第18話 神武東征と当時の大和地方
2世紀から3世紀における大和地方の状況を確認する前に、まずは記紀に記されている歴代天皇の初代から第12代までを確認しておく。第12代の
記紀によれば、
初代
第2代
第3代
第4代
第5代
第6代
第7代
第8代
第9代
第10代
第11代
初代の神武は何者なのか?記紀によれば、九州に天孫降臨したニニギの曾孫にあたるワカミケヌ(神武・イワレヒコ)は大和へ東遷してヤマト王権の創建者となった。その時期は、崇神の9代前であり、後述する直木孝次郎の説をとって一代の平均在位年を12年と仮定すれば、崇神の時代の110年ほど前である。崇神の崩御年を318年とすれば神武の崩御年は紀元後210年ごろとなり、倭国乱(146年~189年)終結後の20年ほど後となる。その活躍時期は180年~210年とみるのが妥当と思われる。
1~3世紀にかけての時代は、倭人の各地域では様々な物品の交流が活発化する。それまでは北部九州が中心であった漢の器物も、そうした地域間ネットワークを通じ、西日本の各地、近畿地方、そして東国の世界へと広まっていった。こうした交流において、新たに成長した各地の大規模集落が拠点となった。北部九州では、博多湾沿岸の
では、初代
近畿地方の弥生中期(BC2世紀~1世紀)までの拠点集落は弥生後期(2世紀~3世紀)に入ると存続しないものが多い。河内の
ここで確認しておくが、古代の
大和の
大阪平野の
[青銅器文化]
日本列島における本格的な青銅器文化は、弥生中期初頭(BC2世紀初頭)に始まった。北部九州では弥生中期初頭に朝鮮半島から武器型青銅器を受容した。銅鐸は当初から祭器として登場した。銅鐸は北部九州の武器型青銅器とは異なる祭器を求めた山陰から北陸・近畿、そして東海に及ぶ広域に広がった。この二つの潮流は青銅器出現当初から形成された。青銅器は鎔かした金属を鋳型に流し込んで作る鋳造品で、鋳型には石製と土製の2種類がある。遺跡からは石製鋳型と、粘土で鋳型の形を作って焼き上げた土製の鋳型外枠が出土する。銅鐸の鋳型は石製から土製鋳型外枠へと変化していく。近畿地方は当初から祭祀としての銅鐸、北部九州地方では銅剣・銅矛・銅鏡を青銅器祭器として尊重した。しかし、南九州に青銅器はほとんど存在しない。南九州は青銅の神を仰ぐことのない独自の弥生文化であった。
倭国乱(146年~189年、あるいは178年~184年)の時代に、瀬戸内地方や近畿地方の地域共同体が使用していた銅矛・銅鐸などの青銅祭器が消滅して、西日本は北部九州で尊重された銅鏡を最高の威信財とする体制となった。それを裏付けるように、鏡を副葬する風習が北部九州以外でも見られるようになった。北部九州では大乱の痕跡がない。倭国乱の象徴ともされる防御のための高地性集落は、北部九州には少ない。また、北部九州の
こうした事実から、倭国乱の首謀者は北部九州勢である可能性は大きいといえるが、記紀における神武の東征伝説には
弥生時代の東日本の鉄器化の状況について村上恭通(愛媛大学教授)は、“近畿から関東にかけての地域では、武器や農具の鉄器化は弥生時代には実現しなかった。唯一の
当時の近畿地方は銅鐸と呼ばれる祭祀用の青銅器を珍重していた時代である。青銅器は農耕・土木の工具には不向きである。近畿や東海、関東沿岸地域では、鉄素材の入手はままならず、鉄器の利用はほとんどできず、祭祀用の青銅器はあったとはいえ、人びとの生活はまだ石器時代に等しい状況にあった。
鋳造鉄斧の分析により弥生時代後期(2世紀~3世紀)の鉄器伝播ルートが解明されている。
① 鋳造鉄斧の上面に縦方向の隆起線がない。
加耶 -> 対馬
② 鋳造鉄斧の上面に縦方向の隆起線がある。
加耶 -> 対馬
この時期の近畿地方への鉄器の流入は、山陰から山陽を経て近畿地方へというルートであり、大和地方での鉄器の乏しさが理解できる。
弥生時代の北部九州と大和地方はどんな時代だったのか、その実像をみるため弥生時代の代表的な二つの遺跡、北部九州の
吉野ヶ里(筑後) 唐古・鍵(奈良盆地中央)
BC500年ごろ
(弥生前期初頭) 板付Ⅰ式土器・松菊里文化 ---
の三角形石包丁。
BC5世紀~BC4世紀前半
(弥生前期前半) 小規模な集落からは松菊里型 稲作農耕技術を持った人に
竪穴住居・貯蔵穴。 より集落が成立。
BC4世紀後半~BC3世紀
(弥生前期後半) 本格的な環濠集落 大型建物(80平米)の出現
土器は縄文晩期の夜臼式土器 木棺墓の人骨は長身面長の
大陸系磨製石器 大陸系の人。
縄文の剥片石器
青銅器鋳造の開始。
BC2世紀~BC1世紀前半
(弥生中期前半) 環濠集落の大型化 弥生中期前葉には大環濠の
貯蔵穴群・高床式建物 掘削により巨大集落として
磨製石器全盛期、銅剣や 成立。
銅矛の鋳型や鉱滓、錫塊
