賢者の石
●三章 創始者・ホーエンハイム
トワリスの歴史を語るうえで、創始者であるホーエンハイムの事を触れないわけにはいかないだろう。トワリスという都市は、彼と彼の支持者、そして一人のアーティファクトによって作られた都市なのだから。
今より三百年ほどまでにあった『神の不在戦争』で、彼は故郷と家族を失った。
当時から錬金術師として活躍していた彼は、近くの別の都市に移り住み、そこで軍部に入り、戦争終結のために兵器を作り続けた。
ほどなくして戦争は終わり、世にはひと時の平穏が訪れた。
戦争を終わらせたのは、ホーエンハイムが作成した兵器たちだった。軍部では功労者でもある彼をそのまま抱えておこうとしたのだが、彼はこれを拒否し、今度は都市郊外に移り住み、戦争によって孤児になった子供たちのための施設を作り、これを運営した。
孤児以外にも戦地で夫を失った未亡人や、子供を亡くした老人たちが彼のもとに集まり、それは一つの村になった。
彼の手伝いをしたいというものや、彼のそうした行動も胸を打たれた者たちも集まり、その規模は徐々に大きくなっていった。
そうした中で、彼は何を思っていたのかは、どの記録にも記されていない。
ただ、なぜこうしたことを始めたのか、という問いかけに対して、ホーエンハイムが困ったように笑い「戦争を忘れたくなかったんだ」と答えた、という記録だけが残っていた。
ホーエンハイムについて語るうえで、欠かせないのがナルエタというアーティファクトである。『彼女』は、アーティファクトでありながら、人の少女の形を模し『心』を持っていた。曰く、彼女の頭蓋には、人の心と同じような処理を行う機関があり、それが彼女を人たらしめているのだと言う。
今ではトワリスの守護者として、民からの信頼を得ている彼女だったが、ホーエンハイムと出会ったばかりのころは、意思のない戦闘人形であった。
村の資源のために、ホーエンハイムは遺跡巡りをしていた。
遺跡にはアーティファクトがあり、それを見つけ中央国家に納めることが出来れば、莫大な金を手に入れることが出来るからだ。
その日、彼は遺跡の奥で眠る一人の少女を見つけた。それがナルエタだった。
破損していた彼女の体をホーエンハイムは修理し再起動した彼は、しかしナルエタを中央国家には納めなかった。これには諸説あり、当時、すでに彼が属していた都市と、近隣の都市との間で冷戦状態が続いており、村を守るための戦力として欲していた、という説が最有力である。
あるいは、あまりにも精巧に出来すぎて、中央がアーティファクトと認定しなかったという説もあるが――まぁ、これは出鱈目だろう。
それこそナルエタの強さを見れば、分かる事だろう。
(筆者としては、ナルエタが彼の失った妹に似ていたから、という説を推したい)
やがて村は都市へと独立し、名をトワリスとした。
しかし、ホーエンハイムはその独立を見届けることは無かった。名を決めたのは彼であったが、独立手続きだけを行い、彼は再び戦争に身を投じることになったのである。
――そして、その戦争から彼は帰ってこなかった。
戦争によって故郷と家族を失い。
戦争を止めるために、兵器を作り。
戦争で傷ついた人々を癒すための都市を立ち上げ。戦争に殺された。
戦争によって生き方を決められてしまった彼は、村を作った時から、ある疑問をよく口にしていたという。
人はなぜ生きるのか。
人の生とは、何のためにあるのか。その意味は。意義は。
彼はその問いを、長くから抱いていたらしかった。
それは、戦争という化け物の腸に常に自分を置き続けた彼だからこそ、抱いた問いなのかもしれない。
あっけなく殺された命。自分の兵器であっけなく殺した命。
彼、彼女らにも人生があり、歴史があり、母が居て、父が居て、愛すべき誰かが居て、夢があって、趣味があって、友がいて。
そんな人々が死んだことに意味はあったのだろうか。
そこで死んで、無価値になって、誰からも忘れられて終わりなのだろうか。
そうした疑問を口にしていたが、ついぞ彼はそれに対する答えを言うことはなかった。
トワリス独立時に制定された記録制度は、彼自身が事前に決めていたものだと言う。これこそが、彼がついぞ口にしなかった生と言うものへの答えなのだと、筆者は思う。
晩年、彼は目立たぬように『賢者の石』の研究をしていたと、トワリスの記録には記されていた。賢者の石は、錬金術における等価交換の原則を踏み倒す、まさに錬金術の秘奥である。その力をもってすれば『不老不死』も不可能ではないと噂されている。
先述のような疑問を彼が日ごろから抱いていたとすれば、その理由は察するに難くない。
――
◆◆◆
「他人が何も言わずにお金を渡してくる時って、たいていロクでもない時だよね」
ノーレッジは、うさん臭い笑みを浮かべて札束を渡そうとするイヴにそう言った。
