過去 秩序の崩壊
あの災害が起きた日。ソファに座っている心の壊れた結花を見て、どうしようと思った。
どうしよう。どうしよう。
誰にも繋がらない。誰とも話せない。……誰にも頼れない。
唐突に訪れた世界と環境の崩壊は、結花を除いて一人取り残されたぼくには荷が重すぎた。
だって、何ができる? ただの中学生に過ぎない自分が、幼馴染と二人だけ死に置き去りにされて、どうやって生きていく?
でも……それでも思った、たった一つのこと。
結花だけは、守らなければいけない。
残酷に死にゆく人たちをその目で見て心を壊した結花は、このままじゃ絶対に死ぬ。
ぼくがなんとかしない限り、結花が死ぬ。
それは、自分が今ここで唐突に死ぬことよりも、ずっと恐ろしいことだった。
だからぼくは、それこそ死ぬ気で頭を巡らせた。
どうすれば助かる。どうすれば生きていける。どうすれば。どうすれば。どうすれば。
最初の数日は、家に引きこもって凌ぐことができた。災害が起きてすぐの時は電気も水道も止まっていたけれど、冷蔵庫や戸棚に買え置きしてあった食べ物でなんとか食いつないでいけた。
そして次に、結花の家へと移った。一軒家でぼくの家よりも広く家具も充実していて、そして結花自身、自分の家の方が落ち着けると思ったのだ。結花の意志を聞くことができないため、それはぼくの独りよがりな思い込みかもしれなかったけれど……。何度となくきたはずの結花の家は、二人の家の住人がいなくなっただけで……やけに寂しく思えた。
それから一度、学校へと連絡をした。そこで、今は食料の配給所、簡易宿泊所として、人々を可能な限り緊急に助けていると聞いた。家に引きこもるだけでは食料が尽きることは分かっていたため、それは朗報だった。
電気が回復してからは、テレビで逐一情報を手に入れていた。そこで、オーロラと“声”のこと、人の死に方、規模が世界に及んでいること……そんなことを知った。
そして、自衛隊が遺体の回収に尽力しているとはいえ、腐敗による感染症の危険も見られたために、外出は極力避けるようにとも。
それでも食料確保のために必要最低限の外出は避けられず、数日に一回は外へ……主に学校へ出かけた。結花の家へ移る時にも思ったことだけれど、辺りは吐き気を促す臭いが漂い、それが鼻を伝って喉へ入るときは、常に気持ち悪かった。
配給所になった学校では、避難に来た人たちとその家族、そしてそれの対応をしている先生たちや自衛隊の人たちが大勢いた。そして知ったのは、ここでやっているのはあくまでも食料の提供と、一時的な寝床の供給のみ。とてもここに長居して、保護してもらえるようなことはできなかった。
忙しい中で申し訳ないとは思ったが、担任の先生を捕まえて事情を話した。自分も結花も両親がいなくなってしまい、行く場所がない。頼れる親戚などもいなくて、どうすればいいかと。
先生は、明らかに困った顔をした。
ここでぼくは、一教師に過ぎないこの人には荷が重すぎる問題だったのだと察した。人間の四割が死滅した世界で、まともに動いているところなんてまずない。児童相談所がどうとか、保護団体がどうとか、もはやそんなレベルではないのだ。こうして配給所が機能しているだけでも、ありがたく思うべきなんだ。
先生の返事を聞かないまま、ぼくは逃げるように配給所を出た。
“頼れない”とはっきり口で言われることが、無性に怖かったのだ。
そうして結花の家で住み始め、食べ物をもらうためだけに学校へと通っていて、二ヶ月が過ぎようとしていた。結花にご飯を食べさせることにも慣れていた、そんな頃。
突然、――玄関のドアがガチャガチャと鳴った。チャイムも鳴らさずにいきなりドアを開けようとしてくる人間が、客であるわけはなかった。次に、ドアを強引にぶち壊そうと、何か硬いものでガンガンと叩く音が聞こえ出す。一度では鳴り止まず、何がなんでも押し入ろうという魂胆であることは疑いようもなかった。
何。誰が。
背筋が震えて足が竦んだ。ドアを叩くその一発が聞こえる度に、心臓を直接殴られているような胸の痛みを感じる。
もう自分たちを守ってくれる存在はいなくて、自分一人でなんとかしないといけないことが頭で分かっていても、どうすればいいのか身体が分かってくれない。
すると、自分よりも低い声の、怒鳴り声とがなり声が混じった攻撃性しか与えない声が、いくつも耳を突き抜ける。
「本当に大丈夫かよ」「弟のクラスメイトの家なんだけど、女子なんだってさ」「うお、女子中学生とかたっまんねぇ」「もう少し膨らんでるかな」「しかも両親もくたばったらしいぜ」「なんで知ってんだよ」「配給所になった学校あるだろ。あそこでそいつと仲の良いガキが事情話してたって弟が言ってた」「じゃあそのガキ一緒にいんじゃねぇの?」「男とはいえ中学生一人だぜ? 問題ねぇよ」「男? 一緒に住んでるとか絶対ヤってるだろ」「うわ、マジかよ、殺そうぜ」「今まで良い思いしてきたんだからな」「どうせ誰も文句なんか言わねぇよ」
足元から恐怖が一気に駆け抜け、全身を支配する。
『殺す』
漫画やアニメで幾百と聞いてきた言葉が、現実となって身体に降りかかる。その上あいつらは、結花までも欲望のままに
失敗した。失敗した失敗した! どうして事情なんか正直に話しちゃったんだ! 周りには、人がたくさんいたのに!