佐賀地域では銅剣・銅矛・
銅戈・銅鐸などの鋳型、
人骨(石鏃が突刺さった・
頭骨のない・刀傷など)
墳丘墓の築造、墳丘墓の甕棺
は身分の高い男性。
BC1世紀後半~1世紀
(弥生中期後半) 青銅器生産の主力は福岡県 弥生中期末~後期初頭の
春日市の須玖遺跡へ移動、 青銅器鋳造工房が存在、
小型の漢鏡・イモガイ製の 多数の絵画土器が出土。
腕輪の女性・絹の布片、
大形・中型の銅鏡は北部九州
の須玖岡本遺跡など、
鉄刀子・鋳造鉄斧の破片を
加工した
弥生中期末~後期初頭の
青銅器鋳造工房が存在、
多数の絵画土器が出土。
2世紀
(弥生後期前半) 隅丸長方形の竪穴住居 洪水による堆積と環濠集落
・高床倉庫・高床式の祭殿、 の再建発展、
物見やぐら・高床式の住居 この時期の弥生土器
・共同炊事場。 の消費量は膨大。
3世紀
(弥生後期後半) 大規模環濠集落へと発展、 多量の土器の投棄により
環濠内に内濠が掘られた 大半の環濠は埋没、
内部に様々な施設、大型の 環濠内部の青銅器工房跡に
竪穴住居・長大な建物、 方形周溝墓が造営、
終末期には、交易のための 小型板状鉄斧は出土したが
高床倉庫と考えられる100基 鉄器はごくわずか、
以上の掘立柱建物群。 環濠は消滅したが規模を
3世紀後半になると外環濠や 縮小したムラは存在。
内濠はほぼ埋没、
弥生時代の終わり、古墳時代
の到来とともに集落は消滅。
この二つの「ムラ」の成立は1世紀ほどの違いしかないが、青銅器の導入はBC3世紀とBC1世紀と、200年ほどの違いがある。同様に、鉄器も1世紀と3世紀と、200年ほどの違いが出ている。しかも、鉄器の場合その出土数の違いは桁違いである。北部九州において鍛冶工房が明瞭な形で現れたのは弥生中期末葉(1世紀後半)である。
神武東征の物語の舞台である瀬戸内海・近畿では高地性集落遺跡が次々と発見されている。これらの遺跡は機能からいえば、弥生時代の山城のようである。倭国乱の象徴ともされる防御のための高地性集落は標高200~300メートルの山頂や急斜面に立地することも少なくなく、石製武器が多量に出土することが多い。
神武の東遷は、九州や山陰地方で鉄の農具の普及が進み農業生産力が増大し、人口も急激に増加したため、鉄の武器と農具をたずさえて、新天地を求めて九州のいくつかの小集団が瀬戸内地方や近畿地方に進出した中の一集団であって、神武の時代に大和地方(奈良盆地)全体を征服したわけではない。まだ先住の人びとと共存していた時代である。
古事記の神武(イワレヒコ)東征伝承はおおよそ次のように記されている。
「
吉備の高島で最後の準備を整え、大和の攻略に向かったイワレヒコの軍勢が、最初にナガスネヒコの軍勢と戦うのは、生駒山の西のふもとのクサカ(草香:現在の東大阪市日下町)である。当時は河内湖と呼ばれる大きな湖が難波から生駒山地のふもとまで達していた。古事記では、ナニワ(浪速=難波)の渡しを経てさらに急流を遡って船で進み、ナガスネヒコの軍勢と遭遇したとき、船に積んでいた楯を取り出したので、その地を
名草郡を経て、イワレヒコの船団は熊野に向かっている。熊野では
イワレヒコは大和入りにさいして、まず、南九州勢力の分住していた地域に入っている。吉野川を遡った五条市には
宇智からは吉野を経て奈良盆地の東南の山地であるウダ(宇陀)に入った。ウダでは、エウカシ(兄)・オトウカシ(弟)が在地の支配者であった。兄はイワレヒコに反抗した。このときのイワレヒコ側の武将は、大伴連の祖・
イワレヒコは大和の南部を制圧した後、忍坂の大室のヤソタケル(八十建)、
水野祐は、“神武東征の初めの部分の日向から来たというのは、非常に簡単である。地名と年代しか書いていない。ところが大和を統一した征服伝説は非常に綿密に書いてある。だからその部分は、神武天皇というものを除外して考えたとしても、大和に起こった勢力が大和を統一していく物語というのは案外古くから部分的に存在したもので、それを後で神武天皇という初代の英雄に結びつけて、全体をつくったものだろう。つまり
初代神武の東征伝承は、倭国乱が終息した直後に大和地方に突然出現する
神武(イワレヒコ)は
近畿地方の多くの地域で弥生時代の拠点集落が解体するなかで、中河内や大和南部の拠点集落は存続する。河内の亀井遺跡や大和の唐古・鍵遺跡が代表例である。しかし、弥生後期(2世紀~3世紀)の畿内の拠点集落での鉄器出土量はごくわずかであり、吉備・出雲・丹後のような大型墳丘墓もない。神武が都を開いたといわれている橿原は大和地方の小集落の一つに過ぎないと思われる。神武東征とは、征服ではなく、単なる小規模な移住集団の出来事であったと考えられる。
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