第7話 日本語の形成

次に、言語から分析した日本人の形成過程を見てみる。


 縄文語については次のようにいわれている。縄文文化が始まった1万3000年前ごろ、アルタイ語族はまだ東北アジアには移動してきていない。したがって、縄文語はアルタイ語族には帰属しない。おそらく、アイヌ語の祖先だった「毛人けひと方言」だった蓋然性が高い。縄文語はアイヌ語・ギリヤーク語(アムール沿岸)・カムチャダール語(カムチャッカ半島)などの近縁の古アジア語族に帰属する言語と考えられる。アムール諸民族の中でもサハリンと沿アムールにおいて南方起源の太平洋モンゴロイドと北方の大陸モンゴロイドの混血がギリヤーク(ニヴフ)である。それは太平洋沿岸に沿って北方へ移動してきた集団との混血の結果である。

 梅原猛(元国際日本文化研究センター所長)はアイヌ語を研究し、次のように述べている。 

“弥生以前の日本列島に存在した人びとは母音の数が五つのアイヌ語に近い言葉を使っていた。アイヌ語と日本語は、言語の性質としてまことによく似ている。母音はアイウエオの五つ。子音もほぼ日本語と同じ。そして語順も主語・目的語・動詞という形をとり、名詞に格変化はなく、動詞に人称変化はない。そこへ六つか七つの母音をもった民族が入ってきて日本を支配した。彼らは水稲農業と弥生土器と金属器と道教をもってきた人びとで弥生人である。しかし、それは少数であったので、言葉については原住民の言語が圧倒的に優勢だった。古代高句麗語には日本語の“エ”に当る音がなかったという。そしてウラル・アルタイ語の特徴として“r”が語頭に立たない。したがって上代日本語では“e”は多くの場合に“i”となった。例えば、アイヌ語のエモがイモになった。そしてrはnになる。アイヌ語で死ぬを表すライがナイとなったように。こうして母音構造において大きな混乱が起こり、この混乱の中から現日本語が生まれたのではないかと思われる。そしてその混血の民族は、やがて九州地方を征服し、ついで近畿地方へ渡り、そこを中心として日本国を統一した。そして固有日本土着の人びとは北と南に追われた。人種において、言葉において、風習においても、琉球がアイヌと似ているというのはそういうわけであろうが、もとよりその地理上、北の方がはるかに純粋度は高い。それゆえ、そのような日本の周辺に最も日本語の基礎を為す古い言葉が残っていることになる。日本人は外来文化を受け入れ、その言葉もはなはだ変化したが、アイヌは自分たちの文化を守り、その言葉も古い言葉を多く保存したと考えられる。この仮説は考古学とも人類学とも、あるいは古事記などに伝わる伝承とも矛盾しない。日本語は異民族との接触のなかからつくられた。語彙ごいは圧倒的に多数だった縄文時代の原住民の言葉からとった。文法は朝鮮の言語の影響を相当受けている。しかし、この二つの言語も音韻おんいん構造において重大な違いがあるばかりか、政治や技術用語に朝鮮との類似語は多少あるが、基本語において類似語が少ないことが見つけ出されている。日本語の起源を解く鍵が最も近くに横たわっているのではないかと思う。” 

 この梅原猛の意見に従うと、アフリカに直結する古い遺伝子D2の出現率の高いアイヌの人びとの言葉こそ縄文語であると思えてくる。松本克己によると、環日本海言語圏を形作ったO2bは先住のD系統集団の言語を駆逐したようだという。一見矛盾しているようだが、ヒト遺伝子(DNA多型)と言語(民族)とは相関しないのが原則である。 

例えば、

・トルコ:言語はアルタイ系チュルク語だが、アルタイ系チュルク(トルコ族)のC系統は1.3%のみで、人口の98%のDNA多型はヨーロッパ系のギリシャと類似している。

・ハンガリー:ウラル系フィン・ウゴル語族だが、東欧圏のR系統が73%で、ウラル系のN系統を欠く。

・バスク・カタルーニャ・ケルト:DNA多型はヨーロッパ先住民のR1bが高度に集積しているが、言語は孤立語のバスク語、ロマンス系カタルーニャ語、ケルト系言語とそれぞれ異なる。

・南米コロンビア:男性遺伝子であるY染色体の94%がヨーロッパ起源だが、女性遺伝子であるミトコンドリア遺伝子は現地のものである。現在の言語はスペイン語。

 

