第9話 高天原はどこか?
古事記・日本書紀(記紀)でいう高天原とはいつの時代のことを言っているのだろうか?そしてそれはどこなのか?記紀は8世紀初頭に編纂されている。そのことを考慮して考えなくてはいけない。
江上波夫は、“古事記(712年成立)・日本書紀(720年成立)は、
あとで詳しく述べることになるが、後漢書によると、BC2世紀からBC1世紀の前漢時代の「倭」は朝鮮半島南岸地域から北部九州にかけて居住していたと認識されていた。その後、2世紀後葉の魏志倭人伝の時代、すなわち邪馬台国の時代が始まるころまでに、朝鮮半島南岸地域には
古事記は672年の壬申の乱で勝利した天武天皇の意志により、天皇家に伝わった「帝紀」「旧辞」を核心とした天皇家の歴史であり、上巻(神の代)、中巻(人皇の代)、下巻(人の代)の3巻からなる。712年の元明天皇のときに
日本書紀は天皇家の帝紀・旧辞以外にもできるだけ多くの史料を集めて取捨按配した漢文体の日本国の正史であり、漢音表記である。720年に天武の皇子
では、「帝紀」「旧辞」というものはいつごろのものであろうか?古事記の原典となった「帝紀」は数種類あったと思われる。一つは在位年数や
古事記・日本書紀ともに中国への朝貢の話はほとんどないといってもよい。日本書紀の
1)唐・新羅連合による百済滅亡(660年)、白村江の敗戦(663年)、高句麗滅亡(668年)、新羅による朝鮮半島統一(676年)と続いた朝鮮半島情勢により、弥生時代から続いていた朝鮮半島諸国との密接な人的・物的関係が断たれた。
2)新羅文武10年(670年)に「倭国
3)唐・新羅連合に対抗するためには早急に国力を向上させることが求められ、そのために天皇を中心とした中央集権国家をめざし律令制度を完成させる必要性があった。
アメノミナカヌシから始まる神は、タカミムスヒ・カミムスヒ・ウマシアシカビヒコヂ・アメノトコタチ・クニノトコタチ・トヨクモヌ、続いてウヒヂニ・スヒヂ以下イザナキ・イザナミまでの10神を男女の対偶神5代とする。さらに、アマテラス・アメノオシホミミ・ニニギと続く。57年の漢委奴国王も107年の倭国王帥升もこの中のどこかに入っているはずである。また、アマテラスは卑弥呼に似せているし、天岩戸から出てきたのは台与とも思わせる。かれらは北部九州勢である。一方、スサノオは、山陰に勢力のあった豪族を象徴している。これらのことから、少なくとも紀元前後からの伝承あるいは旧辞は、7世紀の天智・天武の時代までは存在していたと考えられる。高天原の時代は紀元前後までは確実にさかのぼれる。
古事記上巻(神の代)
アメノミナカヌシ(天御中主) -> タカミムスヒ(高御産巣日) -> カミムスヒ(神産巣日) -> ウマシアシカビヒコヂ(宇摩志阿斯訶備比古遅) -> アメノトコタチ(天之常立)、以上の5神を
古事記は天を主宰する神として5神をおく。アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カムミムスヒ、ウマシアシカビヒコジ、アメノトコタチ。次に神代7代をおき、クニノトコタチの神から始まり、その最後がイザナキ・イザナミである。天御中主(アメノミナカヌシ)は神社などでは「
古事記(国生み神話)
イザナキ・イザナミ(黄泉の国)--> アマテラス(高天原・日神)-->
ツクヨミ(夜の世界・月神)
スサノオ(海原国)
= クシナダヒメ(出雲・須賀神社)
カグツチ(火の神)
--> アメノオシホミミ --> ニニギ(高天原から日向の高千穂の峰に降臨)-->
アメノホヒ(出雲系) = コノハナサクヤヒメ
アメノホアカリ(尾張
ニギハヤヒ --> ウマシマデ(
--> ホヲリ(ヒコホホデミ:山幸彦) --> ウガヤフキアエズ -->
= トヨタマヒメ = タマヨリヒメ
ホデリ(海幸彦・
ホスセリ
--> ワカミケヌ(若御毛沼)末子:イワレヒコ・
= アイラツヒメ(日向)
= イスズヒメ(出雲系) --> カムヌナカワミミ(
イツセ(五瀬)長兄
イナヒ(稲飯)
ミケヌ(御毛沼)
イザナキの
天孫降臨神話以外で天降っている氏族の祖神は、
元皇學館大学長の田中卓によると、ニニギによる天孫降臨の成就以前に、アメノホヒ(出雲氏の祖先)の系統の神々(アメノワカヒコ等で、最後はアメノトリフネとタケミカヅチ)による
記紀神話における高天原、そこからの天孫降臨と大和への東進を古い順に整理すると、次のようになる。
① 天つ神初代アメノミナカヌシ
② タカミムスヒの主宰する高天原
③ アマテラスの主宰する高天原
④ アメノホヒによる出雲への降臨、さらに大和へ東進し、大和のオオモノヌシ
と共存
⑤ ニニギによる
⑥ ニギハヤヒによる北部九州から大和への東進
⑦ ワカミケヌ(イワレヒコ・神武)による九州から大和への東進、
神武はヤマト王権の創建者となった
歴史的に、高天原の時代は紀元前後からさらにさかのぼれるだろうか?朝鮮半島南部の
古代の朝鮮の歴史書は現存していない。最も古いものが1145年に完成した全50巻の「
日本書紀の天孫降臨神話はニニギが筑紫の
