第15話 狗奴国(後の熊襲)
・「魏志倭人伝」
「正始元年(240年)、(帯方郡の)太守
森浩一は、“倭の女王卑弥呼は
魏志倭人伝に登場する
狗奴国には男王の
卑弥呼の女王国連合の時代(2世紀後葉~3世紀前半)の狗奴国の領域の北限は現在の熊本市を流れる緑川・白川あたりであったが、女王国連合を破った後は筑後に近い菊池川流域にまで進出したと考えられる。
緑川流域の熊本市南区城南町にある2世紀から3世紀末ごろにかけての新御堂遺跡(環濠集落)からは、銅鏡4点、銅鏃2点、さらに至近距離にある溝口遺跡からは巴形銅器や台付舟形土器が出土しており、威信財の多さが目立ち、男王の
狗奴国があったとされる今の熊本地方を中心とした中九州地域における鉄器について、村上恭通(愛媛大学教授)は、“その普及の初期段階は有明海に面する地域や有明海に注ぐ河川の下流域がその窓口を担い、北部九州と同時期である弥生前期末~中期初頭(BC200年前後)に、鋳造鉄器片及びその再加工品が熊本市の遺跡などで出土している。いずれも朝鮮半島系の粘土帯土器を出土する遺跡に隣接している。中期末葉(1世紀後半)になると、大集落で朝鮮半島系の板状鉄斧や北部九州系の袋状鉄斧など、鍛冶を伴う大量の鉄製品を有するようになる。また、北部九州では余り見られなくなった舶載(輸入)鋳造鉄器の再加工もまだ顕著にみられる。阿蘇特産の赤色顔料であるベンガラを交換物資として青銅器・ガラス・鉄素材などを入手したと考えられる。弥生後期中葉(2世紀後葉)になると、熊本・大分の菊池川、阿蘇から流れる白川流域では、鉄
また、土器について森浩一は、“弥生土器のなかで一番気品のある立派な土器は、その形・薄さ・つくり・色調など、様々な点から、2世紀に突如として登場し、4世紀に消えていった熊本県南部から南九州に多い
熊本県の南端、球磨川上流の人吉盆地の免田町には6世紀ごろの横穴式石室を持つ
森浩一は、女王国と
狗奴国が女王国を破ったことは、水野祐も同意見で、“狗奴国は女王国との抗争において、卑弥呼の宗女
この真偽はともかく、狗奴国は朝鮮半島とも中国の江南地方とも古くから交流があり、そこから豊富な鉄素材の供給を受けて、卑弥呼の時代の2世紀末から3世紀後葉にかけて軍事面でも強国であったことは間違いない。
鉄素材の供給と鉄器の生産・流通を管理していたのは男王の
3世紀末~4世紀初頭には新御堂遺跡の近くの宇土半島基部に前方後円墳である城の越古墳が作られ、狗奴国の終焉となったと考えられるが、この考古学的な事実が狗奴国のその後についていろいろな憶測を呼んでいる。3世紀末~4世紀初頭といえば、近畿地方の大和に崇神が登場した時期にあたる。狗奴国の中心勢力は大和へ東征したという水野祐の説もあるし、女王国連合崩壊後に朝鮮半島南部の加耶地方から北部九州に進出してきた勢力との戦いに敗れて南へ後退したという説もある。これらについては後述の
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