騙された

 ――それは、旅行当日の早朝のことだった。


 まだ空は暗く日の光の一筋も差さないような時間帯に、俺はリュックサックを背負いゴロゴロ文庫のあるGL社ビルの前にいた。


 当然ながらビルの明かりはついていない。そもそも俺がビルの前にいるのは、ここを待ち合わせ場所に指定されたからだ。従って、ビルの中がどうなっていようと関係ない。


 待ち合わせの時間まで、まだ余裕があったのでスマホをイジりながら待つ。しばらくすると、人の足音が聞こえたのでそちらを見る。


「おはようございます、先生」


 担当が俺の元まで歩み寄りながら、軽い挨拶を口にする。


「ああ、担当か。おはよう」


 俺が軽く応じると、担当はいきなり反転した。


「先生、私に付いてきてください。旅行先へは船での移動になりますから、まずは東京湾まで行きましょう」


「待てよ。俺以外の奴が来てないぞ」


 待ち合わせ場所には俺と担当以外誰もいない。旅行は自由参加ではあるが、だからといって俺以外に参加者がいないということは流石にないだろう。


「問題ありません。元々ここには、先生しか呼んでませんから」


「は……? それはいったいどういう――」


 俺が言い終える前に背を向けていたはずの担当が懐に潜り込んでいた。


「…………!?」


 動揺しながらも身構える俺だが一歩遅かった。次の瞬間、担当は俺の胸元に黒い物体――スタンガンを押し付けた。


「ふぎゃああああああああ!」


 とてつもない衝撃が全身を駆け抜け、俺の意識はそこで途切れた。






 そして目が覚めると俺は船の甲板に立っていた。


 天候は快晴。雲一つなく夏の強い日差しが降り注ぐ青空の元、俺は船の甲板で溜め息を吐く。


 当然船の周囲は空よりも深い青色の海に囲まれている。時折吹く風に乗って鼻腔をくすぐる潮の香りが、ここが海であることをより強く実感させる。


 本日は先週から予定されていた旅行当日。JSと戯れることができるこの日を、俺はずっと楽しみにしていた。


 あまりにも楽しみすぎて、この一週間はJS断ちをしていたほどだ。


 しかし、今の俺は旅行が実現したことを素直に喜べない。今の俺の心情を表す言葉があるとすればそれは、


「クソがああああああああ!」


 この一言に尽きる。


 同じく甲板にいた数人が俺に奇異の視線を注ぐが、そんなことはどうでもいい。今の俺は叫ばずにはいられない心情なのだから。


 いきなりスタンガンで意識を奪われたかと思えば、目を覚ますと船の上。これが叫ばずにいられるだろうか? 答えは否だ。


「いきなり叫び声をあげてどうしたんですか、先生? 病気ですか?」


「お前、よく俺の前にその面を出せたな」


 さも当然のように現れた担当に、俺は殺意を込めた瞳を向ける。


「はて? 私は何か先生を怒らせるようなことをしましたか?」


「思い切りしてただろ! 人をいきなりスタンガンで気絶させやがって! 旅行ってのは嘘だったのか!?」


「別に嘘を吐いたわけではないですよ。今からちゃんとこの船で行く予定です。スタンガンに関しては、まあ……締め切りを破ったペナルティということで」


「ふざけんな!」


 どこの世界にペナルティと称してスタンガンを当てるバカがいるんだ。……いたわ、目の前に。しかも普段は心底楽しそうに鞭を振るってるし。


「……スタンガンに関してはもういい。それよりも、旅行の行き先はどこだ?」


 具体的な場所は聞いてなかったので、この機会に確認する。


「行き先ですか? それは――」


 担当が行き先について口を開いたその瞬間、


「師匠!」


 どこぞの自称弟子の声が聞こえてきた。


 声のした方を振り向くと案の定、イカレJCの華恋がこちらに向かって駆けていた。夏休みだというのになぜかセーラー服を着ており、見てるだけで暑苦しい。


「会いたかったです、師匠!」


 地を蹴り飛び付こうとする華恋。そんな彼女に対して俺は――横に飛び退き回避行動を取った。


「ふぎゃ……ッ!」


 俺に避けられた結果、後方の手すりに頭突きをかます華恋。


「な、何をするんですか師匠!?」


「それはこっちのセリフだアホ」


 涙目で頭に手を置きながら抗議する華恋に、俺は冷めた視線を送る。


「――もう、何してるのよ華恋」


 今度は聞き慣れた幼馴染の声が聞こえたので振り返ると、これもまた予想通り、幼馴染の紅葉がいた。こちらはデニムの短パンに肩口まで露出した白服と、大分涼しい格好だ。


「紅葉まで……お前ら、何でこんなところにいるんだよ?」


「何よ、私たちがいたら悪い?」


 どこか強気な瞳で訊き返す紅葉。怖いのでそんなに睨まないでほしい。


「べ、別にそうは言ってねえよ。ただ、今回は作家のための慰安旅行だって聞いてたからな。お前らがいるのはおかしくないか?」


「作家のための慰安旅行? あんた何言ってるのよ。この旅行は――」


「紅葉さん、そこから先はまだご内密に」


 何か重要なことを言いかけた紅葉を担当が口止めする。そして当然ながら、俺はそんな担当の行動に違和感を覚えた。


「おい待て、何か嫌な予感がするぞ。……なあ担当、さっきは訊きそびれたが、旅行の行き先はどこなんだ? まともなところなんだよな?」


「…………」


「せめて何か言えよ!」


 無言は一番不安を煽るのでやめてほしい。マジで。


「大丈夫です。死ぬことはありません」


「おい、それでどう安心しろと? 不安が高まっただけじゃねえか!」


 最早JSがいるのかすら怪しいこの旅行。俺の心には不安しか残ってない。


「私から教えせずとも、時期に編集長から説明があります」


「ヤーさんから? ヤーさんも来てるのかよ」


「ええ、もちろん。編集長は今回の旅行の責任者ですから」


 ヤーさんが責任者と聞いて、俺の不安はこれ以上ないほど増すのだった。

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