星空だけが知っている
思い返すのは自分の体がまだ病魔に蝕まれていた頃のこと。
いつかよくなると、ベッドの上で自分に語り掛ける両親。
元気になったら、都市の外に出て、旅に出ようと言ってくれたナルエタ。
死の影がすぐそこまで迫っていたけれども、でも、思い返せば、自分の人生で一番幸せな時期だったのかもしれない、あのころ。
もう少しだけ、その頃の夢を見たくて手を伸ばそうとする。
水中に居たのか、手が水をかき分ける音を聞いた。
リブライラの意識はそれで覚醒した。
「溺れる!」
起き上がって開口一番が、そのセリフだった。
セリフとは異なり、そこは水中ではなかった。では、どこなのか。
リブライラは辺りを見回して、そこが小さな船の上である事を知った。
船の大きさは二人乗りほどの簡単なもの。そして目の前では、イヴが手にしたオールを使って船をこいでいた。
「――え?」
「おはよ」
「オレ、確かアンタに担がれて、それで崖から落ちて――落ちた?」
「説明は省くけど、落ちちゃいないよ。ギリギリで何とかしたから。――ところで、アンタ」
じっとイヴがこちらを見つめる。
その視線がわずかに上に向いたところで、やっと気づいた。
――フードが外れているのだ。
「『半獣人』だったんだ」
頭を触れば、そこにはしっかりと狐の耳があった。観念して尻尾も出す。
狐の耳と尻尾を外気にさらすのは久しぶりだった。
「――うん」
「あれでも、資料を見た限りじゃアンタの両親ってどっちも……」
「『人間』だよ。オレは孤児だったんだ。拾ってくれた理由は、二人とも子供が出来ない体だったから、だったと思う」
「……へぇ。半獣人って隠してたのも、それが……?」
「まぁ……。昔は普通に出してたけど、いろいろ好き勝手言われるのが嫌になって、それで隠すようにしたんだ」
「なるほどねぇ……」
「ところで。アンタ、クオン博士だよな」
「そーよ。神盤でヘマをやらかすまではね」
じろりとイヴを睨む。
対して彼女は、こともなげに苦笑して、変わらずオールをこぎ続けた。
「何が狙いなんだ。賢者の石か……?」
「そーよ」
「悪いけど、賢者の石があるなんて保障、どこにもないぞ」
「アンタは、どうなのよ。保障としては」
「――さぁ。正直分からない」
「ふぅん。じゃあさ、一つ聞きたいんだけど、あんたを治したっていう術について、何か知ってることはないわけ?」
「――それがあれば賢者の石なんてものに振り回されないと思うんだけど」
「そりゃそうか」
ハハハとイヴが苦笑する。
ふと、彼女の右手首に巻かれた包帯に目が行った。
「――その傷、もしかして」
「さっきの化け物につけられたんじゃないわよ。その前からずっとあるやつよ」
やけにつっけんどんにイヴが答える。
何か触れられたくない所だったのだろうかと、リブライラは話題を変えることにした。
「ちなみに、この船はどこに向かってるんだ。記録城じゃないのは確かだと思うけど」
「ちょっとした小島よ。ただし、記録狂いのトワリスにも、大した記録が載ってないんだけどね」
イヴの背後。はるか向こうに、黒い大きな影が見える。
それは確かに彼女の言う通りの小さな島だった。
◆◆◆
それらしい入江を見つけて、そこに船をつける。
やわらかい砂に足を沈めながら、リブライラは周囲を見渡した。
人の気配らしいものは感じない。耳を澄ませても夜風の音しか聞こえてこない。
「――誰もいない」
「でしょーね」
船を適当な木にロープで固定し終えたイヴが、積んでいた荷物を砂浜に置いていく。
「探索は明日になってからじゃないと無理ね。一人なら強行もアリだったけど……」
ちらとイヴがこちらを向く。
「悪かったな」
「まぁ、いいわよ。のんびり行くとしましょ。さ、火を起こすわよ。キャンプファイヤーよ、キャンプファイヤー。ついでにご飯にしましょ」
慣れた手つきでイヴが準備を進めていく。
何をすべきか分からず、ただぼうっとその様をリブライラは見つめていた。
「え、と」
「――何よ、野宿初めて?」
「普通に暮らしてりゃな」
「確かに。じゃあ、アンタはそこいらに落ちてる木の枝を集めて。それ燃やすから」
「わかった」
「あんまり遠くに行かないでよ」
「――わかった」
まるで母親のようなことを言うイヴに、ため息交じりでリブライラが返事をする。
落ちている木の枝を拾いながら、リブライラは思った。こんなことをするのは、初めてだと。
身の回りの事は、側付きのメイドがしてくれたし、それは病に臥せっている時も、それが治った後も同じだった。
適当な量の枝を集めてイヴの所に持っていく。
「はーい、お疲れ。さ、座りな」
いつの間にかイヴはシートを敷いていて、さらに傍には小さなテントも立てていた。
「――もともと野宿するつもりだったんじゃないのか」
「アタシは旅人よ。だから、こういった装備は基本的に持ち歩いてんのよ」
集めた枝を組み合わせて、そこにイヴが火をつける。
ぱちぱちと木が燃える音がして、暖かな火がそこに灯った。
「ほれ」
横に座るイヴが紙に包まれた、何かをリブライラに渡す。
包みを開けると、そこにはパンがあった。確か、目録通りで売っていたものか。
「晩御飯。ダイエットしてるっていうんなら、アタシがもらうけど?」
一応、この女性は神盤で大立ち回りをした、犯罪者である。
だから、統治者の立場として、リブライラは本来ならば――拒絶しても問題はなかったのである。
法と規則にのっとって、それでも良かったのだ。
しかし、そうはしなかった。
ただ少しだけ逡巡して、「ありがとう」と言って、そのパンにかじりついた。
