永久記録都市トワリス
目覚めの夜
遠くで何かの悲鳴が聞こえて『リブライラ』は目を覚ました。
ベッドから体を起こす。辺りは未だ闇に包まれている。雨音と雷が耳に届く。これで目が覚めたのだろうか。
胸に手を当てて鼓動を確認する。昨日まであった気だるさは無くなっていて、体は嘘のように軽かった。『治療』は成功したのだ。
この身を蝕む病は去り、明けぬ夜に怯える日々は終わったのだ。
どうにか目を凝らしながら、ベッドから降りて一階へと向かう。両親に会いたかった。
治療をしてくれたのは両親だ。自分のために治療法を探ってくれたのは両親だ。
だから、この結果を一刻も早く伝えたかった。
一歩ずつ階段を下りて気づいた。
『何か』が一階のリビングに居るのだ。
耳に届く、それの息遣いは、人のものではなかった。
階段の手すり越しに、そっとリビングを覗き見る。
やはりここも暗くてよく見えなかったのだが――偶然に落ちた雷が部屋を照らした。
リビングには幾人もの人が倒れていて、その中央に立つ2つ人影があった。
一つはコートを着ている人物、もう一つはよく知った顔だった。
「ナルエタ……?」
その側付きのメイドの名を呼ぶと、彼女は驚いた顔でこちらに振り返った。
しばし逡巡するようなそぶりを見せたが、すぐにその表情を怒りが覆った。
「伏せて!」
突如、自分の頭上に気配を感じ、思わず身をかがめた。
空を切る音と共に、背中に熱を感じる。それが裂かれた痛みであると知るのは、少し後の事だった。
見上げれば、そこにいたのは怪物だった。瞳は無く、獰猛な歯と爪を備え、体の所何処から樹の枝が生えている、人型の獣。それが天井に張り付いていたのだ。
その獣は、ありもしない瞳でこちらを睨みつけるようだった。
殺されると、直感的に感じ取ったその一瞬。
飛び掛かり振り上げたナルエタの拳が、獣の頭蓋をたたき割っていた。
ぐったりとして天井から剥がれて落ちる獣。何色かもわからない体液が床に広がっていく。それを凝視していると、ナルエタに両肩を掴まれた。
「ここから出ます……!」
「と、父さん、と母さんは⁉」
その問いに彼女は答えなかった。ただ、その代わりにこの体をそっと抱きしめて、大丈夫だ、と何度もそう言ったのだった。
寝ぼけ眼で現実を理解しようとしたが駄目だった。原因不明の涙が自分の目から流れて、泣きじゃくったのだ。
彼女の――鉄の体にしがみつくようにして。
◆◆◆
頬に感じる違和感で、リブライラは目を覚ました。
見れば、そこに居たのは一人の少女だった。
前髪を眉の上で綺麗に切りそろえられた黒の長髪。皺一つないメイド服。
ナルエタだった。
彼女の大きな瞳が、こちらをじっと見つめていた。
「おはようございます。――今日は記録式だったはずですが、お時間は大丈夫ですか?」
「あれ……? もう?」
周囲を見渡す。
そこは『記録城』の中庭だった。あたたかな昼の日差しが降り注ぎ、花々はそれを享受し、いまだ木とはならない苗はそれを懸命に浴びていた。
リブライラが寝ていたのは、やがて大樹となる苗の近くに草むらだった。
昼休みに少しだけ、この緑のベッドで横になろうとして、すっかり眠ってしまったらしい。
「大丈夫ですか?」
ナルエタが表情を変えないままに、静かに尋ねてくる。
「だ、大丈夫だって! た、多分だけど」
慌てて髪の毛を整えてフードをかぶるリブライラを、ナルエタはただ見つめ返し、わかりました、と短く返事をする。
「ご主人様も、代理となって日が経ちますからね」
ナルエタが身をひるがえす。
「代理業務って言っても『賢者の石』に対する質疑応答が殆どだけどね」
リブライラがそっと胸に手を当てる。
つい最近まで、自分は不治の病を患っていた。
しかし、それは両親の研究によって完治し、今となっては過去が嘘のようなほどの健康体を手に入れた。