結花の家のほうが家具も揃っていて、結花自身も安心できるからと思ってこっちに住んでいたけれど、それが災いした。
無力なガキと好き放題できる女子中学生しかいないことがバレて、目を付けられてしまった!
危機からの逃走本能が身体を一瞬動かし、ぼくが一番最初に向かったのは、あいつらのいる玄関だった。靴を持って逃げ出さなければ、あっという間に怪我をしてすぐに追いつかれてしまうだろうから。尚も爆発的な音が鳴り響くドアへ近づく度に身体が震えたけれど、一度止まったら二度と動けないような気がして、絶対に足を止めなかった。指先で
すぐに結花を抱えおこし、裏口へ向かう。裏口への道は玄関からは気づかれにくく、隣のマンションの金網からはみ出たツタなどが進路を妨害してくれる。そこから反対の道へ行けば、逃げられるはず。
屋内なんてことも気にせず、無理矢理結花の足を靴に入れ、自分もすぐに履く。そして結花の肩を強引に自分の首に回し、半ば持ち上げるようにして腰を支えながら走る。本当は背負ってとかそういう方が走りやすいのかもしれないけど、そんなことまで頭が回らなかった。ただ一刻も早くこの場から離れることしか考えられなくて。
ぼくらが外に出ると同時に、ドアがぶち破られ、ずかずかと中へ踏み込む音が聞こえてきた。後ろは絶対に振り向かず、ただ空気さえも切り裂くような荒い息を吐き出しながら、無我夢中で逃げ出した。
そして同時に、煮えたぎって爆発しそうな激情がこみ上げた。
お前らみたいな連中が、結花の家に、部屋に踏み込むな。その下半身と肉しか考えていない
少年漫画の主人公のように、怒りをそのまま力に変えられたらどんなにいいだろうと思った。だけど、ぼくは何の力も持たない貧弱な中学生だ。あそこに立ち向かったって、何もできない。何もできない!
きっとあの、女の子らしいメルヘンチックな部屋も荒らされるだろう。漫画は乱雑に落とされ踏まれ、小物は壊され、ぬいぐるみは引き裂かれるだろう。それを思うと、たまらなく悔しかった。
甘かった。ぼくはなんて馬鹿だったんだ。
人間だけじゃない。児童相談所だとか保護団体とか、それだけじゃない。
政治も、秩序も、法も、倫理も。人類が作り出した目に見えない概念は、たった一日の内に全て滅びてしまったんだ。
ただ生き延びるために協力し、手を取り合い、助け合い、そして横領し、盗み、殺す。
罪に対する罰は、なくなったのだ。
そんな世界で、のうのうと一箇所にとどまり続け、あまつさえ事情をペラペラと人の多い場所で話してしまうなんて。
痛感する。心が壊れたのは、結花だけじゃない。ルールに束縛されていたはずの理性の多くが、この世界では壊れている。極限状態に陥った人間がどういう行動を取り、どう自分に影響を与えるかを考えなければならなかったんだ。
どこに逃げよう。必死で頭を回したけど、ダメだった。確実に確保できる場所が浮かばない。ぼくの家はダメだ。マンションの四階にあるあの家は、今みたいなことがあったら逃げられない。
配給所になった学校へも、もう行けない。長居のできないあの場所から一歩でも結花を連れて外に出ようものなら、格好の的だ。
そこからぼくらは、なるべく自分の家から離れ、人のいない街の住居を転々とした。歩いている間は常に耳を研ぎ澄ませ、微かな物音や話し声を聞き逃さないように神経を張り巡らせた。そうすることで疲労は余計に溜まっていき……ぼくの心も磨り減っていった。
だけど、ぼくのほんの少しの油断で結花が離れてしまうということに、激しい不安を覚えていた。
もし一人にしてしまって、その隙にさっきのような連中に出くわしてしまうことを思うと、とても一人にはできない。
それならば、例え神経を尖らせてでも。結花を支えたり背負ったりすることで身体が悲鳴を上げようとも。自分が一緒にいた方がまだ安心だ。だって、自分が疲れるだけでいいんだから。
突然結花がいなくなることの不安に比べたら、そんなこと、どうってことない。
そしてぼくらは、放浪から僅か数日。
奇妙な少年少女と出会ったのだ。
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