それは、二カ月前の出来事だった。
トワリスにアジトを構えたその日。時刻は夜。寂しい部屋の中をランプ一つだけが照らしていた。
テーブルの上に置かれた札束。2人がそれを挟んでボロい椅子に座っている。
一人は緑色のシャツを着て、眼鏡をかけた童顔の少年。ウェーブがかった髪は、眉にかかるまでに延ばされていた。ただ、未だ幼いためか、その足は地面についてはいなかった。
眼鏡の少年――ノーレッジが、ずずっとテーブルの上の札束を対面に座る女性――イヴへと押し戻す。しかし、イヴはそれを笑顔のまま、またノーレッジのほうへと押し返す。
中指でメガネの位置を戻すノーレッジ。
「はぁ……」
しばし時が過ぎたのち、その静寂をノーレッジのため息が破った。
「――聞こうか」
「仕方ないわねぇ、じゃあ、アタシが教えてあげるわよ、最高のプラン――」
「早く」
わざとらしく勿体ぶるイヴにぴしゃりと一言。
「『賢者の石』って知ってる?」
「……アーティファクト?」
「いや違う。このトワリスの創始者『ホーエンハイム』ってやつが、作ったとされる魔法の材料よ。もともと、この都市の技術の基盤は錬金術だった。――って、錬金術って知ってる?」
「――知ってるよ。物質を分解して、再構成するアレでしょ。等価交換だったけ、原則」
「そう。そして、その賢者の石ってのは、その等価交換を無視できる、魔法の石ってわけ。つまり、何にでもなれちゃう」
「――で、その賢者の石が、今回の狙いなわけ?」
「うーん。まぁ、そうとも言えるし、そうでないとも言える」
なんとも言えない表情でイヴが、視線を自分の右手首に向ける。そこには包帯が巻かれていた。数日前、怪我をしたらしいと聞いていた箇所だ。
なぜ、今そんなところを見たのかと、ノーレッジが怪訝な顔をしていると、イヴは苦笑して、話題を切り替えるように、今度は新聞の切り抜きをテーブルの上に置いた。
「半年前、統治者夫婦が殺される事件があったんだけどね、犯人は以前捕まらなかった。事件の後に残されたのは統治者夫婦の息子だけ」
「かわいそうに」
「かわいそうなのはこっからよ。その息子、事件の前から病にかかってたみたいでね。病名は分からないけど、とりあえず不治の病で、余命いくばくもなかったらしいのよ。でね、それを何とかしたくて、統治者夫婦がある研究をしていたんだけど――」
「それが賢者の石、ってこと」
「その通り。賊の襲撃もその石が目当てと言われているし、息子も事件後から元気になってる。公式の発表じゃ、都市の医療で治った、とされているが、いくら何でも急すぎる」
「まぁ、そうだね」
「賢者の石の噂と、事件と、完治した病の三つ。この三つのおかげで、実物もないのに賢者の石はある事になっていて、その情報を欲した他都市の連中が、件の息子への謁見を所望する毎日ってわけ」
「それは、確かにかわいそうだね。で、そいつが今回の狙いになるってわけ?」
「いや、それも考えたんだけど、そっちだと時間がかかりそうだったからね。だから、もう一つの選択肢を取ろうと思うのよ」
「もしかして、それがこの札束?」
「ンフフフ、そーよ。まずは、都市内部に潜り込む必要があるの。そのためには記録保持者にならなくちゃいけない」
「トワリスが定めてる、公的に価値のある記録を出した人間、だっけ?」
「そう。ここじゃ、そういう人間こそが賞賛される仕組みになってる。で、だ。アタシたちもそういう人間にならなくちゃいけないってわけ」
「それはいいけど、どうやって記録保持者になるの……」
そこでノーレッジの視線が、イヴから再び札束に戻る。
「アンタ、発明とか得意だったわよね」
◆◆◆
「すまない、リブライラ。怪我はなかったかい?」
「えぇ、全然大丈夫ですよ、叔父さん」
机を挟んで、心配そうにこちらを上目遣いで見つめる男性に、リブライラは努めて冷静に返事をした。
見た目通り、人のよさそうなこの男性に、これ以上の苦労を掛けたくなかったからだ。
神盤での騒動から、落ち着いたところで、リブライラは統治者としての対外的な部分を引き継いでいるこの『ロックウッド』に、先の件の報告にやってきていた。
かつて父が座っていた、この執務室の椅子には、今はその弟にあたる、この男性が申し訳なさそうに収まっていた。
「衛兵からも報告を受けたよ。――どうやら賊は『禁忌項目』について調べていたようだね」
「……検索内容を自分が知ることは出来ませんか?」
その問いにロックウッドはしばし逡巡するそぶりを見せたが、やがていつも通りの申し訳なさそうな顔をこちらに向けた。
「すまないが、今はまだ」
「――わかりました」
「それよりも、次からは記録の際は警備の人間を増やすか、あるいは代打を立てようと思うんだが……。私としては、やはり代打の方向で進められたらなぁ、と。ほら、つい最近、他の都市で―ティファクトが正体不明の賊に壊された事件とかあったし――」