この原則をあてはめれば、人種的には古い東アジア人であるD2であるアイヌの人びとと、C1である華南・台湾・沖縄経由で日本列島へ来た人びとは、後から来た環日本海の特徴を持つO2bの人びとの言語を受け入れた結果、D2およびC1の人びとと、O2bの人びとが縄文人となり、言語は環日本海言語圏を形作ったO2b の言葉を主体とした縄文語を話したということになる。

 このように、遺伝子や言語の研究からは、日本列島には3万年以上に及ぶ長い期間にわたり、様々な民族が様々な時期に渡来し、比較的平和的に混淆していったと推定される。それは、後から来た民族が先住の民族を征服したのではなく、共存して混血するという過程を経たものであると思われる。長い時間をかけての接触による言語の変化は印欧語のように一つの祖語に収れんしていくものではないかもしれない。


 もう少し日本語の形成過程を検証してみる。言語系統における類似性は大きな歴史的な意味を持つ。それは過去において同じ人種起源を持つものが、分化を生じたことを示すからである。分化は人口移動、移住によって生じるものであるが、新しい環境へ適応した集団の文化は急速に変化するが、言語は比較的変化しにくいものである。したがって、言語的な分析は先史時代の人口移動・分化の手掛かりを提供する。

 これまで日本語と関係があるといわれた言語は朝鮮語・高句麗語・アルタイ語・アイヌ語・南島語(オーストロネシア語)・ドラヴィタ語(タミル語)などがあるが、確実に日本語と兄弟関係にあると論証された言語はない。父・母・兄弟・名前などの音の対応関係が法則的に見られる「音韻対応」を持った言語がないことから、日本語は孤立した言語であるという見解が多数を占めている。その他の孤立言語としては、ユーラシア東部ではギリヤーク(ニヴフ)語、アイヌ語、朝鮮語が該当する。他のユーラシアではピレネーのバスク語、西シベリアのケット語、インダス川上流のブルシャスキー語、インド中部のナハーリー語、東部ヒマラヤのクスンダ語がある。従来の類型学的比較方法でさかのぼれる言語史の年代幅は5000年~6000年程度と見られており、日本語やアイヌ語の系統が不明ということは、さらに古い年代までさかのぼるということになる。


 現在、日本語の形成過程について一般的な共通認識として以下のような言語系統図が考えられるが、環日本海言語圏を形作ったO2b の言葉を主体とした縄文語はどこに位置するのだろうか?先ツングース諸語の中の一つであったと思われるが、不明である。しかし、その語彙や母音構造は古代日本語の中にしっかりと生きていると考えられる。


オーストロネシア語 ---------------------------------------------→古代日本語

東部アルタイ語 →先ツングース語→原始夫餘語→原始日本語→古代日本語

                原始夫餘語→原始高句麗語→高句麗語

                原始夫餘語→原始韓語→新羅語→朝鮮語

        先ツングース語→満州・ツングース共通語→満州語

        満州・ツングース共通語→ツングース語(エヴェンキ・ナーナイ)

東部アルタイ語→先モンゴル語→モンゴル・ブリヤート共通語→モンゴル語

               モンゴル・ブリヤート共通語→ブリヤート語


・アルタイ祖語から東部アルタイ語と西部アルタイ語とに分かれた。西部アルタイ語は、チュルク語系統であり、そこにはトルコ語・タタール語・カザフ語・ウイグル語・サハ語が属する。

・日本語は、文法はアルタイ語系で、発音(開音節)はオーストロネシア語系あるいは照葉樹林文化圏(中国江南地方)の言語といえる。

・夫餘という民族は満州北部の草原において早くから発展した部族であり、この民族から高句麗族ほか、いくつかの部族が派生している。言語・文化において、夫餘・高句麗・百済・新羅・倭国は東夷文化圏と呼べるものであった。中国文化はまず夫餘・高句麗で消化され、それが朝鮮半島を経て日本に入り、日本の文化的土壌をつくり、その後日本は中国大陸から直接その文化を輸入した。

・モンゴル語・ツングース語・朝鮮語・大和言葉には、「ラリルレロ」から始まる言葉はなかった。「ロシア」は「オロシャ」となってしまう。しかし、朝鮮語もモンゴル語も語尾に子音が頻繁に来るが、日本語はそうではない。また、いんを踏まないのは日本語だけである。