それは冷えていたし、何度か食べたのと同じものだったが、しかし、今まで味わったことのない味がした。
◆◆◆
見上げれば、星空だけがこちらを見下ろしていた。
与えられた食事を腹に納めたリブライラは、ぼうとそれを見ていた。
「――アンタ、賢者の石をどうするつもりなんだ」
火を挟んで向こう側に座るイヴに、リブライラは問いかけた。
「売るのか。それとも、使うのか」
「――さぁ。そんなの知ってどうするのよ」
「別に、いいだろ。っていうかオレは、この都市の統治者なんだ。知る権利くらいあるだろ」
「どーいう理屈よ、それ」
イヴの声が途絶える。少し間があって、彼女が口を開いた。
「……本当にどうしたいんだか」
ぽつりとつぶやくように、イヴは自分の右手首を見ていた。視線の先にあるのは、あの包帯だった。
「――怪我、治したいのか」
「そうね。そうしたいのかもしれない。――ねぇ、アンタの所の都市じゃ、生きることをその人生に意味を掴むこと、って定めてると思うんだけど」
「あぁ、ホーエンハイムの指針だな」
「アンタはさ、それをどう思ってるのよ」
「どうって……」
「仮にも統治者なんだから、答えくらい用意しとかないとマズイんじゃない?」
「う、うるさいな。そんなの、その考えを正しいと思ってるに決まってるじゃないか」
「本当に?」
ケラケラと笑うイヴの声に、どこか心を乱されてしまう。
告げた言葉は本当なのだ。しかし、しかしだ。その答えに対して自分自身に問いかけたことは無かったと、その時初めて気づかされた。
ただ、納得し受けて入れているだけだったのだ。
「そういうアンタはどうなんだ」
「アタシは分かんないわよ」
「は?」
問うておきながら、あんまりな返事をするイヴに、リブライラは思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまった。
「生きる意味がどーとか、考えたことないわよ。っていうか、それってそんなに大事なもんなのかしらね」
「意味は大事だろ」
「何で?」
「な、何でって……」
言葉に詰まる。
いや、確かに大事とは思うのだ。自分の人生は何のために、あるのかとか。何のために生きているのだ、とか。
そうしたものが大事という事は分かる。
しかし――その一方でどうしてそう思うのかが分からない。
「まぁ、しいて言うなら、生きなきゃならんから生きてる、とかかなぁ。何があっても、生きられるのなら、生き続けなければならない、とかいう感じで」
「なんだよ、それ」
「ところで、チャンネル変えない? この話題、暗いわ」
「――アンタが始めたんだろ」
「何か言った?」
ムゥとうなるイヴを無視して、リブライラが話題を振る。
「じゃあ――アンタ、神盤の床をどうやって斬ったんだ? あんなに綺麗に、すぱっと」
「そりゃ、アタシ様が凄腕の剣士だからよ」
「刀で斬れる材質とかじゃないと思うぞ、あれ」
「ま、確かに普通の刀じゃ、無理でしょーね。けど、コイツなら、それが出来る」
イヴが自分の横に置いてある、黒い鞘に納められた一振りの刀を見せた。
「『クオンタム・ブレイド』――アーティファクトを斬るための、アーティファクト」
「それ、アーティファクトなのか」
「そーよ。ま、アーティファクトを斬るためのものというより、すさまじく切れ味の鋭い刀、っていう感じだけどね」
確かにアーティファクトであれば、ああいった芸当も可能だろう。
「――なるほどな」
「欲しいの?」
「は?」
あまりに突然の発言だったので、リブライラは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「……からかうなよ」
「ゴメンゴメン。何か物欲しそうにじっと見てたからさ」
「――そんな凄い力があったら、きっとどこにでも行けるし、何にでも立ち向かえるんだろうな、って思ってさ」
「……確かにコイツは凄い武器だけど、アタシがいなきゃただのガラクタ。何かをしようと思うには、人間の意志が必要なのよ。――押し通すための力があるに越したことはないけどね」
この女性は、だからこんなにも自由なのだろうか、とリブライラは思った。
「うらやましいよ」
だから。
だから、ぽつりとそんな言葉が出た。
「なによ、悩みごと?」
「いや。たださ、都市の外を自由に旅出来たら、楽しいだろうな、って思っただけだよ」
それは、ベッドの上で考えていたことだった。
そこから出られぬ体を抱えていた頃に、抱いていた夢想だった。
「したらいいじゃない、旅くらい」
「そういうわけにもいかないよ。オレは、都市の統治者になるんだ。おいそれと、都市を開けることなんて出来ないよ。皆に迷惑がかかる。――賢者の石の件だって、片付いてないんだし」
「なら、それが片付いたらアタシと旅にでも出てみる?」
「――そうだな。出来たら良いな、そんなこと」
「出来たらって……。アンタが決めんのよ、それは。アンタの人生でしょ。アンタだけが、それに責任が持てる。だから、好きに決めて良いの。大事なのは自分の心だ。そんだけよ」
返事はしなかった。何と返せばよいのか分からなかったからだ。
瞼を閉じる。
その裏に映るのは、見たこともない夢想の都市だった。
空中の庭園。水中の都市。打ち捨てられた遺物の都市。
この世界のどこかには、そんなものがあって――いつかそこに行けたなら。
夜の闇に溶けゆく意識の中で、リブライラはそんなことを願ったのだ。
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