったが、渡来してきた支配者も、支配される側の被支配者も、できるだけ穏便に済ませようとした形跡がある。記紀が書かれた7世紀後葉から8世紀初頭は、倭人が朝鮮半島から追い出され、強大な唐の侵略に脅えていた時代である。背水の陣をしいて、速やかに中央集権の律令国家を作らなければならなかった。だからこそ、日本書紀には4世紀ごろから日本はヤマト王権により一つの国家として発展してきたかのように書かれたのである。その7世紀後葉から8世紀初頭は外部からの侵略に脅えるという日本の長い歴史のなかでも特殊な時期であった。このような外からの脅威の時代はさらに二度あった。蒙古襲来と明治維新である。蒙古襲来のときは鎌倉武士と北部九州の海人あまが活躍し、さらに台風のおかげもあり蒙古軍を撃退できた。明治維新のときは天皇親政という皇親政治を利用して西洋列強による侵略を未然に防いだ。


 司馬遼太郎と鈴木武樹は日本古代史をテーマとした多くの対談を行っている。その中には戦後30年以上を経てもなお皇国史観が抜けていない大学教授や考古学者も含まれている。当然、その対談はかみ合わない内容になり、再会談はもちろんされていない。民族主義的な対談相手に対して司馬遼太郎は、その後、多くを語っていないが、鈴木武樹はその理由として次の四つをあげて、これらが今も残っている皇国史観の一番底にある願望ないしは反発のようなものだとしている。


① 日本人は単一の種族からなる単一民族で、太古からその中心には天皇家ないしは大和朝廷があったと信じたい。

② 大和朝廷の成立をなるべく古くもっていきたいという願望がある。

③ 日本書紀に書いてあることをなるべく信じたいという願望がある。

④ 大和朝廷の支配階級はその出自を朝鮮半島に持つのではないかと疑ってみることにすら反感を抱く。 


 また、鈴木武樹は、“これまでの日本古代史は、人間の社会と国家との発展を一つの連続としてとらえようとする姿勢はなく、6世紀の前葉以前には存在もしなかった虚構の「大和国家」と「天皇家」とに対して日本書紀が付与した様々な物語を、いかにしてつじつまが合うように説明する、学問とはどれほども関係のない推理ゲームばかりが横行してきたのである。また、「三国史記」や「三国遺事」などの朝鮮文献がまったく無視されてきたことも、これまでの日本古代史の大きな欠陥の一つである”、とも述べている。


 上田正昭は、“民族主義ではとかく主体性が強調される。だからナショナリズムになって、制約がともなう。日本の皇国史観も朝鮮のナショナリズムもイデオロギーである。イデオロギーで歴史を解釈するとそれは虚構の世界に陥る。民族が民族としての誇りをもつことは決してまちがっていない。しかしそれが普遍の原理にすり替えられるとまちがってくる。学問はイデオロギーでやってはいけない。より多くの史実に基づいて、多面的・総合的に研究する。その姿勢を崩したら歴史学はなりたたない”として、学問としての歴史学にイデオロギー的な民族主義を持込んではいけないと強く警告している。


 紹介文の中で、「自分が納得して読みたい日本古代史の本がほしいとの思いを込めて」としたのは、教科書にも一般の書店にも客観的・科学的に古文献や考古学的遺物を分析し、それらを多面的に比較・評価した古代史の本が少ないと感じ、自分が納得して読みたい本がほしいとの思いからである。“衣食住を豊かにする文化や技術は高い所から低い所へ流れるのは人類の歴史の必然である”、この言葉を忘れてはいけないと思う。


 “歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である”とイギリスの歴史家、E. H. カーが言っているように、我々は自分たちの歴史から現在の生き方を学ばなければならない。現代において、独りよがりな日本民族優位論を振りかざしても何の意味もない。かえって、自滅するだけである。それは世界の歴史がすでに証明している。

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