・朝鮮語と日本語を比べてみると、ほとんど同じ語順で、助詞や助動詞も同じように機能している。また、形容詞の使い方も似ており、語順を変えても、同じように対応する。しかし、朝鮮語の受身・使役などはアルタイ語に近いし、否定形式は日本語とは異なる。音韻おんいんはかなり異なる。母音調和は朝鮮語とアルタイ語は共通しているが、日本語は異なる。

・歴史上関係が緊密であった朝鮮半島南部の慶尚道と全羅道の方言やアクセント、声調などが、北部九州や河内、山陰地方の言葉に似ている。例えば、「そうかノー」「そうかネー」など「ノ・ネ・ナ」は両者まったく同じである。むしろ朝鮮半島の南部と中部のほうに違いがある。


長田夏樹は上古日本語と上古朝鮮語について次のように述べている。

・日本語の数詞と明らかに同源と見なせる言語は高句麗語だけである。高句麗語の数詞で確実に日本語と同じものは、三:みつ(密)、五:いつ(于次)、七:ななつ(難隠)、十:とお(徳)。他は伝えられていない。唐によって668年に滅亡した高句麗の言語は歴史の闇に消えてしまった。しかし、最も日本語に近いアルタイ語はこの高句麗語なのである。もとは夫餘の言葉と思われるがそれも現在は存在していない。しかし、今ではこの四つの数詞だけしか証明できない。

・百済語と新羅語は相当な違いがった。例えば、「村」は百済語では「すき」だが、新羅語では「つき」となる。イタリア語とフランス語ほどの違いである。よく似てはいるが、お互いに通じない。百済語は済州島方言にその名残を留めている。新羅語は現代朝鮮語の祖形である。日本への渡来人の中で、新羅語を話した人びとがはた氏の居住地に落ち着くのは当然であった。

・農耕語・基礎語彙・数詞・魏志などの文献などから、夫餘ふよ高句麗こうくり沃沮よくそわいは同種の言語を使用していたことが分かる。日朝の祖語は、こうした夫餘系言語に関連を持つことは文法・音韻からして確かではあるが、夫餘系諸民族の言語の間に、日朝の祖語がいかなる位置を占めるのかは不明である。しかし、日本語はアルタイ諸語(チュルク・モンゴル・ツングース)に属し、その起源もユーラシア大陸の東北地域となるとすれば、日本語の祖語は、最初に中国東北部においてツングース諸語から分離した。ついで、濊貊わいはく系の言語や朝鮮語と分かれた。そして弥生文化とともに日本列島に入り、邪馬台国の後の6世紀~8世紀になって上代日本語の成立を迎えたのである。


 また、元ソウル大学教授の金思燁による高句麗語と日本語の系統図の問題の中で、李基文(言語学者)も高句麗語と新羅語とは異なった二つの言語であるという仮説の他に、高句麗語は最も日本語と密接な関係にある同じ系統の言語だという説を発表している。高句麗の地名から四つの数詞が見られる。この数詞は中世朝鮮語の数詞とはまったく違っているが、古代日本語の数詞とは完全に一致している。 それは、三:みつ(密)、五:いつ(于次)、七:ななつ(難隠)、十:とお(徳)の四つである。これらは、かつて日本の学者が取り上げたものであるが、李基文は改めてその重要性を強調している。彼はこの四つの数詞以外にも20余語の高句麗語が日本語と一致していると説いている。高句麗の支配者は夫餘族である。さらに論を進めて、原始日本語は原始夫餘語の一分派であると断定している。それは弁辰べんしん弁韓べんかん)あるいは加羅から加耶かや)地域では夫餘系言語が使用されていたが、それがBC3世紀ごろ日本に伝わり、原始日本語を形成したというものである。 


 これらの言語学者による分析から、日本列島においては北方アジアに連なる古い言語(環日本海言語圏)が基層語として存在していたが、その後、照葉樹林文化の要素とともに南方的な言語(オーストロネシア語)が到来して基層語と混合して日本語の基礎がつくられた。さらに、弥生時代以降に支配者言語としてアルタイ系の言語が朝鮮半島経由で入り込み、その影響も受けて日本語が形成されたという大枠は良く理解できると思う。その支配者言語の起源は原始夫餘語であった可能性は大きいと言える。

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