第36話 越王ヲホド(後の継体)の登場と新王権
ヲホドが擁立される前に、丹波桑田郡(今の亀岡市)にいた
日本書紀では、河内王権は武烈で血統が絶えたので、越前
記紀によれば、
第26代
第27代
第28代
三王朝交代説の水野祐は次のように述べている。
“越前の地域と朝鮮半島南部との関係は、崇神期の
ヲホド(継体)は、近江の
ヲホド(継体)はもともと
ヲホド(継体)は507年に
上田正昭(京都大学名誉教授)は、ヲホド(継体)がなぜ河内の
“河内に基盤を有する大伴氏らが擁立し、
さらに、“ヲホド(継体)の樟葉宮の即位で見逃せないのは、日本書紀が「鏡剣の
鈴木靖民(国学院大学教授)は、“継体の即位は前代の血統を受けることなく、異系統の地方首長による新たな王位継承である。継体は記紀に応神の五世の孫と記されるが、応神の系譜や血縁に関係あるとする確証はない。おそらく、倭王
[
息長氏は近江を本貫として、そこから北陸方面にかけての地域に広範に分布していた豪族である。若狭湾から琵琶湖周辺、一方では越の国方面に分布した息長氏は日本海の航海を通じて新羅と結びつく漁労・航海民であり、新羅系渡来氏族との混淆も行なわれ、また製鉄文化・日本海の塩の文化も掌握した有力な氏族であった。「息長」または「気長」と書かれる。
5世紀の倭国は、
日本書紀の継体紀には、「百済王
471年:
日本書紀に、
475年:
百済では、371年からの都である
479年:
加耶では、479年に加羅国王「
487年:
489年:
雄略が崩御。
500年:
500年ごろ:
大伴金村が継体を倭王に擁立。
501年:
百済では、武寧王(在位501年~523年)が即位。武寧王は日本書紀にも登場し、筑紫で誕生している。古墳からは中国南朝の影響を受けた副葬品の数々とともに、
502年:
中国南朝の
505年:
日本書紀に、
507年:
継体が即位。
510年:
512年:
倭王権は任那四県(
516年:
百済が加耶地域へさらに進出。
521年:
長らく高句麗の属民であった新羅は521年に南朝に朝貢したのを皮切りに、倭国や高句麗と同様に中国の冊封国になった。
524年:
新羅は大加耶(
527年:
倭国では、筑紫国造
529年:
3月、
531年:
日本書紀「百済本紀」に、「日本(倭国)では天皇(継体)・太子・皇子がともに死没する」、と記される。
532年:
金官国(金官加耶)の国王が王妃や王子を伴って新羅に降りた。これにより、金官国(金官加耶)は新羅に併合された。
502年に中国南朝の
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