海水浴
建物の中は質素ではあるが広く掃除が行き届いていた。相川さんはヤバい奴だが腕は確かなようだ。ヤバい奴だが。
入って最初にしたのは部屋割りだ。二人一部屋ということで、それぞれペアを組まされた。なぜか俺はバカと組む羽目になり、一悶着あったがここでは割愛しよう。
指定された部屋に荷物を置いてからラウンジに全員集められる。
「皆、長い船旅ご苦労だった。特に何の問題もなくここまで来れたことを嬉しく思う」
まず最初にヤーさんは労いの言葉を口にした。
「さて、本来であれば君たちには今すぐにでも自室に籠って執筆に勤しんでほしいところだが、船旅で心身共に疲弊した状態ではあまり集中することもできないだろう」
ヤーさんの言うことは最もだ。俺もスタンガンで気絶させられたり、数回海に投げ出されかけたりと色々あってかなり疲れている。許させるのなら、このまま部屋のベッドに飛び込んで寝てしまいたい。
「良い作品というのは、万全の状態でないと書くことができない。なので執筆は明日からにして、今日一日は自由に羽を伸ばしてくれ」
「「「「うおおおおおおおお!」」」」
沸き上がる歓声。ラウンジの作家全員が、地獄の執筆が延期されたことに歓喜の表情を浮かべる。
「……おかしい」
だが俺だけはこの状況を手放しに喜ぶことができない。少し考えれば分かることだが、スタンガンが人を気絶させたり、人を海面に投擲しようとするような連中が作家の状態を気にするか?
答えはNO。きっと俺たちが浮かれてる間に何か仕掛けてくるはずだ。
例えばどこか……地下なんかに監禁して原稿を書かせ続けるとかな。……本当にありそうなので笑えない。
「ちなみに、この島の周囲の海は特に危険な生物はいないらしい。もし泳ぎたいのなら相川さんに言ってくれ。彼がビーチまでの案内や水着を準備してくれる」
「…………」
とりあえず編集者たちの陰謀は置いといて佳澄ちゃんを探しに行こう。そして言葉巧みに海まで誘導して水着JSの撮影を……!
ヤーさんが海の説明をしたことにより盛り上がる作家たちを掻き分けて、佳澄ちゃんを探す。
しかし佳澄ちゃんが小柄なのもあってか中々見つからない。しばらく周囲を見回していると、背後から声をかけられる。誰かと思い振り向くと、そこにはヤーさんと佳澄ちゃんが立っていた。
「菱川君、君に一つ頼みがある」
「ヤーさんが俺に頼み?」
このヤクザは普段から人に強制することはあっても頼むことはない。そのヤーさんが今俺に何か頼もうとしている。何か企んでる可能性大だ。警戒しておこう。
「実は君には佳澄を――」
「オーケー任せろ」
「……まだ話は途中なんだが?」
しまった。ついうっかり。どうも俺はJSのこととなると少し熱くなってしまう。反省しなくては。
「じっくり佳澄が海で泳ぎたいと言ってね。しかし私は、この後仕事があるため佳澄を見ていられない。君には佳澄を見ていてほしい。もちろん君には報酬を出そう」
「報酬?」
「君が佳澄を撮影することを許可しよう。もちろん公序良俗に反さない範囲でだが。それと君が撮った写真の一部を私に融通――」
「よし佳澄ちゃん早速海に行こうか」
「うん、お兄ちゃん!」
ヤーさんが何事か呟いてたが、俺はガン無視して佳澄ちゃんと仲良く二人でラウンジを出て行くのだった。
「遅いな……」
俺は現在、砂浜で海を眺めていた。別に海を眺めるのが趣味というわけではない。他の奴らを待っているのだ。
ヤーさんからの許可を得た後、佳澄ちゃんと二人きりで海に行くつもりだったが紅葉と華恋、ついでにバカも付いてくると言い出した。
正直邪魔でしかなかったが、特に紅葉が俺と佳澄ちゃんが二人きりになることを頑なに拒んで強引に付いてきてしまった。
ビーチには更衣室が建てられていたので、着替えはそこで行った。俺は男なので女に比べると着替えが早いのは当然。バカに関しては暑苦しい白スーツとマントで脱ぐのに手間取ってた。
更衣室を出る際に『好敵手よ、マントを脱ぐのを手伝ってくれ!』と抜かしていたが無視した。何が悲しくて男の着替えを手伝わなくちゃいけないんだ。
「師匠!」
「うお……!」
突然耳元に大声で叫ばれ、情けない声をあげながら振り向く。
「何だ華恋か……驚いたぞ」
「えへへ、ごめんなさい師匠」
華恋は謝罪しつつもヘラヘラと笑ってる。何だ、気色悪いな。
「師匠師匠! 私の姿、どうですか?」
「どうって……水着だな」
特別変わったところのない、どこにでもあるような水着だ。
「そういうことを訊いてるんじゃありません!」
ぷくっと頬を膨らませる華恋。いったい何が不満なんだ?
