第35話 銅鏡
古代の鏡はオリエントを起源とする
基本的に中国では鏡は化粧道具である。化粧箱に収められた出土例も多くある。しかし、文様として神仙など信仰対象を好んで表しているし、銘文の中には子孫繁栄や富を得られるといったような吉祥句が多くあるので、信仰的・呪術的な意味もあった。倭では呪術性が拡大されて、支配者の象徴的な器物となり、政治的な配布物ともなった。朝鮮半島南部でも前漢鏡が出土するが数は少ない。倭における鏡の特殊な意義は北部九州で発達し、2世紀後半から西日本各地に普及し始めた。
[後漢時代(紀元後25年~220年)の中国鏡]
後漢後半では、華北の徐州(山東省の西南部から江蘇省の北部)・四川・江南(江蘇省南部の蘇州と浙江省の紹興)に主要な生産地があった。
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2世紀後半から3世紀初め、「倭国乱」からその終息期にかけて時期、それはまた公孫氏の時代でもあるが、徐州系の鏡が楽浪郡経由で大量に流入している。それは楽浪郡や倭の各地でも数多く出土している。代表的なものは上方作系
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後漢時代の三段式神仙鏡は四川省と
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代表的なものは画像鏡と神獣鏡である。これらの鏡は江南では多数出土するが、中国の他地域ではほとんど見られない。ところが、少数ながら、倭の神戸市の夢野丸山古墳と京都木津川の
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中国では後漢時代の製品から大きく変貌し、粗悪品が多くなり、倭の鏡作りとの逆転が進行した。倭が前方後円墳の時代へ移行する時期に銅鏡生産や流通に大きな変化が生じていた。
<魏晋鏡>
3世紀中頃以降の青龍三年という魏の年号が入った
<呉の紀年銘鏡>
銘帯対置式神獣鏡で、江南にしか分布しないのに、数は少ないが、倭でも出土する。山梨県市川三郷町の
日本列島では、縄文時代にはまだ金属製の鏡が大陸から伝わった気配はない。弥生時代になって最初に出現したのは、漢式鏡(中国鏡)ではなく、弥生中期前半(BC2世紀~BC1世紀前半)に朝鮮半島を中心に一部は中国の遼寧省や沿海州など東北アジアに広がった
中国鏡が大量にもたらされるのは、多鈕細文鏡流行より50年か100年ほど後のことで、弥生中期後半(BC1世紀後半~1世紀)の出来事であり、楽浪郡を介して華北とのつながりができたからである。中国鏡を見る場合、華北は直径12~14センチぐらいの中型鏡で平縁の主に化粧具、江南は直径18センチ以上の大型鏡で三角縁である。
BC1世紀以降、倭には驚くべき量の多種多様な銅鏡がもたらされた。銅鏡重視の風習は古墳時代の終末に至るまで500年以上にわたって続いた。楽浪郡を主な経由地とした中国鏡の流入は継続され、2世紀後半~3世紀にかけては、中国の徐州で製作された銅鏡が大量に輸入される。徐州は山東省南西部から江蘇省北部にあたる地域で、後漢代の銅鏡生産の中心地のひとつであった。少数ではあるが、四川の鏡が楽浪漢墓と倭で出土している。倭では丹後や但馬など日本海側に出土例が目立つ。ガラス小玉と同様、これらの地域の有力者が海洋交易を通じて直接入手したと推定される。2世紀に江南で作られた画像鏡は倭では丹後の岩滝丸山古墳から一例が出土しているのみである。これも中国南方から直接流入したと考えざるを得ない。
1世紀の中国の江南の人
東アジア全域を見渡しても、日本列島ほど銅鏡を愛用した土地はない。銅鏡愛好の風習とは王や豪族の死にさいして墓に複数の銅鏡を副葬することである。墓に化粧道具として銅鏡を一面か二面だけ副葬することは中国や朝鮮半島でも広く行われていた。ところが、倭地では伊都国や奴国での墳墓のように一人の墓に十数面から四十面の銅鏡を埋納している。このような仕来りは愛好というより死後の世界観にからんだ信仰がそうさせたのである。4世紀になって近畿地方を中心として大きな前方後円墳が造営され始めると、銅鏡の多数埋納は中国の不老不死の信仰(神仙信仰)の影響をうけて、神獣鏡とよばれる日本列島特有の大型の銅鏡を大量生産するようになった。これらの銅鏡の源流は中国の江南の
4世紀~7世紀の、朝鮮三国時代における鏡の副葬は極めて稀で、百済の
銅鏡の誕生から中国・朝鮮半島における状況を見たところで、日本列島における銅鏡の変遷を見てみる。
弥生時代後期前半(2世紀):
弥生時代に誕生した小銅鏡は倭人が作り始めた最初の鏡であるが、その起源については朝鮮半島と北部九州と見解が分かれている。一般的には、楽浪郡からの後漢鏡流入が減少し、日本列島内での銅鏡需要が増加するという状況で、その不足を補うため、後漢鏡を模倣し同じ鋳型で鋳造した小型
邪馬台国時代(3世紀):
景初三年(239年)の朝貢の返礼として、魏の皇帝から卑弥呼に送られた「銅鏡百枚」はどのような鏡だったのか? それについて100年前から論争が続いているが、現在それは
森浩一は、“徐苹芳の「三国・両晋・南北朝時代の銅鏡」によれば、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡・