治療に使われたのは『賢者の石』と呼ばれる、万能物であったと噂されているが、自分自身、その詳細は知らない。治療中の意識は無かったし、その内容も特に知らされていなかった。
だが、それでも噂というものは一人歩きするもので、いつしか自分はその賢者の石によって治されたことになっていて、その万能物も存在することになっていた。
かつて統治者であった父が死に、その地位を代理の形で受け継いだ自分が最初にしたことは、来訪する他都市の使者に対して、淡々と事実を述べて送り返すことだった。
「ご主人様」
コンコン、とナルエタが自分の頭を指で突く。
「回線は開けておきますので、何かあればお呼びください。それから、お守りも……」
持ってるよ、という返事の代わりに、胸に下げたペンダントを見せる。
「――わかったよ。でも、多分本当に大丈夫だから。それよりも、今日は闘技場?」
「はい。チャンピオンが定着してしまいましたので、定期的に乱入しなければ闘技場の収益、ひいては都市の経済にかかわりますので」
「そっか。まぁ、こっちで定めた記録のほとんどを達成しちゃったし。そろそろ連続防衛記録の新しい記録項目を作らないといけないのかもな……」
「そうですね。――では、ワタクシはそろそろ失礼します」
歩き出すナルエタ。が、しばし歩いたのちにくるりと振り返る。
「二度寝をすると間に合わなくなりますのでご注意ください」
「……しないよ」
リブライラの返事に、ナルエタはぺこりとお辞儀をして去って行った。
残されたリブライラは、ため息を一つこぼす。
まだまだ心配される立場なのだろう。
あの一件で両親を失い、繰り上がり的に都市の統治者となったが、いまだ未熟。今はまだ、場数をこなして経験を積んでいくしかないのだ。
自らをそう戒めながら――永久記録都市トワリスの統治者、リブライラは立ち上がった。
◆◆◆
人は何故生きるのか。何のために人は生きるのか。
そうした疑問や命題は、きっとこの世界が生まれた頃よりあったのだろう。幾人もの哲学者、あるいは詩人、または独裁者がその答えを定義し、何らかの答えを見出してきた。
曰く、使命のため。曰く、己のため。
曰く――
「そう、全てはこの世に爪痕を――記録を残すためなのです」
耳に届いたその声で、ノーレッジの意識は現実に引き戻された。
頬を風が撫でる。見上げれば青空があった。
そこは野外演説用の会場だった。
少し離れたところには、石でできた円形の白い舞台があり、その上には一人の少年が居た。司祭のような白いローブに身を包み、金色の髪を風になびかせ、懸命に声を張り上げあげている。服のサイズが大きいのか、シルエットはぶかぶかになっていて、頭は頭でフードをかぶっているせいで、顔と前髪しか分からない。
ただ、その顔つきは少女のそれと言っても遜色ないほどに美しいものだった。
見た目こそ、自分と同じほどに見えるその少年こそ、この都市における統治者、『リブライラ』その人であった。年齢は十三、四に見えるこの幼い少年が、だ。
ノーレッジはそれを備え付けのベンチに座り、地面に届かない足をぶらぶらさせながら、リブライラの演説に耳を傾ける。
自分以外の大勢の観客も、今は静かに、その少年の話に聞き入っている。
「このトワリスを作り上げた、私の偉大なる祖先『ホーエンハイム』は、人々の生きる意味とは、『証を残すこと』と唱えました。人はいつか死にます。死ねば忘れられ、その生の意味が消え、完全な無になってしまう。ですが、この世界に記録を残すことが出来れば、その生の意味は消えず、永遠となるのです。そして、記念すべき本日、また新たな記録が世界に刻まれました!」
リブライラが自分の後ろを見やる。
そこに居たのは、長く白いひげを生やし、腰を悪くしたのか、杖を突いて立っている老人だった。長い髪の毛が顔を隠しているために、表情も分からない。
