バカの担当

「ご、ごめんね、マー君!」


 水攻めによって気絶していたバカが目を覚ますと同時に、女性が両手を合わせてバカに謝罪する。


「気にしなくてよい。我は寛大だからな。あとここではマー君呼びはやめてくれ」


「本当にごめんねマー君」


「いや、だからマー君呼びはやめて……もういいです」


 どこか悟ったような表情になるバカ。一応薬を飲んだので顔色は良くなってるはずだが、なぜか疲れ切ったような顔をしている。


 だが俺としてはバカがどうなっていようと関係ない。


「おいマー君。その人は誰だ?」


「マー君ではない、バカだ! ……あ、間違えた。バルカス=カタストロフだ!」


「お前がマー君だろうとバカだろうとどうでもいいから、さっさとその人のことを紹介しろ」


「どうでもいいわけがあるか! いいかよく聞け! そもそも我の――」


 バカが何か語り始めたので、無視して女性の方に視線を送る。すると、こちらの意図を察したのだろう。女性が口を開く。


「初めまして。私はマー君――じゃなくて、バル……何とかの担当編集を務めています、香坂こうさかしずくです。そちらはもしかして、JS太郎先生ですか?」


「は、はいそうですが……どうして俺のことを?」


 相手は今日初めて会った人間だ。当然俺のことも知らないはずだが……。


「実はですね、マー君はよく私に先生の話をしてくれるんですよ」


「俺の話……?」


「いつもたくさん話してくれるんですよ? 例えばこの前も――」


「それ以上は言わせんぞ!」


 具体的な話をし始めた香坂さんの言葉を遮るバカ。邪魔をするということは、聞かれたくないようなことを言ってないのだろう。


「もう、ダメよマー君。お姉ちゃんは今、先生と大事な話をしてるんだから」


「う……すまぬ」


 軽く叱られただけなのに素直に謝るバカ。おかしい……普段のこいつならこの程度で謝ったりはしないはずだ。もしや、船酔いの後遺症でおかしくなってしまったのか? ただでさえ頭がアレなのに……不憫な奴だ。


「ん……? お姉ちゃんということは、二人は姉弟きょうだいなのか?」


「はい一応。ただ血は繋がってないので、義理ですが」


「へえ……ちなみに、一緒の家で暮らしてたりは……」


「はい、一緒の家ですよ。両親は共働きなので基本的に家にいるのは、私とマー君だけですけど」


「なるほど……」


 義理の姉弟が一つ屋根の下二人きり。それに見たところ香坂さんはまだ若い。二十代前半と言ったところだろう。


「それ何てエロゲ?」


「エ、エロゲーちゃうわ!」


 動揺してキャラのブレたツッコミをするバカ。一応エロゲーっぽいシチュエーションだという自覚はあるみたいだ。


「どうしたのマー君?」


「な、何でもない! 何でもないから気にする必要はないぞ!」


「そう? ならいいんだけど……」


 明らかに雑な誤魔化し方だったが香坂さんはあっさりと引き下がる。


 そこで俺はあることを思い出した。


「あ、そういえばお前に一つ訊きたいことがある」


「我に訊きたいことだと? くっくっく、何でも訊いてくるがよい。我に答えられる範囲でなら答えてやらんこともない」


 落ち着きを取り戻したバカの偉そうな態度が鼻につくが、今は耐える。


「この船の目的地を知ってるか?」


 とりあえず今一番知りたいのは、この船がどこに行くか。もし行き先がヤバいところなら、ここから飛び降りて泳いで帰ることも覚悟しなければならない。


「何だ、貴様は知らないのか?」


「俺は担当に気絶させられて、無理矢理ここに連れてこられたからな」


「そ、そうか。それはその……大変だったな」


 ……妙にバカの言葉が心に染みるのは気のせいじゃないはずだ。


「目的地の説明をするのは構わないが、先に言っておく。驚くなよ?」


「あ、ああ、分かった」


 普段からアレな言動ばかりしているバカが、妙に真面目な顔で言ったので少したじろぐ。もしかしたら、俺の想像もつかないようなところに行くのだろうか?


「この船が向かう先。それは――異世界だ」


「…………」


 常々バカだとは思っていたがここまでとは……もしかしたらこいつのバカさ加減は、現代医学でも治せないレベルなのかもしれない。


「ふ……驚きのあまり声も出ないか」


「ああ、驚きのあまり言葉を失ったよ」


 お前の頭の悪さにな。


「む……何だ、そのバカでも見るような目は?」


「実際にバカを見てるからな」


「失礼な。知的な我のどこがバカだというのだ?」


 むしろこいつはどうして自分がバカじゃないと錯覚しているのだろう? こいつは知的よりも恥的がお似合いだ。


「まあお前がバカなのは今更だから置いておくとして……お前、騙されてるぞ」


「騙されてる? 何がだ?」


「この旅行の行き先が異世界って話だよ」


「何を言うのかと思えば……我がそのような戯言に騙されると思っているのか?」


 現在進行形で異世界という戯言に騙されてる奴の言葉とは思えないな。


「お前、そこまで言うからには何か根拠があるんだろうな?」


「ふ、無論だ。これを見てみるがいい」


 そう言ってバカは白スーツの内側からスマホを取り出し、その画面をこちらに見せる。


『件名:マー君へ』


『異世界の門が開きました。一週間後にその門を使って異世界へ行く予定なので、時間があれば来てください。 担当編集、香坂雫より』


「どうだ? これ以上ない証拠だろう!」


 ドヤ顔を浮かべるバカ。


 こんなものを信じられるなんて、こいつの脳内こそがある意味異世界なんじゃないだろうか?


「どう考えてもお前を釣るためのエサだろ」


「そんなはずはない! そうだな担当!?」


 バカは同意を求めるように香坂さんを見るが、


「あ、あはは……」


 苦笑を浮かべながら明後日の方向を見て、バカとは決して目を合わせようとはしない。


「やっぱり騙されただけじゃねえか」


「違う! そんなはずはない!」


 騙されたという事実を断固として認めようとしないバカ。面倒臭い。


 未だに認めようとしないバカを前に、どうしたものかと頭を悩ませていると、


「まったく。君たちはどこにいても騒がしいな」


 どこか呆れたような呟きを漏らしながら、我らがゴロゴロ文庫編集長、ヤーさんが歩み寄ってきた。


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