思考に潜行する

こうやまゆたか

「ふとんがふっとんだ」に潜行する

 ダジャレといえば?

 とっさに多くの人の頭に浮かぶのは「ふとんがふっとんだ」ではないだろうか。この「ふとんがふっとんだ」について、私なりの考えを述べてみたいと思う。


 私はよく、次のようなことを言う。

 「ふとんがふっとんだ」ってね、なんか寒いダジャレ筆頭みたいな扱いやけど、「ふとんがふっとんだ」は「ふとん」と「ふっとんだ」がかかってるの。そやから、そこを繋ぐのが「が」でなければならないということではないの。想像してみて。『ふとんとふっとんだ』──どう? おもしろくない?

 この気づきを得たのは、中学一年生の時分に遡る。


 当時、保健室は派手な生徒たちのサロンと化していて、私には居心地のいい場所ではなかったのだが、私は保健委員(正確には保健委員という名称ではなかったが、一般的ではない名称であり、個人の特定が危ぶまれるので、保健委員とする)だった。

 月に一度の委員会の開催を、開催場所である保健室で待っていた時、保健室には、保健委員である生徒のほかに、同じクラスのAちゃんとBくんがいた。AちゃんとBくんは、保健室サロンの常連だった。二人は別の委員会に属していたが、遅刻するつもりだったのだろう、気が置けない会話を続けていた。

 ふと、保健室の窓から見える位置に干されていた保健室のシーツが風に煽られた。

 保健委員の一人が「うわーまさに『ふとんがふっとんだ』やん!」と声を上げた。養護教諭はシーツを拾うために外へ向かった。

 その時、Bくんが白けたふうに言ったのが、「ふとんがふっとんだって全然おもんないけど、ふとんとふっとんだっつったらおもろいんやんな」というセリフだった。

 裏付けを取ることはできないがおそらく、Aちゃんも保健委員の面々も発言者でありBくんさえ、この時ことをしっかりと記憶してはいないだろう。AちゃんやBくんにとっては「中学時代はよく保健室でくだらないこと喋ってたな」に集約されるだろうし、保健委員の面々にとっては「中学時代、人数すくなかったから全員委員会に入らないとならなくて、保健委員やったなー。保健だより書くのがめんどくさかった」くらいのものだろう。保健だよりのことも記憶していないだろうか? 別段特別でもないあれこれをきのうのことのように憶えている自分が異常らしいことにはそろそろ気づいているが、一般的にどの程度なら記憶しているものなのかがわからない。

 話が逸れたが、この件はすくなくとも私には「別段特別でもないあれこれ」ではなかった。雷にうたれたような──うたれたことはないし、雷にうたれたらさすがにもっと大ごとだろうが──出来事であった。

 そう、「ふとん」「ふっとんだ」が維持されるなら、そこを繋ぐ格助詞は何が採用されてもいいのだ。


ふとんがふっとんだ

ふとんにふっとんだ

ふとんへふっとんだ

ふとんとふっとんだ

ふとんからふっとんだ

ふとんまでふっとんだ

ふとんよりふっとんだ

ふとんでふっとんだ


 「より」は「から」のように「ふとん」が出発点であることを示しているようでもあり、「ふとん」を相手にふっとび具合を競っているようでもある。

 「ふとんでふっとんだ」は空飛ぶ絨毯を連想させる。

 「ふとんへふっとんだ」「ふとんにふっとんだ」「ふとんまでふっとんだ」は、だれしも経験があるのではないだろうか? 疲れ果てて自らふとんを求めてふっとんだのか、ふとんのそばで投げ技をかけられたのか。

 なかでもやはり、ふとんもろともふっとんでいる「ふとんとふっとんだ」は私の一押しである。

 しかし、ここで読者諸賢は「ふとんがふっとんだ」が高い知名度を持つべくして持っている必然に気づかれたことだろう(これを読み出すよりはるか昔に既にお気づきかもしれないが)。


 さまざまな格助詞への差し替えを試みたなかで、「ふとん」と話者とが分離するかたちで「ふっとんだ」状態となっているのは、「ふとんがふっとんだ」「ふとんからふっとんだ」「ふとんよりふっとんだ」の三つ。

 そのうちの二つ「ふとんからふっとんだ」「ふとんよりふっとんだ」に於ける「話者とふとんとの分離」は話者の行動によることが読み取れる。

 つまり、話者の意思や行動の及ばないところで「話者とふとんとの分離」が生じているのは唯一、「ふとんがふっとんだ」のみ。


 繰り返すが、「ふとんがふっとんだ」は、寒いダジャレの筆頭だ。

 「寒い」とは【気温が低くて不快な感じがする。体が冷えてあたたまりたい感じがする。(三省堂『スーパー大辞林3.0』より)】という意味である。

 「ふとん」が「ふっとんだ」から「寒い」のだ。

 それは、「ふとんがふっとんだ」は「寒い」と評されることを見越している、という意味を持つだろう──「ふとんがふっとんだ」「寒いこと言うなや」「ほんまにな、ふとん無しではおられんわ」──寒いと評されることで真価を発揮するダジャレであると言ってもいい。


 なお、「ふとんとふっとんだ」では、ふっとんだ先でもふとんと共にある。ぬくぬくのダジャレである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

思考に潜行する こうやまゆたか @popin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る