いずれにせよ、
この駕洛国建国説話からすると、首露王は他の地から駕洛国(狗邪韓国、後の金官加耶)に天孫降臨している。では、その他の地とはどこなのか?近年の中国東北地方や韓国における遺跡の発掘による考古学的な発見は目を見張るものがある。しかし、残念なのは北朝鮮の領域である。共同調査ができないため、実態がよくわからないようだ。そこには重要な地域があった。
倭人が中国に認識されたのは、漢の武帝の朝鮮遠征によって、BC108年に
BC108年の楽浪郡の設置は中国東北部・朝鮮半島・日本列島の人びとにとって画期となった。BC3世紀~紀元後1世紀ごろの日本の北部九州と朝鮮半島南部の文化を比較してみると、両者の間にそれほどの差異はなく、ほぼ共通のものも認められる。新石器時代の文化を比較すれば、日本のほうが優れた内容を示すものもあった。しかし、BC108年に漢が朝鮮半島北西部に設置した楽浪郡の文化に比べると、日本列島の文化は著しく見劣りのするものである。楽浪文化は朝鮮民族固有の文化ではなく、漢が植民地支配した地に漢文化を伝播させたものである。
日本列島における楽浪土器は北部九州沿岸に集中しており、内陸部の遺跡では例外的に
このように朝鮮半島と日本列島との関係を考古学的観点からみてみると、タカミムスヒの主宰する高天原の時代はBC108年の楽浪郡の設置にまでさかのぼれるかもしれない。
さらにさかのぼるには、1世紀中葉に成立した
元東北大学教授で朝鮮半島の歴史を専門とした井上秀雄は、
“倭を一地域名に限定するのは後世のことで、漢代では倭人の居住地は江南地方、内蒙古東部、朝鮮半島南部あるいは日本列島の三つの倭となり、中国の三国時代には朝鮮半島南部と日本列島の倭が分離して四つの倭となる。完全な民族名として倭が使用されるのは唐代を待たねばならない” 、と述べている。
ここに、長田夏樹が指摘する朝鮮半島北部の今の平壌を中心とした地域を含めれば、五つの倭となる。
中国の戦国時代(BC470年~BC221年)、
古事記の編纂を命じた天武天皇の時代である670年代に、夫餘族の歴史が伝承されていたかどうかはわからないが、高句麗の始祖の朱蒙が夫餘族出身という伝承は知っていた可能性は高い。なぜなら
元東京大学教授で、神話学が専門の大林太良によれば、日本の神話と夫餘・高句麗の神話を比較してみると、夫餘には東明王の父親の
また、江上波夫も、“
元京都大学教授の上田正昭は、日本神話と朝鮮神話とを比較して、その違いをまとめている。それによると、日本神話と朝鮮神話には大きな違いが三か所ある。
① 朝鮮神話は、神を迎える側に主体が置かれている。下ってくる神を人民が迎える。一方、日本の場合は、入ってくる神の側に重点が置かれている。
② 朝鮮の神話には、高天原に相当するものがない。特に「駕洛国記」の場合は書かれていない。一方、日本の場合は、高天原が非常に詳しく書かれている。
③ 朝鮮神話では、神が空から降りてきて人民に幸いをもたらす。一方、日本の場合は、完全に支配者・征服者として入ってくる。
これに関する結論として、元明治大学教授(独文学)で朝鮮と日本の古代史を比較して、鋭い指摘を行う鈴木武樹は、朝鮮の場合はこれら三つの要素が渾然として一つの神話体系の全体を形成しているのに対して、日本の場合は支配者階級が持ってきた神話だけが強調されている。つまり日本神話はそれを日本列島へ持ってきた人たちの神話であって、先住の人びとの神話ではないと述べている。この鈴木武樹の結論に江上波夫も賛同している。
これらの神話の分析から得られたアルタイ系部族である夫餘との深いつながりから、古事記に記された神代七代の初代アメノミナカヌシ(天御中主)が夫餘族出身ということにでもなれば、とても興味深い話である。
高天原の源境がBC3世紀の夫餘族の住む中国東北部(旧満州)にあったとすれば、アマテラスの主宰する高天原は本当に
魏志東夷伝の国々(高句麗・韓・倭人以外)
1)
夫餘の記事は「史記」貨殖列伝に見られ、BC2世紀後半から漢と接触していた。1世紀初めから3世紀中ごろまでが夫餘の全盛期である。夫餘の王で最初に登場するのは、「後漢書」夫餘伝に見える49年の夫餘王であるが名は不詳である。111年には夫餘王が歩騎7~8千人を率いて楽浪に侵入、167年には王の夫台が2万人を率いて玄兎に侵入とある。
夫餘については、
BC2世紀に入るころ、
2)
烏桓と鮮卑は蒙古草原の南東部に分布し、烏桓は南のラオハ河流域に、鮮卑は北のシムラレン河(西遼河)流域にあった。ともに
三国志・魏書・烏桓鮮卑伝にある3世紀初頭の風俗・習慣によると、「騎射遊牧、ゲルに住む、肉食・酪飲、毛皮の衣、若きを貴び老いを賤しむ、世襲なし、部族制、無文字、無姓、各自で牧畜治産し徭役なし、略奪婚、尊卑なし、
3)
東沃沮ともいう。沃沮は高句麗の東に位置し、沿海州南部から
4)
5)
濊は朝鮮半島の東海岸、江原道一帯を住地にしていた。高句麗と同種である。高句麗は
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