第42話 任那復興会議と仏教公伝
540年に倭王権が一本化され、欽明が正式に即位したとき、南部加耶地域における
[
1回目は541年4月に百済の聖明王(在位:523年~554年)が主催者となり百済で開催された。参加国は北部加耶の大加耶とその周辺の小国、南部加耶の
2回目は544年11月に開催され、前回とほぼ同じ顔ぶれであった。聖明王は、531年以来新羅が占拠する久礼山の五城を攻略して
このような状況下において、548年に高句麗は
[倭人と加耶人との混血児、
日本書紀の継体24年(530年)9月条には、倭人と任那人との間にできた子供の所属をめぐり、両者の争いが絶えないことが記されている。当時、子供は父方と母方の双方に属すると観念されていた。継体期の記事には、加耶にあって吉備の父と加耶の母を持つ
任那日本府とは何か? それは8世紀の日本書紀の編者が、6世紀の南部加耶の
日本書紀が日本府の関係者として描く人びとは、倭王権にだけ臣従した人びとではなかった。安羅国の
[倭系百済官人]
日本書紀欽明2年(541年)7月条によると、安羅国と倭国へ使者を派遣している。その一行に「
森公章(東洋大学教授)は、“任那復興は
上田正昭(京都大学名誉教授)は、“儒教の専門学者である五経博士
[仏教公伝]
仏教公伝の時期について、日本書紀は欽明13年(552年)、「
日本書紀によると、欽明13年(552年)10月、百済の聖明王が使者を遣わして、釈迦金銅像・
12世紀の「
仏教公伝の背景には、高句麗・新羅からの圧迫が続く百済にとって、倭国との同盟関係を強化するという狙いがあった。こうした百済との外交関係を通じて、百済と関係が深い中国南朝の先進的な文化・技術が倭国に流入してきた。仏教公伝を機に、崇仏をめぐって物部
欽明とそれに続く敏達(在位:572年~585年)は
欽明期の国内における最大の出来事は仏教の伝来である。上田正昭は、仏教の受容をめぐる論争ないし対立について、“仏教伝来の際、高句麗・百済にあっては、仏教の受容をめぐる論争ないし対立が勃発した形跡はないが、新羅においては奉仏・排仏のきびしい抗争のあったことを三国史記の新羅本紀は記している。それは、高句麗は355年に、百済は372年にすでに中国王朝の冊封体制に入っていたが、新羅が冊封体制に入ったのは565年であり、冊封体制下になかったことが、中央貴族層が仏教拒否の態度を示すことができた大きな要因とみなされる。倭国の宮廷にあっては、新羅と同じように、崇物・排仏の論争が起こっている。5世紀の倭の五王の時代には中国南朝の冊封体制に組み入れられていたが、6世紀には組み入れられていなかった。もう一つ、新羅の場合は中国からの直接の仏教受容でなく高句麗からであり、倭国の場合も百済からであったこともあわせて留意する必要がある”、と述べている。
[
神功皇后以下5代の大王に仕えたとされる武内宿禰を祖とする豪族連合、
かつて、大王家とも目される巨大な豪族連合の筆頭は
また、蘇我稲目を外祖父とする用明以後の天皇陵が方墳となり、前方後円墳の陵墓が敏達のころをもって終わりを告げるのも、渡来文化の受容に努めた蘇我氏の動向と興味深い脈絡を示す。方墳の墓制は、馬子の墓と伝えられる53メートルx68メートルの巨大な方墳(飛鳥の石舞台古墳)にも典型的にみいだされる。
古代東アジアにおいて、漢訳仏教や儒教の伝播と漢字文化の広まりは分かちがたく結びついていた。特に日本における宗教文化は仏教や儒教などが渾然一体となって受容されていったと思われる。5世紀後葉の雄略期の文字文化に続く、文字文化の第二の波は6世紀の仏教伝来であった。仏教の教えを伝えるために漢字はなくてはならない存在であり、また仏教とともに天文・建築・製紙・工芸など様々な科学技術が百済や高句麗・新羅といった朝鮮半島の国々から伝えられた。東アジアにおける仏教は、土着の人生観や世界観、あるいは既存の慣習的な思考や感性にとって理解しがたいところのある異文明である。それは遥か遠くまで流伝と求法を繰り返す非土着的な性格を持つがゆえに、汎アジア的に固有の定着をみせ、世界文明の一翼を担うことになる。
高句麗に仏教が中国北朝の前秦から伝来したのは、三国史記の高句麗本紀に、372年6月、前秦が僧
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