第2話 プロローグ
日本列島の縄文時代は、豊かな森や川の恵みを受け、クリなどの堅果類の採集、サケ・マスの捕獲、イノシシやシカの狩猟により食糧を確保できたとはいえ、まだ石器時代であった。西日本の一部では焼畑による雑穀栽培を行っていたが、農業生産力は低く、自然の気候に大きく左右される不安定な生活を余儀なくされ、大きな集落を構成するだけの人口を維持できなかった。そこには、もちろん文字もなく文化といえるものはなかった。弥生時代になって、主に朝鮮半島南部から北部九州へ渡来してきた人びとにより水田によるイネの栽培が平野部で始まり、徐々に農業生産力が高くなり、その成果を見た丘陵部に住んでいた先住の縄文人も農業に携わるようになり、平野部と丘陵部という住み分けがあいまいとなって、渡来してきた弥生人と先住の縄文人との混血が進み、その結果人口が増えた。さらに、青銅器や鉄器が朝鮮半島を通じて入手できるようになると、一段と農業生産力が向上し、人口も急激に増加した。北部九州からあふれ出た人びとは新天地を求めて、日本列島を東へ移動し、その移住地を開拓することとなった。それらの人びとは紀元前(以下、BCという)200年ごろまでには山陰・瀬戸内を経て近畿地方に進出し、さらに数十年で北陸・東海地方にまで到達した。そこでも先住の縄文人との混血が進んだ。倭人の誕生である。
しかし、その先には豊かな森と、川や海の幸に恵まれた多くの先住の縄文人が住んでいたため、それ以上は容易に進めなかった。関東以北の
8世紀初頭に律令国家ができるまでの倭国の時代、日本列島と朝鮮半島南岸地域との間には国境という概念はなかった。朝鮮半島南岸地域の人びともまた大半は倭人であった。人びとは交易や移住のため自由に行き来していた。国境という意識が生じたのは、663年に唐・
衣食住を豊かにする文化や技術は高い所から低い所へ流れるのは人類の歴史の必然だ。西洋文明がメソポタミアからエジプト、エーゲ海のギリシャを経てローマに至り、さらにその北のヨーロッパ諸国へ流れた事実がそれを物語る。東洋でも同様である。
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