第38話 皇系氏族集団による国家体制の整備とヤマト王権の成立
ニニギノミコトは
6世紀から7世紀前半までの時期には、古代国家の骨格の形成が著しく進展した。畿内の倭王権は、5世紀末ごろから整えられはじめて6世紀初頭の継体期に成立した「
6世紀に国家の体制が整ってきたことは、次の点によく現れている。初期の国家体制は、507年の継体(在位:507年~531年)の即位から、安閑(在位:534年~535年)、宣化(在位:536年~539年)、そして欽明(在位:540年~571年)に至る四人の大王の時代に整ったと考えられる。水野祐は継体による新王権を「統一王朝」と名付けた。それは奈良盆地の大和に本拠を置く「ヤマト王権」と言える。
・5世紀に成立した
・部民制に伴う
・ヤマト王権の地方支配制度である
・ヤマト王権直轄地として各地に
・大王家の財産を管理する
・百済から五経博士が渡来し儒教が伝わり、仏像・経典とともに仏教ももたらされ、帝紀・旧辞も結集された。
直木孝次郎は、「古代国家の形成と皇別氏族の成立」の中で、“
さらに、“有力な
[
当時の王権の支配体制は、5世紀末ごろから整えられはじめた
[
部民制とは中央・地方の豪族が領有する民衆を率いて王権に従属し、各種の奉仕義務を負う体制である。この体制には豪族と民衆が一体となった集団が王権に対して
[
継体の即位を契機に成立したヤマト王権の地方支配制度である。国造は倭王権の地方官で、国造制は王権の地方支配の根幹である。地方の有力な豪族が任命され、一定の領域の民衆と土地を支配し、そこから外征のための兵士や中央の造営のための
[
篠川賢(成城大学教授)によれば、
[東国の征服]
水野祐によれば、北関東の荒川以北の
もう一つ、6世紀における鉄器生産の観点からみても、その国家形成の発展ぶりがよくわかる。
[継体期から欽明期(507年~571年)のころの鉄器生産]
村上恭通(愛媛大学教授)によると、古墳時代後期(5世紀末~6世紀末)になると、畿内および地方における鉄素材量の消費が増大するなか、精錬鍛冶を主として行い、鉄素材を多量に生産する鍛冶遺跡が登場する。大阪府柏原市の
このことからは、継体による磐井の乱(527年)の鎮圧と新羅による金官加耶の併合(532年)は鉄素材の継続的な入手を目的とした争いという側面を持っていたと推測できる。
ヤマト王権に奉仕する
このような国内外における多くの困難に直面しながらも、500年ごろの
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