第27話 倭の五王と巨大古墳
413年に「倭王」が南朝の東晋に遣使した「晋書」の記載は、
宋書に記載された倭の五王とは、
記紀によれば、
第17代
第18代
第19代
第20代
第21代
河内王権は巨大古墳を造営したことに特色があるが、今の天皇陵は明治初年に指定され、宮内庁によって管理されている。天皇陵古墳を終生の研究テーマとしていた森浩一は、“巨大古墳とは、その多くが天皇陵古墳になっていて、我々が一歩たりとも墳丘に入って観察することが許されない皇室の私的な陵墓なのである。さらに、天皇陵古墳の研究は一般人が行えるものではない。また、天皇陵古墳の被葬者の割り出しは必ずしも的確とはいえない。間違っているとしか言えないものも少なくはないし、そうでない場合も宮内庁の
発掘どころか、墳丘の様子を目で観察することすらできない天皇陵古墳の割り出しの難しさのなかで、過去の盗掘の記録に頼って、その年代を推定したのが、日本列島最大の古墳、
“明治5年(1872年)、堺県令で元薩摩藩士だった税所篤が、大山古墳が鳥の巣となり、糞でよごれているので、その清掃を口実に発掘している。そのときの様子を伝える旧堺の岡村家文書がある。そこには石室の平面図と石棺の断面図、それと石室の位置を示す墳丘の断面図と甲冑や
しかし、これらの限られた遺物からだけでも、その造営年代は5世紀末あるいはそれ以降と推定できるという。
この一例をみても、陵墓指定墓や陵墓参考地を調査できない考古学者の苛立ちがよく分かる。したがって、記紀の記述に頼るしかないが、その記紀は7世紀初頭の成立であり、記紀のもとになった「帝紀」「旧辞」は、古くても5世紀後半の雄略期をさかのぼることは困難であり、おそらく6世紀中葉の欽明期に日本書紀につながる帝紀(大王の系譜)や旧辞(物語や歌謡)が取りまとめられ始めたと考えられている。河内王権の巨大古墳の時代は4世紀初頭から4世紀後葉までである。文字による記録がまだ存在していなかった4世紀のことを、記紀が正しく記載しているとは考え難い。
第22話「景行一族による北部九州から近畿への東征」で、代表的な前期古墳(3世紀後葉~4世紀後葉)と中期古墳(4世紀後葉~5世紀後葉)を見てきたが、前期古墳は主に崇神の三輪王権の墳墓であり、中期古墳は主に応神と仁徳の河内王権の墳墓である。
前にも述べたが、古代の河内は今の大阪府全体に兵庫県の神戸や西宮など大阪湾沿岸部を加えた地域に相当する。また、当時は河内湖と呼ばれる大きな湖が難波から生駒山地のふもとまで達していた。河内王権の巨大墳墓はその河内のほぼ中央に位置する
森浩一は、河内王権の大王の墓について、築造年代順は、
一方、直木孝次郎は、“河内の巨大古墳の築造順序は、
このように、森・直木という古代史の大家でさえ、意見が分かれているが、ここでは天皇陵古墳を終生の研究テーマとしていた森浩一の説をとることにする。森浩一は大王の墓を次のように推定している。
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古市古墳群の
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仁徳陵が石津原にあったとする伝承から、百舌鳥古墳群の上石津ミサンザイ古墳(365メートル:(伝)履中陵)が仁徳陵の有力候補となる。その陪塚の七観古墳からは、刀剣200口以上・甲冑10領以上・その他鉄
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堺市の
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反正の推定される都は、大和・難波・大津の三方向からの交通の要衝に当るところで、それは
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安康の墓は大和にあると伝えられている。奈良県の佐紀丘陵の南西に
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現在、百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間の、やや古市よりの河内大塚古墳(335メートル)が真の墓陵と考えられているが、それは6世紀後葉の第30代
さらに、森浩一は、“古市古墳群に最初にできた巨大古墳は津堂城山古墳(208メートル)である。これを造営したのは、神功東征の時に敗れた
森浩一はこのように推定しているが、これらの古墳はすべて陵墓や陵墓参考地に
[日本列島の10大前方後円墳(河内が6基、大和が2基、吉備が2基)]
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2.
3.上石津ミサンザイ古墳(365メートル):河内の
4.
5.河内大塚古墳(335メートル):河内の
6.見瀬丸山古墳(318メートル):奈良県最大の古墳で、橿原市。中期古墳ではなく、6世紀後葉の後期古墳。
7.渋谷向山古墳(310メートル):奈良県天理市。中期古墳ではなく、4世紀中葉の前期古墳。
8.
9.
10.
