第3話 あなたは誰?
(もう少しか……)
ここは中央ホール……の裏側にある待機部屋である。
現在一年一組の生徒からホールの舞台に出ていることだろう。それが終わったら紅の所属するクラスの二組の番だ。
(親はいないとは言えやっぱり大勢の人たちの前に出るのは辛いなぁ……)
紅は用意された席に座り、がっくりと肩を落としていた。
「大丈夫? なにか辛そうだけど」
「えっ? あ、く、黒鉄さん!? …………あー、いや、私は大丈夫だよぉ? ほ、ほら私って元気なことしか取り柄がないぐらいだし?」
「別に無理をしなくてもいいんだよ。辛かったら保健室に行けばいいんだし——ていうか、そっちの方がいいかもしれないけどね」
「? なにか言った?」
「いや、なんでもないよ。なにも言ってない。ただ少し……嫌な予感がしてね」
黒鉄切無はここではないどこかを見つめ、そう言った。
儚げ、とも言うことはできるが紅はその姿を少しこわいと思った。
「……行こうか。そろそろ二組の出番だ」
「そ……そうだね」
二人を含む、一年二組はちょうど今舞台に出ていた一組と交代する形で、明かりが照らされた輝かしい舞台へと移動した。
×
(あー地獄地獄。ホンット地獄。もうやだー、行きたくないよー、帰りたいよー)
舞台へ出ると、ホールの席に座っている上級生や教師たちから拍手で迎えられた。入学式の定番ではあるが、あまり目立ちたくない人間からしたら拷問以外のなにものでもない。
紅のように全てを恨んでも仕方がないのである。
「あ゛ー、黒鉄さん……やだよぅ……帰りてぇよぉ……」
「ちょ、口調が変わってるよ紅さん」
「え!? 本当?」
(やばっ……小学の時のクセが出ちゃった……)
紅飛沫は人混みが嫌いだ。
それは元気活発な少女が目を腐らせるくらいには嫌いなのだ。
「——でも、そういう目も出来るんだね、紅さんって」
「え……?」
普通の人が見たら完全に引かれるような腐った目を黒鉄は微笑んで肯定した。
(いや正直、今の目は誰にも見られたくなかったんだけど……! そこ褒められても全然嬉しくないんだけど……!?)
そんなことを考えてる間にも紅の名前が呼ばれる時間が近づいていく。
ただ……一つ言っておけばこの入学式でいう出番とは名前を呼ばれることだけであってその後何か一芸しろとか、そういう無茶振りは要求されていない。
したがってこの状況をここまで深刻に捉えているのは紅飛沫ただ一人だけである。
(あーもう次私の番だよぉ……やだよぅ……ディアボロさんキングクリムゾンしてくれないかなぁ……)
「次、紅さんの番だよ」
「あっ……そう」
あー、やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやなやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだだるいだるいだるいだるいだるいだるいだるいだるいだるいだるいだるいだるいだるいだるいだるいだるい。
入学式とかぶっ壊れてくれないかなぁ、なんでわざわざこういうことしなくちゃいけないのかなぁ。もうこんなの公開処刑みたいなものだよ、そんなに私に恨みがあるわけ? だったら言われなくても向こうに行ってやるよ。
「————おやおやおやおや。こんなご時世に面白い思考を持った人間がいたもんだ。まあ、面白いっつっても少し前は俺もお前みたいな感じだっけどな」
……と。
紅のすぐ近くからそんな声が聞こえた。
「あー、わかります? 私、ちょっとこういうの苦手なんですよねぇ……あはは」
「そんなの見りゃわかるって」
「そうですかぁ? …………って、?」
そこで。
ようやく紅は異変に気付いた。
まず、この場所で自分に話しかける人物など黒鉄切無ただ一人だけだ。なのに——何故、男の声がしたのだろうか?
いやそもそもこの夢想学園は完全男子禁制の学校のはずだ。生徒はもちろん、教師や清掃員などという職員も全て女性を採用していると入学前の説明で聞かされた。だからこのような場でなくとも男の声が聞こえるのは明らかに絶対におかしいのだ。
目の前に男と見られる人物はいない。ただホールの並んだ席に生徒たちが座っているのが見えるだけだ。……だとしたら後ろ。
紅の中の第六感とでも言うべき感覚が激しく機能した。
——いる、と。声の主は後ろにいるのだと。そして振り向いてしまったら何かが起きてしまうとも。
(い……いや待ってよぉ……!? ここって舞台の上なんだよね!? だったらもっと早くに騒ぎになっていてもおかしくないって!)
再び紅は目の前を見直すが、変わった様子はなかった。誰一人として悲鳴を上げていないし、こちらを指差すようなこともしてない。
……違う。
…………違う違う違う。
確かに変わった様子はない。
入学式はつつがなく行われている。が……
(えっ……どういうことなの?)
