ヤクで始まってザで終わるアレ

 警備員のおっさんに一時間たっぷりとお説教された後、俺と華恋はようやく目的の応接室に到着した。


 軽くノックしたが返事がなかったので中を覗いてみると、長机を挟むようにして四つの一人用のソファーが二つずつ並んでいた。


 前に来た時と変わらない光景。しかし、


「呼び出した本人がいないって、どういうことだ?」


 なぜかヤーさんの姿が見当たらなかった。


 ゴロゴロ文庫編集部は階こそ違うが同じビルにあるので、俺より遅れることはない。もしかしたら、何か不測の事態が起こったのかもしれない。


「誰もいませんね。どうしますか、師匠?」


「そうだな……」


 正直このまま帰りたいところだが、ここで帰ったら十中八九担当が迎えに来るだろう。あのドSのことだ。絶対にまともな方法で迎えに来るはずがない。俺がロクでもない目に遭うのは確実だ。


 それなら、多少面倒ではあるがヤーさんが来るのを待った方がいい。


「とりあえず、中で待つとするか……」


 俺は華恋と共に部屋に入ってソファーに座る。


 そこから三十分ほど待ち続けたが、やはりヤーさんは来なかった。


「来ないですね……」


「だな……」


「本当に来るんですか?」


「ヤーさんは約束をすっぽかすような人間じゃないし、大丈夫だろ」


 俺の知るヤーさんは、一方的に約束を反故にするような人間ではない。来れないなら来れないで連絡くらい寄越すはずだ。


「ところで師匠。そのヤーさんという方はどんな人なんですか?」


「何だお前。ヤーさんに興味が湧いたのか?」


「はい。師匠が人のことを渾名で呼ぶのは、珍しいと思いまして……」


「あー……確かにそうだな」


 華恋の言う通りだ。俺が他人を渾名で呼ぶことなんて滅多にない。というか、ヤーさんだけだ。ちなみに、あの中二病患者に付けたのは渾名ではなく蔑称。ここのとこ、微妙に違うので勘違いはしないでほしい。


