機械人形


 トワリスと言えば、記録の都市として有名だが、その記録を生かした側面として、『料理』というものがあった。古今東西のあらゆる料理のレシピを記録しており、この街ではそのレシピをもとに、様々な料理を楽しむことが出来るのだ。

 ノーレッジは、そんな多種多様な文化の屋台が立ち並ぶ『食の目録通り』に来ていた。

 ただし、目的は食事ではない。

「すみません」

 適当な屋台で店主に声をかける。

 食事は何でも良かったが、とりあえず歩きながらも食べられるものが良いと、サンドイッチらしきものを注文する。

「ボク、観光かい?」

 見るからに人のよさそうな店主が、料理を準備しながら話しかけてくる。

「うん。観光」

「パパとママは?」

 いないよ、と答えようとしたところで、背後に人の気配を感じた。

「勝手にどっかいっちゃダメって言わなかった?」

 やけにわざとらしい声が背中から聞こえた。

 それは『相棒』の声だった。


◆◆◆


 買ったサンドイッチを口に放り込む。

 パンで挟まれているのは、どこにでもあるようなベーコンだったが、そこにかけられている香辛料が独特なものだった。辛いようであり、甘いようであり――。

「お、結構いける」

 と横で同じものを食べる相棒がそう言った。

 二人が歩いているのは、変わらずトワリスの中央通り、通称『食の目録通り』だった。立ち並ぶ露店、レストランは、どれも記録保持者の経営店である。様々な料理のかぐわしい香りが、食べている最中だというのにさらに食欲を刺激する。

「ったく、何で検索しただけで警報とか鳴るんだか……」

 聞けば、相棒は神盤を前にヘマをやらかしたらしい。

 警報を鳴らされた所を、隠し持っていた刀で床を切り裂き、そのまま脱出してきたとのことだった。

 つまり、『発明品で利益を得ようとしたノーレッジの思惑』は外れたのである。

「っていうか、馬鹿正直に調べる? 普通」

 事前打ち合わせでは、記録保持者になった後の考えがあるなどと言っていたが、あれは嘘だったと認定したい。

「だって、この世のすべての知識がある、なんて触れ込みなんだから、とりあえず試してみたくなるのが普通でしょうよ」

「あのアーティファクトは、別にそんな大層なものじゃないし、他のアーティファクトに比べれば、ちょっと便利な道具くらいなものなんだよ」

 神盤は確かに、この都市の基盤となるアーティファクトではあるが、他のアーティファクトと比べれば、その機能はかなりマイルドなものだ。

『いくらでも情報を詰め込める箱』というのが、神盤の世間での評価だった。他の都市を脅かすような使い方は出来ないし、人々を支配できるほどの機能でもない。

「……っていうか、そんなことは、そっちのほうがよく知ってるんじゃないの?」

 ジロリと相棒を睨めば、彼女は誤魔化すように笑うだけだった。

「ところで、これからどうするのさ……。ピクシーの利益で、活動するって話じゃなかったっけ?」

「大丈夫、大丈夫。お金増やすの得意なの」

 相棒が遠くの建物を指さした。

その先にあったのは『闘技場』だった。


◆◆◆


あれは何だったのか。

 記録城の自室でベッドに横になりながら、リブライラは先ほど塔で起こった出来事を思い返していた。

 ごろりと、あおむけから横に体を倒す。

 禁忌項目を調べに来た賊、と捉えるのが流れだろう。しかし、一体何のためにそんなことをしに来たのか。そもそも、そのためにだけに、あんな発明をしたというのか。だとすれば、とんだ酔狂だ。手が込み過ぎて――。

「大丈夫ですか?」

 不意に声が降ってきた。見れば、ナルエタがこちらを覗き込むように顔を近づけていた。

 端正で小さな顔が目の前にある。

「うわぁっ!」

 思わず飛び上がって、そのまま後ずさる。

 その様を見てナルエタは、何のリアクションもなく、ただこちらを見返すだけだった。

「どうされました?」

「び、びっくりするから! 普通に! 誰でも!」

 バクバクと音を立てる心臓をどうにか宥めながら、ナルエタを見る。

「って、ていうか、もうすぐ試合なんじゃないの?」

「いえ、それどころではないかと……」

「――大丈夫だよ。ロックウッドさんにも報告して、警備の人をいつもより増やしてもらったし。次は、きっと大丈夫だから」

 自分に代わって外交部分を担当している、心優しそうな叔父のしんどそうな顔が脳裏によぎる。

「本当でしょうか」

「ほんとだって。だから、ナルエタは闘技場に行って」

 じっとナルエタを見つめる。

 彼女が納得していないのは分かりきっていた。けれども、ここはどうか自分にまかせてほしい。幼少期から彼女には世話になっていた。もう自分は体も良くなったし、子供というわけでもない。