古墳時代前期(3世紀後葉~4世紀後葉):
弥生時代では鏡の墓への埋納は北部九州に限られている。この鏡を墓へ埋納する弥生時代の北部九州に見られる風習が、古墳時代前期になると近畿地方に現れる。特に三角縁神獣鏡は前方後円墳の築造に伴い大量に副葬され、その分布の中心は畿内にある。
3世紀の初めの204年、公孫氏により帯方郡が設立され、韓と倭はそれに属するようになるが、銅鏡の流入に影響を与えた様子はない。しかし、3世紀中頃の卑弥呼の魏への朝貢前後の時期、中国の銅鏡生産に大きな変化があった。漢代に成立した生産系統の多くが姿を消し、魏と呉でそれぞれ特色を持った生産系統が成立した。三角縁神獣鏡の製品あるいは製作工人の倭国への流入もこの時期に発生している。このことは、朝貢以外でも魏の地域との交流があったことを表わしている。三角縁神獣鏡が大和の三輪王権により各地に配布されたことはもはや異論の余地はない。古墳時代前期前半(3世紀後葉~4世紀前葉)の天理市の黒塚や桜井市の桜井茶臼山古墳での大量の三角縁神獣鏡の出土は大和に配布者が登場したことを示している。
古墳時代中期(4世紀後葉~5世紀後葉):
古墳へ大量に銅鏡を埋納するのは古墳前期に集中しており、河内の地に
古墳時代後期(5世紀後葉~7世紀前葉):
6世紀の初頭を過ぎると、乗馬の風習や金銀装身具の使用が急速に始まる古墳後期には10面をこすような銅鏡の大量埋納はなくなり、銅鏡を副葬する古墳も少なく、奈良県橿原市の新沢千塚では発掘の対象となった140基の古墳の中、銅鏡副葬例は9基であり、その中には前期古墳をあって、後期に限ると、銅鏡を副葬する割合は20基に1基ほどになる。
次にあげる銅鏡は、倭国で珍重された鏡である。
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後漢の初め、1世紀初頭の鏡。古墳時代直前の弥生時代終末(3世紀中葉)に後漢鏡を入手できるのは伊都国しかなく、邪馬台国の卑弥呼時代に配布される鏡は、方格規矩四神鏡か内行花文鏡しかない。したがって、これらの鏡は特別扱いされて頭部付近に副葬される。伊都国の平原遺跡出土の方格規矩四神鏡の製作時期は後漢末の200年ごろと推定される。四神とは、北が玄武(蛇は亀を巻いている)、南は朱雀、東は青龍、西は白虎、である。
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後漢の1世紀後半の鏡。伊都国の
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画文帯神獣鏡は後漢末(3世紀初頭)以降の鏡である。画文帯神獣鏡は弥生時代遺跡からは出土せず、古墳時代になってから出土する。奈良県北葛城郡の
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中国において三角縁神獣鏡は3世紀以降の鏡である。日本では4世紀初頭に出現する。三角縁神獣鏡は前方後円墳への飛躍とともに大量に副葬され、畿内に分布の中心がある。それは中国の工人が製作したものであり、文様・銘文・製作技法は中国鏡の系統をひく。生産系統としては魏鏡ときわめて関係が深い。鈕孔形態や文様・銘文の細部の特徴が魏の紀年鏡と一致する。また、中国の徐州の鏡の図像や銘文も継承している。こうした中国鏡の特徴を備えているにもかかわらず、中国では発掘例がない。したがって、中国の工人が倭へ渡来して製作したと考える説が有力である。しかも、同時期の朝鮮半島南部を越えて到来していることも重要である。三角縁神獣鏡には同笵品や同型品が多数あり、石製の宝器・鉄製武具などと共に大和の王権から各地に配布されたと考えられている。その見返りは、その地域の首長が大和の王権に服属することであった。また、その数量には明確な格差があった。三角縁神獣鏡は威信財の典型例といえる。
三角縁神獣鏡は既に日本国内で560面の存在が知られており、出土数は増え続けている。主として背面の縁の断面が三角形に盛り上がり、内側に神仙や神獣が半肉彫りで描かれた鏡である。卑弥呼が魏から景初三年(239年)に
中国社会科学院考古研究所所長の王仲殊は三角縁神獣鏡について、中国で鋳造されたものではなく、280年に呉が魏により滅ぼされた後、呉の地である会稽・蘇州から渡来した鏡作り師が、呉で作られていた平縁神獣鏡の内区と三角縁画像鏡の外区を合わせて作ったのが、倭国にだけ出土する三角縁神獣鏡であると述べている。後漢にしても魏晋にしても、鏡は官営工場で鋳造するものであって、外国のある一国のために特別に鋳造するようなことは絶対にないとも述べている。また、森浩一も、三角縁神獣鏡は出土したとき鋳物土がついている状態なので、日本製と断言している。さらに、藤本昇(化学者)による鉛同位体比の分析によると、三角縁神獣鏡には神岡鉱山の鉛が使われ、すべて日本製であることが証明されている。鉛は質量の異なる四種類の同位体で成り立っており、この四つの同位体の混合比率を鉛同位体比という。これらのことから三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡ではない。
初期ヤマト王権(三輪王権)の基盤が存在した奈良盆地の東南部の「
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