「ご紹介します。クオン博士です」
辺りに響く拍手に、頭を垂れながら、クオンと紹介された老人が舞台へと上がる。
「博士は、すでに皆様の知る所となった、この『ピクシー』の開発者です」
説明するリブライラの肩辺りで、小さなプロペラが付いた2機の板のような無人機が浮遊する。
「このピクシーは、誰でも簡単に、この操作盤で遠隔操作することが出来ます。遠く離れ場所の写真や映像を見たり、あるいは物を運ぶことも出来ます」
ピクシーの下側から、アームが現われる。モノをあれで掴むのだ。
「現在、使用、販売にあたり法整備中ではありますが、この発明品は私たちの生活を必ずや、より豊かなものにしてくれることでしょう」
再び拍手。
「それでは皆様、新たな『記録保持者(レコードホルダー)』の誕生に祝福を!」
リブライラがそう叫ぶと、辺りはまたも拍手の音と、記録的瞬間をとらえるためのシャッター音に包まれた。
「それでは、クオン様は後程『神盤』の記録へとご案内いたします」
「はいですじゃ」
老人が舞台から降りる。
腰を丸めて、そのまま休憩用のテントへと向かっていった。
『神盤』というのは、このトワリスが抱える2つのアーティファクトの内の一つだ。
あらゆるものを記録し続ける情報の板。この都市の思想的にも核となるアーティファクト。優れた記録を残したものは、そこに記録され、その記録の数によって、都市から様々な恵みを受けることが出来る。この都市において『記録』というのは、言葉の意味通りのものにとどまらず、生活面においても重要な要素となっているのである。
一説によれば、そこにはこの世全ての記録があると噂されている。
――まぁ、あくまでも一説だが。
ノーレッジは、先の一文が記されたパンフレットを鞄の中にしまって、ベンチから飛び降りた。この場から去ろうとして、――ふと立ち止まって、視線を舞台に移した。
深い意味は無い。
ただ、そこに置かれていた自分の発明品が、ちょっとだけ気になっただけなのである。
◆◆◆
トワリスの神盤への記録手続きは、この『神盤の塔』で行われる。
円筒型の巨大な建物の中に、アーティファクトである『神盤』と、それが記録したデータが収められている。そこには記録係と呼ばれる職種の人間が詰めており、記録保持者の記録に関しては、彼らがデータの保守を行っている。
リブライラは高まった心拍数をどうにか落ち着かせながら、背後のクオンの歩く速度を考慮しつつ、ゆっくりと歩を進めていた。
平時の作業は記録係が行っているが、今回のような新たな記録保持者の登録は統治者主導のもとで行われるのが通例である。
今回もその礼に漏れず、リブライラがこうして先導して神盤へと向かっているのだった。
一応、自分が行うのはこれで二回目ではあるのだが、やはりまだ慣れてはいない。
最上階に向かうエレベーターは一つだけで、それは一階の一番奥のフロアにあった。
クオン博士と護衛を引き連れて、リブライラはそのフロアまで向かう。エレベーターの開閉ボタンを押して扉を開いて中に乗り込む。
エレベーターが動き出す。
ところで。
動き出したエレベーターの中で、リブライラの中に小さな疑問が生じた。
たいていの場合、初めて記録保持者となったものは浮かれきっているらしい。昔、父からそう聞いたし、前の記録保持者もそうだった。みな、記録を残すことが出来たことの安心感から、口が軽くなるのだそうだ。
ところが、この老人はそんなことをしない。それがどうにも引っかかるのだった。
まぁ、前回の記録保持者は、クオン博士と比べて歳が若かったというのもあっただろうし、この老人が年齢通りに落ち着いているだけなのかもしれないが。
やがてエレベーターの動きが止まり、扉がガラガラと音を立てて開かれる。