 あまり彼女に頼るのも、嫌なのだ。

「――わかりました。ですが、くれぐれもご無理だけはされませんように」

 根負けしたのか、ナルエタが下がりながらそう言った。

「昼にも言いましたが、回線は開けていますので。あとお守りも」

「わかったよ」

「絶対ですよ」

「――わかってるよ」

「では……」とナルエタが窓を開けて身を乗り出す。

「本当に気を付けてくださいね、本当に」

「もう、心配性なんだから。大丈夫だって、本当に」

「――では」

 ナルエタはその一言を残して、窓の向こうへと身を投げる。

 眼下の家々の屋根の上に降り立ち、そのまま屋根から屋根へと飛び移っていき、その背中はすぐに見えなくなった。


◆◆◆


 リブライラと別れた後、ナルエタはトワリスの街を闘技場めがけて『屋根から屋根へ飛ぶように』駆け抜けていた。

 円形の巨大な建物が視界に入る。闘技場だ。ナルエタはその闘技場の外周の壁の上に着地する。

 中央の舞台では、今まさに決勝戦が終わったところだった。

 闘技場で行われる武闘大会は、まず基本のトーナメントが行われ、最後に現チャンピオンとの戦いがあり、これに勝てば次のチャンピオンとなる、というシンプルなルールだった。

 ただ、現チャンピオン『セツナ』は今の所、200回以上の連続防衛記録を保持しており、彼女がチャンピオンの座についてから、交代が行われなくなって久しい。

 ――だが。舞台の上で、そのセツナが膝をついていた。

「?」

 思わずナルエタは小首をかしげた。

 舞台の上で起こっていたのは、その久しい交代であった。

 今日の挑戦者が、長くその座を保持していたチャンピオンを下したのだ。

 観客はどよめきたち、歓声を上げ、実況は新チャンピオンの登場を大声で実況していた。

 挑戦者は被っている白いフードで顔が見えず、リングネームも『イヴ』と質素なものだった。つまり何も分からない。


 それはナルエタを動かすには、十分な理由だった。

 その場から飛び立ち、舞台の上へと降り立つ。そして挑戦者を見やる。

「おぉーっと! ここで乱入者です! 我らがトワリスの守護神、殿堂入りチャンピオンのナルエタです!」

 実況が叫び、観客もそれに答えた。

 挑戦者だけがうろたえ、こちらを見ていた。

「――何でメイド?」

 フードの奥でイヴが、困惑したままにそう言った。

 声に聞き覚えは無かった。

 おそらく都市の外の手練れだろう。内部であれば、自分が知らないはずがない。

「お初にお目にかかります」

 ナルエタがスカートを掴んで一礼する。

「ワタクシが、殿堂入りチャンピオンのナルエタです」

「ここのチャンピオン? 掃除とかのじゃなくて?」

「はい。ワタクシが――」

 ナルエタが拳を構える。

「最強です」 

 舞台に残っていた審判が、開始の合図を告げる。

 それと同時に、ナルエタが走り出す。

 明らかに人の出せるそれではない速度で、ナルエタが走る。

 

