バカ、再び

 担当からヤーさんが旅行の責任者だと聞かされてから、十数分の時が経過した。


 担当は用事があるからと言い残してどこかへ行き、紅葉はこの船を見て回りたいとのことで担当と同じくどこかへ行った。


 そんなわけで、俺は華恋と二人で海を眺めていた。


「……おい華恋」


「何ですか、師匠?」


 純粋な目で俺を見てくる華恋。最後に会ったのはかなり前だが、相変わらず人懐っこい奴だ。……それはそれとして、


「お前、どうして俺の腰に抱きついてくるんだ?」


「会えなかった間の分の師匠ニウムを補給するためです。力いっぱい抱き締めることで摂取量も上がります」


「なるほど……意味が分からん」


 師匠ニウムって何だ?


「意味不明だが、とりあえず離れろ」


「嫌です。せっかく久々に師匠に会えたんです。あと三時間はこのままでいます!」


「いいから離れろ、暑苦しい。大体、お前何でこのクソ暑い中セーラー服なんか着てんだよ。暑くないのか?」


「師匠の前に出るのですから正装が当然です! それに暑さに関しても、師匠に抱きつけるのならこの程度全く苦になりません!」


 言いながらもダラダラと汗を垂れ流してる辺り、ただ我慢してるだけで一応暑くは感じてるようだ。


 ……しかし、今の発言でこいつの中での俺の立ち位置が非常に気になってしまった。答えが怖いから何も訊かないが。


「それにしても……綺麗だな」


「え……!?」


「いや、お前じゃないから」


 頬を染める華恋にツッコミながらも、視線は海に固定する。


 海を直接見たのは初めてだが中々綺麗だ。昔からなぜリア充共はこのクソ暑い中海に行きたがるのか疑問だったが、これほど美しいのならこんな真夏でも見たくなるのも納得だ。


 俺もいつかJSの彼女を連れて、この大海に来てみたいものだ。 


「師匠師匠」


 俺が感傷に浸っていると華恋が肩を揺すってきた。


「何だよ華恋? 俺は今、海を見るのに忙しいんだが」


「そんなことよりあそこ見てください。ほらあそこ」


「…………?」


 訝しく思いながらも、華恋が指差した方を見る。するとそこには、


「おろろろろろろろろ!」


 俺が先程まで美しいと感じていた大海に、吐瀉物をぶちまける見覚えのあるバカがいた。


「おろろろろろろろろ!」


 白スーツに白マント。相変わらず頭の悪い格好だ。バカは例え夏であっても平常運行なのがよく分かる。


「……見なかったことにしよう」


 なぜここにいるのか? この旅行がどういったものか知っているか? などなど様々な疑問が頭をもたげたが、関わってもロクな目に遭わないことは分かり切っているので諦める。


「でも具合悪そうにしてますよ?」


 しかし華恋は放っておけないようで、心配そうにバカを見ている。


「具合以前に頭が悪いから大丈夫だって。バカと具合が悪い、この二つのマイナス要素をかければプラスになる。そうなればきっと体調も良くなるさ」


「師匠、マイナス同士をかけてプラスになるのは数学の世界だけです」


 手厳しい華恋の指摘に俺は顔をしかめる。


 だが華恋の言うことも事実だ。バカと具合が悪いの二つをかけても、生まれるのは具合の悪いバカだけ。丁度あそこでもんじゃ焼き製造機になってる奴のように。


「せめて声をかけるだけでもいいですから。ね?」


「……声をかけるだけだぞ」


 一度溜め息を吐いてから、バカの元へ歩み寄る。


「おいバカ、大丈夫か?」


「む、その声はまさか……好敵手ともか?」


 手すりに乗りかかり、海面へと顔を向けていたバカが俺の声に反応して振り返る。


「やはりそうか。久しいな好敵手よ」


「ああ、久しぶりだなバカ」


「バカではない! 相変わらず貴様は人の名を覚えない男だな! ……仕方ない、特別にもう一度聞かせてやるとしよう」


「いや結構です」


 俺は断りを入れるが、バカは聞く耳を持つことなく続ける。


「よく聞くがいい! 我が真の名は、バル――おろろろろろろろろ!」


 カッコ良くキメようとしたのだろうが、途中で我慢できなくなり海へと全て吐き出すバカ。ここまで来るといっそ哀れだ。


「お前、本当に大丈夫か?」


 流石にこんなに勢い良く吐いてると心配になってくる。よくよく見ると顔も青白い。


「も、問題ない。我はバルカス=カタストロフ。こんなことで折れるような軟弱者では――うぷッ」


 口元に手を当てて吐くのを我慢するバカ。問題しかないように感じるのは、俺の気のせいだろうか?


「くっ……船に乗ってからずっと吐き気が収まらん。これはもしや、我の命を狙う刺客の仕業か!?」


「ただの船酔いじゃねえか」


 心配して損した。


「これが船酔いだと? バカを言うな! この頭痛と吐き気が船酔いのはずがあるか!」


「むしろ船酔い以外に何があるんだよ」


「きっと組織からの刺客が我の命を――」


「聞いてるこっちまで頭が痛くなるような発言はやめろ。バカが伝染うつる」


 真に心配すべきは、こいつの体調ではなく頭だな。


「とりあえず酔い止めでも飲んどけ。華恋、お前酔い止め持ってないか?」


「持ってますよ」


 華恋は肩からかけていた大きめのショルダーバックから、酔い止めを取り出す。


「ほら、早くこれを飲め」


 華恋から受け取った酔い止めをバカの眼前に突きつける。しかし、


「これは船酔いではない。組織の手の者が我を狙っているのだ。従って我にはそのような薬不要だ!」


 頑なに薬を受け取らないバカ。もうこのまま放置してもいいかな?


「マー君――――!」


 バカの相手をするのにうんざりし始めたその時、どこからか甘ったるい女性の声が聞こえてきた。


「…………!?」


 同時に、バカの肩がこれ以上ないほど上下に揺れる。


 声のした方を見ると、先程の甘ったるい声の主であろう女性がこちらに、より正確にはバカの元に小走りで近づいてきた。


「…………!」


 黒のスーツという色気のない格好だが、女性の二つの熟した果実が凄い勢いで上下することで何かイケナイ気分になってしまう。


 俺はJS愛好家。決して大きいだけの惰肉に心を奪われるような男じゃない。しかし俺の中に眠る男としての本能はどうしても、そのたわわに実った果実を目で追ってしまう。


「師匠?」


 俺の本能の部分がしたことなので、そんな冷え切った目を向けないでほしい。


 そんな俺たちのやり取りに目を向けることもなく、女性はバカのすぐ側まで駆け寄った。


「マー君大丈夫!?」


「だ、大丈夫だ。だから我の肩を揺するのはやめてくれ……」


 ガクガクと肩を揺さぶられながらも、バカが切実に訴えるが女性は止まらない。


「酔い止めの薬もらってきたから、早く飲んで!」


 女性がスーツの内ポケットから取り出した錠剤をバカの口に強引に突っ込む。


「むぐ……!?」


「はいお水!」


「ぶぼあ!?」


 次に女性は、薬を持っていた手とは逆の手にあるペットボトルをバカの口に突っ込んだ。


「……! ……!?」


 バカが女性の肩を何度も叩くが、女性は手を止めない。そして、


「…………」


「あれ? マー君?」


 バカは白目を剥いて気絶するのだった。哀れなり、バカ。

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