隣に立っている黒鉄ですら、紅の方を向くことはなかった。
「ああ、そりゃ俺のチカラだ。
「だ、誰なの!?」
紅は後ろを向かずに言った。この際男が言ったことが嘘で、自分の声が他の者に聞こえたとしても関係ない。……それどころではないのだ。
「安心しろよ。今この場所に俺とお前を認識できる奴なんて一人もいない。俺以外に聞いてる奴はいないからなんでも質問してくれて構わない。……だが、今はできるだけ早くことを済ませたい。長引いちまったらとんでもねぇことになるかもしんねぇからなぁ? はっはっはっ」
(…………)
狂気だ。
この男から感じるものは狂気だ。
こんなの振り向かなくてもわかる。男の声には今まで感じたこともない狂気が含まれているのだ。
(こんなの……こんなのは……、ありえないって……。ここから早く離れなきゃ……!)
「ん? 質問はねぇのか? ——じゃあ、面倒な奴らが来る前にとっとと終わらせちまおうか」
「…………」
足は震えてる。
手はまともに握ることができない。
歯はガチガチと鳴っている、目の焦点がうまく合わない。
怖い感情が存在するのを自覚しているというのに汗が出ない。口が勝手に開いてよだれが垂れそうだ。
それでも。
紅飛沫は一歩を踏み出した。
一歩を踏み出して、そのまま逆の足を出し、それをひたすら繰り返す。その動作はだんだんと速さを帯びてきた。
「この状況で逃げるたぁよっぽど肝が座った野郎……じゃねぇ。……えぇと、輩? ま、いいや。なかなか強い意志を持ってんだなぁ? けど俺の前じゃそれは無意味なんだなぁ、オイ」
後ろから声が聞こえる。
でも、今は振り返ってる暇などない。席に座ったままの人たちに注意を呼びかける暇もない。
今は。
今はとにかく安全なところへ。
……運動神経が良い少女である紅からしたら舞台の上からホールの出口まではさほど長い距離ではない。
全速力で駆けた紅はものの数十秒で出口の前までへと辿り着いた。
(まずは……! ここから出よう……!!)
出口の扉に手をかけようとしたその瞬間、
「はい残念。無意味って言っただろ」
その男は突然——否、以前からそこへいたかのように紅の目の前に現れた。
「時間や空間も俺を認識できない。お前が舞台上を離れた時から俺はずっとここにいたんだよ」
「う、嘘……?」
「嘘じゃねぇよ。俺はこの世で一番嘘が好きな人間である同時に一番嘘が嫌いな人間だからな」
男は鉄球のようなピアス、不気味なネックレス、そして時代違いの和服を着ていた。足が何やら人間の足とは程遠いような気がしたが今の紅にそれを気にする余裕はない。
強いて驚いたことと言えば男の年齢が想像していたものと違ったことだ。三十は明らかにいってないし、下手をしたら二十前半ということもありえる。
……そんな年の人がここまで凶悪なオーラを出すことができるのか。
「なあなぁ? 質問はねぇってことでいいかぁ? …………わあーったわあーった、お前がこれからどういう風に俺様に利用されるのか懇切丁寧に教えてやるよ」
「り、利用……? 私を……?」
「あっははははははは!!! 別に体を弄ぶっつう真似はしねぇよ! お前の力をちぃっとばかし貸してくれりゃそれでいいんだよ」
男は紅に近づく。
それに伴って紅は一歩後退する。
「おいおいオイオイ!? 俺には時間があんまねぇんだよなぁ? 手を煩わせてくれてんじゃねぇよ、おにゃのこちゃんがよぉ?」
(ダメだ……ダメだって、ここから離れてもあいつの力ですぐに追い付かれちゃう……! 逃げられない……!)
頭の中でそうわかっていても体は勝手に動く。
紅は再び舞台の上へと戻ってきてしまった。
(あーもうこれじゃ、さっきと一緒だよ……!)
「鬼ごっこはおしまいだ。悪いが俺と一緒についてきてもらおうか」
目の前に——男が。
「ちょ、やめ……!」
男は嫌がる紅の腕を強引に掴んだ。
いくら運動神経抜群とは言えども、男と女、力比べなどするまでもない。掴んだ腕を振り払うことをできずにただ男を睨んだ。
「おぉ〜、怖いねぇ。まあ説明なら後でいくらでもしてやるから今はこっから離れようぜぇ、な? あんのクソ野郎どもが来る前にな」
「何を……いってるんですか……!」
「何を? お前はまだ知らなくていいんだよ————って、オイオイ……時間切れか。どうやら来ちまったようだな」
「?」
ピキピキと、舞台の床下から音が聞こえた。
(え……今度は何……!?)
「見てろよ、あれが人類の敵だ」
その奇妙な音の正体は床下にヒビが入っていく音、そしてヒビは大きくなり、とうとう破壊されるでに至った。
それと同時に出てきたのは男曰く、人類の敵だった。
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