「師匠は女心というものを全く分かってませんね! もう知りません!」
なぜか怒りながら、華恋は海の方へ歩き去ってしまった。俺、何か悪いことをしたか? 何もしてないと思うが……。
「何か華恋が怒ってたけど、あんた何したのよ?」
呆れ混じりの言葉を吐きながら、華恋と入れ替わりで紅葉が俺の前までやってきた。もちろん水着姿で。
「俺に訊くな。あいつが勝手にキレてどこかに行っただけだ」
「華恋が意味もなくキレるわけないでしょ。あんた本当に何もしてないの?」
「だからしてねえよ。少しは幼馴染の言うことを信用しろよ」
「幼馴染だから信用できないのよ。あんたデリカシー皆無だから」
失礼な。俺をそんなラノベの主人公みたいなクソ野郎と一緒にしないでほしい。俺はそういった女性の機微には聡い方だと自負している……JS限定だが。
「あんたのことだからどうせ、華恋の水着を見てロクでもないこと言ったんじゃないの?」
「華恋の水着? 俺はあいつの水着に関して何も言ってないぞ?」
「……ちょっと待って。何も言ってないって、本当に何も言ってないの? 可愛いとか似合ってるとか」
「言ってないな」
「……華恋が怒ってた理由がよく分かったわ」
なぜか紅葉が俺を虫けらでも見るような目で見てくる。俺は何かおかしなことをしたのだろうか?
「あのね透。華恋が怒ってたのはあんたが華恋の水着姿に対して何も言わなかったからよ」
「何でだよ? 余計なことを言ったわけじゃないのにキレるとか、意味不明だろ」
「女の子っていう生き物はいつだって可愛い、綺麗だって褒められたいものなの。それをあんたときたら……」
紅葉は額に手を当てて沈痛の面持ちだ。別に俺は悪くないと思うんだが……つうか、女というのはそんなに面倒な生き物だったのか。俺は今後、女とは関わりのない人生を歩んだ方がいいかもしれない。JSは別腹だが。
「仕方ないわね。……せ、せっかくだから少し練習しましょう」
「練習?」
「こ、今後こういったことが起こらないようにするために、まずは私の水着姿を褒めてみなさい」
「お前の水着姿を? 面倒臭いんだが……」
「いいからやる! じゃないと海に沈めるわよ?」
半ば脅迫に近いが、そこまで言われては仕方ない。俺は紅葉の水着に視線を移す。
紅葉の水着は赤の首の後ろで結ぶタイプものだ。確かホルターネックのビキニだったか? 赤という色は強気な紅葉によく似合ってると思う。断崖絶壁の胸以外は特に問題はないように見える。
「……三十点だな」
「あはははは。透、誰が点数付けろなんて言ったかしら?」
「い、いやだって誉めろって言ったか――痛い痛い痛い痛い! アイアンクローはやめてくれ!」
ず、頭蓋骨が変形する! 俺の美形が崩れてJSにモテなくなったらどうしてくれるんだ!
「JSでもないのに百点満点中三十点もやったんだぞ! いったい何が不満なんだ!?」
「全部よ! どこの世界に点数を付けられて喜ぶ女がいるのよ!? 私は褒めろって言ったのよ!」
俺の顔面を掴む手に力を込める紅葉。メキメキと愉快な音が鳴って超絶痛い。
「わ、分かった! もう一度だけ、もう一度だけチャンスをくれ! しっかりと褒めるから! あと手を放してくれ!」
「……次はないわよ」
言いながら、紅葉は俺の頭から手を放す。
痛みから解き放たれた顔面をまさぐるが特にどこか変形したということはない。……良かった。JSにモテなくなるという未来は回避できたようだ。
今度はミスをしないよう、先程以上に紅葉の水着を観察する。
「う……そんなにジロジロ見ないでよ」
人に褒めろと言ったくせに今度は見るなか。何ともメチャクチャな言い分だな。まあ無視するが。
その後も俺は数分に渡って紅葉を見た。JSなら褒め言葉は湯水の如く浮かんでくるが、それ以外が相手だと難しいな。
しかし数分見た甲斐もあり、紅葉にかけるべき言葉は見つかった。それは、
「まるで今にも飛行機が着陸しそうなほどの真っ平らな胸に赤の水着がよく――ぐぴゃッ!」
「一回死になさい!」
紅葉の振るった拳が頬を寸分違わず打ち抜く。
無様に宙を舞いながら、いったい紅葉は俺の褒め言葉の何が不満だったのかと考えた。しかし答えは出ることなく、俺の意識は暗転するのだった。
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