5世紀には古墳の内容だけでなく、様々な文化の面でも大きな変化が現れた。5世紀は日本列島における技術革新の世紀とも呼ばれる。須恵器や鉄器などの手工業生産、金工技術、
5世紀の鉄は朝鮮半島東南部から
近畿中央部では鍛冶具を副葬した例も多く、大規模な鉄器生産遺跡も多い。例えば、大阪府柏原市
百済や加耶は、製陶や金属工芸技術などの先進技術を発展させており、4世紀末から6世紀前半にかけて、それらの製品や
畿内での4世紀の三輪王権と5世紀の河内王権の違いは古墳の副葬品にもでている。
4世紀の三輪王権の古墳からは、三角縁神獣鏡を中心にした大型銅鏡や
5世紀の河内王権の古墳からは、鏡類よりも実用的な鉄製の武器・甲冑・馬具、鉄製の農具などが多く出土し、古墳の副葬品や埋納品が激変している。さらに金製品や金色に対する愛好が急激に現れる。つまり巨大古墳の被葬者たちは、4世紀の大和の豪族とは系統を異にする軍事的な色合いが濃厚な種族であり、朝鮮半島も含めた東北アジアの騎馬文化の強烈な影響を受けていることは否定できない。
[土木技術]
古墳時代前期末(4世紀後葉)ごろに新たな古墳構築技術が出現する。長さ30センチ程度・厚さ約10センチ程度の土嚢あるいは土塊を面的ないしは列状に積み重ねる構築技術である。最古の例は4世紀末の大阪府藤井寺市津堂城山古墳の外堤・内堤である。以降、古市・百舌鳥古墳群で継続的に用いられた。また、広島県東広島市三ッ城古墳1号墳など各地で卓越する古墳時代中期の大型前方後円墳にも採用された。
古墳時代中期(4世紀後葉~5世紀後葉)以降、土嚢・土塊積み技術が古墳や各種土木構築物に採用された。古墳の墳丘斜面が急角度化するのも、こうした技術の採用にともなうものと考えられる。
古墳終末期の6世紀末には、百済の版築技術が飛鳥寺の基壇に導入された。以降、
[渡来系武装具]
古墳時代中期(4世紀後葉~5世紀後葉)古墳から出土する外来系武装具としては、鉄
朝鮮半島における代表的な武器・武具としては次のものがある。
・朝鮮半島東南部(加耶・新羅): 初期の
・朝鮮半島中西部(百済): 銀装素環頭大刀
[渡来系集団の集落や墓地]
これらの集落や墓地からは、武装具・馬具などは渡来系ではあるが、
渡来系武装具・馬具が出土した古墳時代中期(4世紀後葉~5世紀後葉)の代表的な遺跡は、大阪府の
[5世紀に活躍した
日本書紀の仁徳紀から武烈紀までの5世紀代には、九州に関する記事はほとんど出てこない。その数少ない記事に
5世紀の初頭の仁徳の時代においては阿曇一族が瀬戸内海の海運を担っていたようである。ところが仁徳が死ぬと、履中に背いた、しかし目のふちに入れ墨をされただけで許されている。この入れ墨は阿曇(安曇)一族の特徴的な風習である。これは仁徳系と履中系の対立を象徴し、履中の背後には胸形(宗像)がついていたと思われる。つまり、瀬戸内海の制海権は阿曇(安曇)に帰したとしても、沖ノ島経由の朝鮮半島航路は胸形(宗像)が握っていたと思われる。つまり、履中の時代に入ると、ヤマト王権が胸形(宗像)を配下に置いたともいえる。胸形(宗像)は朝鮮語で「水方」の意である。また、胸形(宗像)は玄界灘を通じて出雲とも結ばれていたと推測され、宗像三神は新羅系の流れをくむ神々である。一方、阿曇(安曇)一族の神々は神話のワタツミ三神であり、この三神は神功皇后紀に登場することから
ところで、4世紀後葉、神功皇后・武内宿禰によって、北部九州を中心とした倭国が畿内へ東征した後の
河内王権の仁徳による河内(大阪平野)の開拓が進展し、仁徳に続く履中と反正の時代は天下太平であったと伝えられる。しかし、イザホワケ(履中)即位の際には、
記紀では履中と反正は兄弟とある。宋書でも、倭の五王の「讃」と「珍」は兄弟であることから、履中が「讃」という説が出ている。梁書では「珍」はなく「彌」とあるが、ここでも「讃」と「彌」は兄弟となっている。一方、崩御年の干支の分析からは、「讃」は仁徳であるという説は動かないようだ。もしそうであれば、仁徳と履中は兄弟となる。記紀では履中と反正は兄弟とされるので、仁徳・履中・反正は皆兄弟ということになる。応神は複数の妃との間に多くの皇子女をもうけた(古事記には27人、日本書紀には19人)とあることを考慮すれば、仁徳と履中・反正は歳の離れた兄弟であってもおかしくはない。反正が墨江中王を殺害して叛乱を終了させて河内を支配し、大和へ逃れた履中が大和を支配したという、二人の王による並立説が事実とすれば、河内という朝鮮半島との交通の要所を押さえた反正が「珍」ということになる。次の允恭が「済」という説は確実とされているが、ここで、鈴木武樹の「葛城氏と允恭による大王位簒奪説」を取り上げてみる。
鈴木武樹は、“履中と反正は大和の
また、「宋書」では、讃と珍は兄弟、済と興とは父子とするが、珍と済との血縁関係は記していないことから、二人は血縁上の近いつながりはなかったと考え、二人を兄弟とする記紀の記載は後代の作為とする説が有力である。さらに、反正死後、允恭が即位するまで3年間の皇位空白状態が生じており、允恭は本拠地も河内から大和の
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