第48話 壬申の乱と天武
672年の「
この作戦行動において大海人皇子は、大津宮にいる自分の子の
そして、本隊は琵琶湖南岸を西南に向って
大化改新以前において有力であった大伴氏は、大化改新以後、一時右大臣になった時期もあったが、天智の近江朝では重要な地位につくことはできなかった。そのため大伴
壬申の乱は、7月22日の大津宮の陥落、ついで逃亡した大友皇子が翌日に
大海人皇子にとっては、自らの私領である
大海人皇子は戦線には出ず、
上田正昭(京都大学名誉教授)は近江側について、“大友皇子は「壬申の乱」の敗者である。日本書紀は天武の第三皇子
9月に入ってから、大海人皇子は不破を発し、9月12日に飛鳥の故京に帰り、岡本宮の南に新しく宮を造営して移り住んだ。それが
この戦いにおいて自ら三軍を統轄し戦勝した
直木孝次郎は、その時の社会情勢から「壬申の乱」を次のように分析している。
“天智は内外の情勢に押されて大豪族と妥協し、蘇我・中臣以下の強大豪族が近江朝の上層を固めるという事態を作りだした。これは、必ずしも天智が律令体制を守るために、天皇制の進行をなおざりにしたわけではないが、結果的に大豪族の勢力が伸びて、天智の死後には天皇の地位の低下を来す恐れを生じたことは否定できない。これに対して、天武は律令制完成の根本原則は受け継いでいるが、まず弱体化の危機に陥った天皇の地位を回復することを先決条件と考え、大豪族によって固められている近江朝そのものの転覆を計った。そのために、大豪族層と対立関係にあった中小豪族の力を利用したのが、「壬申の乱」であると考える。あるいは律令制または大豪族に圧迫されつつあった中小豪族層の反撥が、天武に上述の決心を固めさせたと言った方がよいかもしれない。大海人皇子があのような優勢をもって戦いを進めることができたのは、律令制的収奪に対する農民大衆の不平不満と、律令制的体制に対する在地の中小豪族層の不平不満というものを抜きにしては考えられない。大海人皇子の兵力動員がスムーズに進行したのに比べて、近江側の兵力集結が敏活に行われなかったということが、当時の農民と地方豪族の動向を示している。”
「壬申の乱」では、ほとんどの中央有力豪族は大友皇子の近江方に味方したが、大海人皇子の下には中小豪族や地方豪族が集まるだけであった。しかし、当時は地方豪族が地方支配の実権を握っており、美濃・尾張、さらに信濃・甲斐ら地方豪族たちの加勢が勝利を決定づけた。「壬申の乱」で近江方が敗北したことで、中央有力豪族の多くは昔日の権力を失った。こうした状況の中で、天武は大王の権威を強大なものとして本格的な律令国家建設に向かって大きく歩みだした。まずは、地方豪族の動きに対応して、地方豪族が下級官人に出身する道を開き、律令体制の中に取り込んでいった、天武2年に、地方豪族に対し、
[伊勢神宮]
三重県伊勢市に鎮座する。
皇祖神が大和ではなく、伊勢にある理由について直木孝次郎(大阪市立大学名誉教授)は、“雄略期または継体期に成立した最初の伊勢神宮は、天照大神の敬遠・左遷によって成立し、その後も地位は次第に低下して地方の有力神と大差のない状態になった。しかし、「壬申の乱」に際し、伊勢神宮は叛乱を起こした大海人皇子に協力し、大海人皇子が勝利を収めたことによって権威と地位を回復した”、とする。
実力で皇位についた天武・
水野祐は、“「壬申の乱」は、天武すなわち大海人皇子によって吉野において計画的に企画され主動的に決行された近江朝打倒の目的によって惹起された謀叛事件であると見るべきである。多くの悲惨な流血を伴って完遂された古代史上最大の内乱であった。その結果は天皇の武力行使による天皇権の掌握であり、天皇は
[
天武は14年間在位したが、その間一人の大臣も任命しなかった。政治にあずかる者は、天皇をおいては皇后ただ一人である、後に皇太子の
天武には十人の皇子があったが、それらの皇子すべてが腹違いの兄弟であった。また天武の甥にあたる天智の皇子たちの中の数人も自分の皇子同様に処遇していた。彼らは大友皇子側に味方しなかったようだ。679年、天皇と皇后は
天武が、「
また天武は、681年の9月に諸氏族の
684年10月、「
[
天武13年(684年)に制定された「八色の姓」は、旧来の氏姓制度を打破し、旧豪族の伝統的な勢力を一掃して、皇親政治の実をあげるための新官僚層を育成する手段として、古い姓制に因んではいるが、実質的には旧姓制を否定する巧妙な手段であった。
① 筆頭は
最も重視されたのは、天皇家ゆかりの皇親氏族への
② 第二位は
③ 第三位は
④ 第四位以下は
実際に賜姓されたのは真人・朝臣・宿禰・忌寸の上位四姓のみであり、第四位以下は賜姓の例を見ない。特に、旧来では最上位であった
森公章(東洋大教授)によれば、天智期ではまだ律令の制定、中央集権的律令国家の確立には至っていなかった。そこには672年の「壬申の乱」で近江朝を支持した旧来の豪族が没落し、万葉集に「
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