「……はい」
「今回みたいなことが今後起こらないとも限らないし……。私としては、こうなってくると他都市の使者との面会も、ちょっと考えたいところなんだが……」
判断として、間違っていないことは分かる。
だが、幼いリブライラには、その提案が自分という存在の意味を奪い去る、残酷なものに聞こえた。
「――わかりました」
しかし、リブライラはそう返事をした。
◆◆◆
見上げれば夜空が静かに見下ろしていた。
ぬるい風が頬を撫でる。
リブライラは都市の外れにある墓地に来ていた。護衛は墓地から少し離れたところに待機させている。ここでは一人になりたかった。
何をするでもなく、両親の名が刻まれた墓石の前にしゃがみこんで、そっとそれに触れていた。ひんやりとした感覚が指先に走る。
両親を失い、統治者となってからは、何かに行き詰ると、ここに来るようになっていた。
統治者となる決心はしたものの、自分に出来ることはそう多くはなかった。
まだ子供だからと、言われればそれまでかもしれないが、歳など『外』からすれば関係のない話だろう。
昔からそうだ。体が弱かった自分はナルエタに面倒を見てもらい、病気を治すために両親は研究に明け暮れ、あげくに――。
「はぁ」
思わずため息が漏れた。
――分かっている。
静かに、ただゆっくりと積み重ねていくしかないのだ。
記録城の中庭の苗を思い出す。
あれはナルエタに頼んで、植えてもらったものだ。まだ自分の体が弱く、いつ死ぬかもわからなかった頃。自分が死んでも、思い出してもらえるようにとナルエタに植えてもらったのだった。
ただぼうっとしていると、不意に耳に足音が届いた。
さっと視線を横に向けると、黒いフードつきのコートを着た何者かが、少し離れた位置からこちらをじっと見つめていた。異様だった。
体つきからして、おそらく男性だろう。
「どちらさまですか?」
恐る恐る声をかける。
フードの男は何も答えず、ただこちらに向かって歩き始める。
はらりとそのフードが外れて、素顔が見える。
その顔に瞳は無かった。ただ口だけがあり、肌は樹だった。
記憶がよみがえる。両親を失った夜。家の中にいた化け物。
瞳は無くて、歯だけがあり、残忍な爪をもっている、あの――。
「あ」
こぼれた声が夜の空気を振るわせたその時、瞳のない化け物はザっと走り始めた。
袖から出された手の爪は、肉を引き裂くために鋭く伸ばされていた。
――殺される。
頭の中がその言葉でいっぱいになって、何も動けなくなってしまった。
爪が目の前に迫ったその時
怪物の手首から先が宙を舞っていた。
「なによ、こいつ。歩く植物? 流行ってんの? こういうのが?」
目の前に誰かが躍り出ていた。
白い袴と、赤い髪を夜風にたなびかせて、一人の女性が自分と化け物の間に、知らぬ間に割って入っていたのだ。その手には刀が握られていて、その刃は血というか、樹液で濡れていた。
見覚えのない女性だった。しかし、その声には覚えがあった。
そして、塔で自分が聞いた声と、同じ声。
「クオン……?」
きっと偽名であろうが、しかし気づけばその名を口にしていた。
「忘れたね、そんな名前。今のアタシはイヴよ」
イヴに腕を斬られた化け物が、慌てて後ろに下がって距離をとった。
不意に化け物が吠える。
すると、背後から何かが降りた音が聞こえた。見れば、そこにも同じような化け物が居て、慌てて辺りを見わたせれば、自分たちを取り囲むように化け物たちが降り立っていた。
「ったく、一日一本以上は化け物の腕は斬らないって決めてんのよ。今日はもう無理だから、明日にしてよ。待ち合わせ場所で待っててあげる――」
と、イヴが言い終える前に、化け物たちが吠え、そして一斉に飛びかかってきた。
「あーもう!」
おもむろにイヴに腰を掴まれて、そのまま担がれる。
「ちょ――⁉」
リブライラの抗議を無視して、イヴが走り始める。
明らかに人を超える速度で、瞬く間に化け物たちの間を縫って、墓場を駆け抜けていく。
化け物たちは声を上げて追いかけてくる。
ところで。
リブライラはこの墓場が何処にあるのかを冷静に思い返していた。
ここは都市の外れの、海の近くの崖にある墓場だ。そして、今まさにイヴが自分を担いで向かっているのは、その崖の方向だった。
そうした事実を確認しきったのと、自分の体が宙に浮く感覚を味わったのは、殆ど同時だった。
見下ろせば下は海だった。
「え――?」
崖から飛び降りたことを認識し、落下の感覚を味わい始めたところで、リブライラはそっと自分の意識を手放した。
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