扉の先に待っていたのは、巨大なドーム状の空間だった。青白い光に空間全体が覆われており、その中央に巨大なモノリスが鎮座していた。
モノリスの足元には入力用のコンソールが置かれており、それから伸びたケーブルがモノリスに繋がっている。このモノリスこそが『神盤』なのだった。
エレベーター付近に待機していた警備員に、統治者としての証を見せて神盤へと近づく。
「おぉ」
と、そこでようやくクオンが言葉を発した。
「これが、神盤ですかの……?」
「はい。クオン様には、あちらの入力用コンソールより、ご自身の経歴を入力いただき、記録保持者としての登録を行っていただくことになります」
徹夜で覚えたセリフは、特に意識せずともするりと口から滑り出た。
「ほう……。確認なんじゃが、あの神盤には今までの記録保持者の情報も乗っておるんじゃったっかの?」
「えぇ、トワリスの歴史全てが殆ど入っております。――何か、お調べになりたいことが?」
「いやー、その、次の発明品のアイデアがあるんじゃが、すでに誰かがやっとらんか、心配になってのぅ」
「あぁ、なるほど」
すでに類似品などがあった場合は、記録として認定され辛い。
その辺りを調べておきたいのは、確かにそうだろう。
「でしたら、今この場で調べてみましょうか」
「ほぅ……! それは何とも、助かりますじゃ」
クオンを操作パネルまで案内し、操作説明をする。
「では、すみませんが少しあっちを向いておいてもらえますかの……?」
操作方法を簡単に教えたところで、クオンがそう言った。
「えっ……?」
「いや、今から検索をするのは次の発明品のテーマというか機能なのじゃ。申し訳ないんじゃが、それを他人に見られるというのはちょっと……」
警備上、あまりよろしくはない提案ではあったが、この部屋の中には自分以外にも警備の人間がごまんといる。もし何かあってもきっと大丈夫だろう。
「わかりました」
クオン博士に背を向ける。
背後でキーの叩く音がして――ほどなく警報が部屋の中に鳴り響いた。
「は……?」
慌てて振り返る。見れば神盤のディスプレイには、でかでかと『禁忌項目』と表示されている。クオンもぽかんとした様子で、そのディスプレイを見つめていた。
禁忌項目とは、その存在を詮索することすら許されない項目の事である。
純然たる悪の技術であったり、世界のバランスを揺るがすものでもある。
「動くな!」
警備兵たちがクオンに向けて銃口を向けている。
「ま、待ってください……! ちょっと間違えて検索しちゃっただけで……!」
クオンを庇うようにリブライラが立つ。
こんなか弱い老人が銃口を突き付けられて、リブライラの心が痛まないわけがなかったのである。だから、とっさに彼を庇うような真似をしたのだ。
だが。
とっさに間に割って入ったリブライラは、その手首を何者かに捕まれた。
ハッとして掴まれた所を見やる。
「いやーすまんのぉ、機械には慣れておらんでのぉ」
と、にこやかな笑みを崩さすに言うクオン。そして自分を掴む手とは、別のもう片方の手には丸い球が握られていた。
次の瞬間、クオンは床に向けって勢いよくそれを投げた。
球が弾け、白い煙が勢いよく噴出し、それが部屋を満たしていく。
警備兵たちの困惑する声が耳に届く。
「動かないでね、落ちるかもだから」
と、背後のクオンが言った。しかし、その声はすでに先ほどの老人のものではなくなっていた。
「えっ……?」
振り返るリブライラ。顔にぐにゃりとしたものが当たって、慌てて手で引きはがす。
それはクオンの『顔』だった。否、マスクだった。
白い煙の向こうで、一瞬何かが光るのが見えた気がした。
煙が晴れ、そこが映し出されると、もうすでにクオン博士の姿は消えていた。
床にぽっかりと空いた穴だけを残して。
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