「ヤーさんはそうだな。ゴロゴロ文庫の編集長で……まあ、顔がちょっとな……」


「顔がどうなんですか?」


「口で説明してもいいが……実際に見た方が早いかもな」


「…………?」


 華恋は俺の言葉の意味が理解できなかったのか、首を傾げる。


 更にそこから数分ほどした頃、不意に部屋のドアが開かれた。そして部屋の中に、俺の見知った顔が現れた。


「遅いぞヤーさん」


「すまない。随分と待たせてしまったようだな。あと私はヤーさんではない。矢沢だ」


「ったく、今まで何してたんだよ?」


「私の話は無視か……まあいい。ちょっと外に用事があってね。そちらに解決に時間かかってしまったのだよ」


「おいおい。呼び出したのはそっちなのに、俺のことは後回しかよ」


 少し意地が悪い気もするが、待たされた身としては文句も言いたくなる。


「……君の言う通りだ。こちらの都合で振り回してすまない」


 ヤーさんが深々と頭を下げる。言い訳の一つもせず、素直に謝罪するのは素直に好感が持てる。


「その謝罪に免じて、今回はだけは許してやる。それで? どういった用件で俺を呼んだんだ?」


 一方的に来るように言われただけで、俺は肝心の用件を聞いていないのでヤーさんに訊ねる。


「そういえば説明してなかったな。説明するのは構わないが……例のJCは連れてきてくれたか?」


「もちろん。ちゃんと連れてきたぞ。こいつでいいんだよな?」


 隣に座る華恋に視線を移す。しかし、


「華恋?」


 なぜか青白い顔で生まれたての小鹿のように震えていた。


「ど、どうした華恋? 大丈夫か?」


 ただならぬ様子の華恋に声をかける。


「は、はい、大丈夫です。大丈夫ですが……師匠、その人は?」


「俺の所属するゴロゴロ文庫の編集長、ヤーさんだ」


「矢沢だ」


 ヤーさんが何か言ってるが無視だ。


「へ、編集長さん……ですか?」


 猜疑心に満ちた瞳がヤーさんに向けられている。どうやら、俺の説明を受けても納得してないようだ。


「あの……失礼ですが、本当に編集長さんですか? ヤクで始まってザで終わる怖い職業の人じゃありませんか?」


「…………」


 ヤーさんは無言で天井を仰ぎ見る。その様は、まるで涙を堪えてるように見えた。


 ちょっとヤーさんのことが可哀想にも見えるが、華恋の言ってることも分からないではない。


 レスラーを彷彿とさせるガッチリとした身体。着ているものはよく見る黒のスーツだが、レスラーの如し体格のせいで見る者に圧迫感を与える。


 顔は眉間に深い皺が刻まれ、瞳は猛獣のような鋭さを放っている。


 正直、カタギの人間には見えない。ヤクザ、もしくは指名手配中の凶悪犯にしか見えない。


 俺も初めてヤーさんと会った時は、情けない悲鳴をあげたものだ。ちなみに、ヤーさんという渾名は名字ではなくヤクザのヤの字から付けたものだ。


「安心しろ華恋。見た目はアレだが、心は三十七のただのおっさんだ。見た目はアレだが」


「外見に関してだけ、なぜ二度も言う?」


「重要なことを二度言うのは当然だろ?」


 それがテンプレというものだ。


 閑話休題。


「とにかくだ、華恋。少なくとも、お前が考えてるほど物騒な人ではないから安心しろ」


「師匠がそこまで言うのなら……」


 口ではそう言いながらも、華恋の瞳にはまだヤーさんへの怯えが見え隠れしていた。


 初対面のJCにここまで恐れられるとは……流石はヤーさん。安定の凶悪犯顔だ。


 そこからしばらく気まずい沈黙が場を支配したが、その空気を変えようとしたのか、ヤーさんが口を開く。


「そういえば、まだちゃんと自己紹介をしてなかったな。私は矢沢晴信。先程菱川君が言った通り、ゴロゴロ文庫編集長をしている」


 自己紹介か。ヤーさんにしては中々いい案じゃないか。上手くいけば華恋と打ち解ける近道にもなる。


 自己紹介されたのだから、華恋も名乗らないわけにはいかない。恐る恐るではあるが、華恋の方も礼儀として自己紹介を始める。


「き、菊水華恋と言います。JS太郎先生の弟子です。……殺さないでください」


 ……時間が華恋の誤解を解いてくれるはずだ。そう信じるしかない。


 ヤーさんの方を見ると、両目から熱いものを溢していた。ヤクザ顔のヤーさんがやると、最早おとこ泣きだ。


 おっさんの泣き顔を見るのは、ある意味担当の鞭打ちよりも辛いものがある。


 しばらくするとヤーさんは漢泣きをやめ、口を開く。


「菱川君……君はいつから催眠術なんてものが使えるようになったんだ」


「あのさ、もしかしてあんたら打ち合わせでもしてるのか?」


 紅葉に始まり部長、担当、バカ、ヤーさん。全員、示し合わせたかのように同じリアクションをしていた。予め打ち合わせをしていたとしか思えない。


「何のことだ?」


「この期に及んでまだしらばっくれるか……」


 まあいい。さっきバカの顔面をボコボコにしたおかげで気は晴れてるしな。


「訂正させてもらうが、俺は別に催眠術なんて使えないし、こいつは弟子を自称してるだけだぞ」


「いずれ正式な弟子になる予定です!」


「そんな予定、未来永劫ねえよ」


 華恋も最近図々しさが増してきたように感じる。


「随分と仲がいいじゃないか。君のような変態がこんな可愛らしいJCに懐かれるとは、世の中分からないものだな」


「華恋に懐かれたことに関しては同感だが、変態は余計だ。つうか、さっさと用件を話してくれよ」


 いい加減、本題に入りたい。


「そうだな。実は君とそこの菊水君に会いたいという方がいらっしゃってね。悪いが一緒に来てくれないか?」


「俺と華恋に? いったい誰なんだよ?」


「説明するよりも、実際に会った方が手っ取り早い。付いて来てくれ」


 それだけ言ってヤーさんが部屋を出る。仕方がないので、俺と華恋もそれに追従した。





 

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