 体の中のモーターが熱くなっていくのが分かる。

 本格的に戦闘モードに切り替わっていく。

 自分の中の戦うための自分が起き上がっていく。 

 イヴを正面に捉える。地を蹴って飛び上がり、右足を振り上げる。

 そしてそれを、そのままイヴに向かって、振り下ろす。

「ちょ……⁉」

 イヴが寸での所で横によけ――、彼が居た地面にナルエタの踵が撃ち込まれる。

地面が裂け、砂と土が舞い上がる。

「踵落としってレベルじゃないんだけど――⁉」

 イヴとナルエタの姿を粉塵が隠す。

「おーっと、ここでナルエタの速攻! ですが、イヴもこれに対応しています! さすがです!」

 粉塵が晴れる。

「ったくメイドしちゃ物騒過ぎでしょーよ」

 金属のこすれる音が、ナルエタの耳に届いた。

 一振りの刀。

 それを構えて立つイヴが、そこに居た。

 先の踵落としの風でフードが捲れたのか、素顔もあらわになっていた。


長く伸ばされた赤い髪。意志の強さと愛らしさを感じさせる大きな瞳。すっと伸びた鼻筋。年齢は二十代前半くらいだろうか。

「アタシを本気させたんだから、覚悟してよね」

 そこに居たのは、一人の女性だった。


 ――見立て通りだ。

 自分の初撃を回避する動体視力。引き締まった体。構えから感じ取れる戦いへの慣れ。

「――『自律起動型アーティファクト』」

 イヴがぽつりとつぶやいた。

「お相手いただくのは初めてだけど、ここまでとはね。聞きしに勝るってのは、実際直面してみると面倒なだけね」

「やはり、ご存知だったのですね。それで先ほどのようなやりとりを?」

「ちょっとしたリアクションよ。必要でしょ、お約束的に。何なら手加減してくれるかもしれなかったし」

「それはありえません」

「サービス足んないわねぇ。もちょっと愛想よくしなさいよ」

 ――本番はこれから。

 ナルエタが拳を構えなおす。何本もの青い線が指先から肘に伸びる。肌は黒く変色――いや、材質が変質していく。

 通常形態から戦闘形態へと体を本格的に切り替えていく。

 戦闘用のエンジンを稼働させる。目の前の敵をターゲッティングする。

 戦闘用の演算を働かせる。攻撃の手順を選ぶ、決める。

 ナルエタの中の、戦うための機能がうなりを上げて、稼働し始めていく。

「まいります」「どーぞ」

 ナルエタが再び地を蹴る。会場に金属がぶつかる音が響き渡る。


◆◆◆


 実は、ナルエタは戦いが好きだった。

 自分自身の機能なのか。それをしている間は、煩わしい悩みが頭から離れてくれるからだ。自分が何者で、自分がこれからどうなってしまうのか。そうした悲しい疑問から、戦いの興奮は遠ざけてくれる。

 ――自分は人間ではない。自律起動する人型の兵器タイプアーティファクト。

はるか遠くの過去の人間が作り上げた、誰かを殺すための機械だ。

 この身に血は流れていない。頭には脳が無い。頭蓋に収められているのは、戦いの記録が保存されたチップだけだ。

 過去、自分がどうであったかは思い出せない。

 最古の記憶は、ホーエンハイムに起動させられた、あの洞窟の中の記憶だ。気弱そうで、線の細そうなただの子供のような青年。彼が目の前にいたのだった。

 彼の都市の立ち上げを手伝い、ホーエンハイムが戦争に駆り出されて戦死してからは、彼の子供たちの後見人として、今日に至るまでトワリスを守護する存在となった。

 この身は不死の身である。人のように老いることもなく、劣化することもない。

 都市の守護者として、自分を起動したホーエンハイムの思いを継いで、守護する役として、これ以上のものもいないだろう。

 完璧であったとは言い難い。

 しかし、それでもなお、どうにか今まで紡いできたつもりだ。

 永久に生き、多くに出会い、数多の別れを経て――だが、それも。

 

◆◆◆


 甲高い音がして、ナルエタは息を吐いた。

 イヴの刀を右手の甲で軽く弾いた音だった。

 意識が目の前に戻る。

 要らぬことを考えてしまっていたようだ。

 一瞬早く踏み込んでいれば、一発くらいは貰ってくれたかもしれないのに。とっさに回し蹴りの構えにはいったが、すでにイヴはそこには居なかった。

地を蹴り後ろに下がるイヴを見ながら、ナルエタは今一度意識を集中させる。

 足に力を入れる。地を蹴る。

 瞬きの間に、すでにナルエタの体はイヴのすぐ目の前まで跳躍していた。

 その勢いのまま、頭めがけて飛び蹴りを放つ。

 とっさにイヴが刀で防御する。勢いを殺せず、体が大きくのけぞる。

 だがすぐに、全身の筋肉をバネのように使ってイヴが刀をはじく。

 吹き飛ばされたナルエタは宙がえりして着地する。

「大した膂力ですね」

「アンタが意外に軽いだけよ。何使ってんの? 紙?」

 ナルエタの総重量は成人男性の2倍近くはある。

 それをこうも吹き飛ばすとはと、ナルエタは警戒レベルを一段階引き上げた。

「仕方ありません」

 素手での戦闘では埒が明かない。

 両腕を胸の前で交差して、勢いよく振り下ろす。その所作が解放の条件だった。

 ジャキン、という音と共に、勢いよくナルエタの両腕からブレードが飛び出る。

「――ズルくない?」

「ワタクシは戦闘人形。こういった武装も多種備えています」

「――何、アンタ、もしかしてお約束的に自爆とかできちゃうわけ?」

「もちろん。ワタクシのエネルギーコアをオーバーロードさせれば、この会場ごと消し飛ばせますが、それは最後の手段です」

「手段に入れるな。……ったく」

 すっと、イヴが両腕を上げた。

 彼女のその行いに会場が静まり返る。

 ナルエタも、イヴの突然の行動に思わず思考が止まる。

「……ちょっと、審判。アタシは降参よ。これ以上やっても駄目そうだし」

「良いのですか? 勝てたかもしれないのに」

「馬鹿言わないでよ。こっちは賞金さえもらえりゃそれで良いんだから。アンタみたいなのに本気になられたら、さすがに勝てないわよ」

「どうなるかは、まだわかりませんが」

「いーや、分かるね」

「――でしょうか」

 少々ムッとした声でナルエタが答える。

 それを聞いたイヴは申し訳なさそうに苦笑いをして一言、「はいはい」と、言い残し、踵を返して出口へと歩いて行く。

 

 しぶしぶブレードを収納して、小さくなっていく彼女の背中を見つめる。

 久方ぶりだった。

 わずかではあったが、心をかき乱されたのは。

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