旅館の女将
ヤーさんに付いて俺たちが辿り着いたのは、GL社から五分ほど歩いたところにある喫茶店だった。
昼食を取る時間帯は過ぎてたが、そこそこに人が入っている。それなりに人気の店であることが分かる。
ヤーさんが先導して店に入る。
店内に入った瞬間、愛想のいい店員が客である俺たち――というかヤーさんの顔を見て悲鳴をあげたりしたが問題はない。ヤーさんが同伴ならばいつものことだ。
「知人が先に来ているはずだ。確か七番席だったか」
ヤーさんが話しかけると、店員は怯えながらも応じる。
「な、七番席ですね? ご、ご案内させていただきます!」
店員の先導で目的の席まで行く。するとそこには、冷たい空気を孕んだ黒の和服を着た女性と、ヤーさんほどではないが人相の悪い老人が並んで座っていた。
俺に会いたいとヤーさんに聞いてたので知り合いかと思ったが、俺の記憶にはない人物だった。まあ、JSのこと以外はまともに覚えられない俺の記憶など当てにはならないが。
「なあ華恋――」
もしかしたら華恋の知り合いかもしれない。そう思い華恋の方に振り向くと、華恋は視線を和服の女性に向けたまま固まっていた。
「今朝ぶりですね、華恋」
和服の女性が口を開くと、華恋の肩が大きく揺れた。
対して、名前を呼ばれた華恋は、
「お母さん……」
短い言葉を返した。
「私は菊水
「ワシは菊水
テーブル席で対峙する形で座る俺、華恋、ヤーさんの三人に、華恋の母親と祖父が会釈と共に軽い自己紹介をする。
改めて華恋の母親を見ると、母親と言うたけあって華恋にそっくりだ。ただ、雰囲気に関しては天真爛漫な華恋とは正反対だ。
祖父の方は少しおかしなことを言ってた気がするが、きっと老人特有ボケなんだろう。気にしないであげるのが優しさだ。
「お久しぶりですね、菱川透さん」
「…………!?」
唐突に、華恋の母親が知人のような口振りで俺に話しかけてきた。
「大体半年ぶりと言ったところでしょうか?」
半年という言葉に妙な引っかかりを覚えたが、記憶を遡っても目の前の女性の顔が思い起こされることはない。
もしや向こうが誰かと人違いしてるのではないかとも思ったが、顔だけならともかく名前まで同じような人間は存在しないだろう。
「あの……俺たちってどこかで会ったことありますか?」
自分だけで考えても答えが出ないため、こうして当人に訊くしかない。
「……私たちが初めて会ったのは、私が京都で経営している旅館『菊水』です。菱川さんは旅館に客としてお越しになったのですが、覚えていませんか?」
「旅館……?」
華恋の母親の言うことは、本当に真実なのか?
余程の理由がなければ、俺がわざわざそんな遠いところまで行くとは考え辛い。そう、余程の理由がなければ、
「……あ」
「菱川君、何か思い出したのか?」
思わず出た俺の間の抜けた声に、ヤーさんが反応を示した。
「な、何も?」
「本当か?」
「ああ、まったく覚えてないな。そもそも、何で俺がわざわざ京都の旅館まで行くんだよ? 理由が見当たらねえな」
「そうだな。確かに君は好き好んで遠出をするタイプには見えない。……それで? どういった理由で京都まで行ったんだ?」
……おかしい。今明らかに会話が変な流れに移行したぞ。
「あのさ、ヤーさん。俺何も覚えないって言ったんだけど……」
「君のような変態の言葉を信じるほど、私はお人好しじゃない」
ちょっと言ってる意味が分からない。さてはこのヤクザ、小学校で国語の勉強をしてこなかったな? 一レーベルの編集長がそんなことじゃ、これから先が不安だ。
「私も鬼じゃない。正直に言えば怒りはしない」
「……本当に?」
別に怒られるようなことはしてないが、一応確認する。
「私は嘘は吐かない」
「実は、京都にロシア人小学校が――」
「分かった、もういい」
せめて最後まで聞いてほしい。
「待ってくれ、ヤーさん。きっとあんたは誤解している。俺は確かにロシア人小学校に行ったが、全ては執筆のネタ集めのためなんだ! 誓って変なことはしていない!」
俺はただ、『JSは最高だぜ!』の四巻に登場させる金髪碧眼JSの資料集めをしただけだ。学校には無断で入ったが、校門に鍵がかかってなかったのだから、許可を取る必要はないということだよな?
学校に入った後は、もちろん盗さ――撮影だ。ちょっと本人の同意を得なかっただけで、決して盗撮ではない。
最初の数日は上手くいってたが、四日目辺りからなぜか警察が小学校周辺の見回りを始めたため、撮影が困難になった。
後半は完全に警察との鬼ごっこになったが問題ではなかった。唯一問題だったのは、持ってきたカメラの数が少なかったこと。
六十四ギガバイトのカメラ三台だけでは、JSの魅力を納めるには足りなかったようだ。
「俺はただ自分の作品をより良くするために――」
「変態行為に及んだと?」
「違う!」
完全に誤解されてる。俺のようなJSを愛する清い紳士を疑うとは……このヤクザには人情というものがないのだろうか?
「前々から思っていたが、君は異常だ」
「違う! 異常なのは俺じゃくて、JSとの混浴や王様ゲームの許されないこの世界の方だ!」
「君はもう少し現実を見て生きた方がいい」
「ならあんたは鏡を見ろ。思わず通報したくなるものが映るはずだ」
メンチを切り合う俺とヤーさん。
このヤクザの顔も、バカ同様に凹凸がなくなるまで殴り飛ばしてやろうかと考えていると、
「――そろそろ本題に入りたいのですが、よろしいでしょうか?」
言い争いをする俺たちの耳に、冷たい声音が届く。
背筋に冷たいものが走り、思わず声の主――華恋の母親の方に視線を向けてしまう。
「あ、ああ、そうですね。我々だけで話してしまって申し訳ない」
華恋の母親を前に、冷や汗をかきながらヤーさんが謝罪の言葉と共に軽く頭を下げる。
そんな様子のヤーさんを尻目に、華恋の母親は口を開く。
「今回私が旅館を空けてまでこちらに来たのは、そちらにいる愚娘、華恋についてです」
「…………!?」
華恋がギョッと目を見開いて母親を見る。実の母親に愚娘とまで言われたのだから、当然の反応と言えるだろう。
「華恋。あなた、学校はどうしたのですか? この時間ならまだ学校にいなくてはいけませんよね?」
「そ、それは……」
目に見えて狼狽する華恋。
普段から学校に行ってない俺は疑問にも思わなかったが、よくよく考えてみればおかしな話だ。華恋は十四歳。まだ義務教育の中学生だ。
平日のこんな時間に学校以外の場所にいるなど、不自然極まりない。
「つい先日、学校の先生からあなたがあまり学校に来ていないと連絡を受けました。私はあなたが学校にも行かず何をしてるのか調べるため、あなたの部屋を探したところ――こんなものが見つかりました」
華恋の母親が横に置いたカバンから一冊の本を取り出した。取り出したのはJS太郎著者の作品、『JSは最高だぜ!』だった。
「今まで本などあまり読んだことのないあなたの部屋にこの本があることに疑問を覚えた私は、この本の出版社に問い合わせました。この本の作家の自宅にJCが出入りしてないかを」
なるほど。そういった経緯で俺が呼ばれたわけか。
「華恋、あなたには帰ったら話があります」
「……はい」
しょんぼりとする華恋だが、完全に自業自得なので仕方ない。
「菱川さんにもご迷惑をおかけしました。誠に申し訳ございません」
「い、いえ大丈夫ですよ。俺も特に変なことをされたわけではない……こともないような気がします」
ないと言い切れないのが悲しいところだ。
そんなことを考えていると、今までの話の中で一つだけ気になる点が見つかった。
「なあ華恋。お前の家が京都にあるってことは、普段ウチにはどうやって来てたんだ?」
京都から東京までは車を使っても五、六時間はかかる。気軽に来れる距離ではない。
「それは……」
何となく言い辛そうな顔で、最初の自己紹介以降口を閉ざしていた華恋の祖父を見る。
自然とその場の全員の視線が華恋の祖父に集まる。
「な、何じゃ、全員でワシをじっと見つめて?」
「そういえばお義父様、最近旅館を抜け出して車でどこかへ行ってましたよね?」
「…………ッ」
一際鋭い視線を送っている華恋の母親の言葉に、華恋の祖父は目に見えて取り乱す。脂汗でびっしょりだ。
しばらくは知らぬ存ぜぬを通したが、やがて観念したのか肩を落とすと、ポツリポツリと言葉を溢し始める。
「じゃって、華恋に言うことを聞かないと嫌いになると脅されたんじゃもん。ワシ、孫に嫌われたくないもん……」
厳つい顔の年寄りが『もん』とか言うと気色悪いな。
「はあ……仕方ありません。華恋もお義父様も、帰ったら覚悟しておいてください」
「「……はい」」
仲良く項垂れる二人。
そんな二人を尻目に、華恋の母親が立ち上がる。
「それではそろそろ帰らせてもらいます。あまり長い時間、旅館を空けておくわけにもいきませんからね。華恋、お義父様、行きますよ」
言われて二人も立ち上がり、会計のためにレジの方へ向かう華恋の母親の後を追う。しかし途中で足を止めると、こちらに笑み共に振り向く。
「では師匠。また後日、師匠の家に行きますね」
何気ない、普段通り華恋の言葉。しかし、
「何を言ってるのですか? 今後あなたはここに来ることは許しません」
足を止めてこちらに向き直った華恋の母親が、華恋に残酷な言葉を告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます