夕日の値段

 うっすらと目を開けると、そこは大きな広間だった。否、部屋か。

 

 ロゼの視界はだんだんと光を取り戻していった。瞳には、巨大な装置が映し出されている。

 巨大なレンズのような、眼。

 神の眼。

 見聞でしか知らなかったが、この異様な装置の名前は、他に見当たらなかった。

 自分の現在の状態を把握しようと、体を見まわしたが、別段異常は見当たらない。ただ自分はこの広い空間の中央で寝かされているようだ。背中に金属的な冷たさがある。


「目が覚めたか」

 ミドルマンの声。首を横に振ると、そこに彼は居た。後ろには数名の警備兵を従えており、クロームが捕えられていた。

体を動かそうと、力を込めるが、全く言うことを聞いてくれない。起き上がることもできず、生贄のようにレンズの前で寝ているほかなかった。


「そう慌てなくともよい。別に取って喰おうというわけではない」

 何かが作動する音が聞こえる。ジジジ、という断続的な機械音。ロゼは首を捻って、神の眼を見ることで、音の主がそれだという事に気が付いた。レンズの中の小さなレンズが、拡大と縮小を繰り返して、遠のいたり近づいたりしている。


 ―――見られている。


「検査を行っているだけだ。お前の命の価値を測ろうというだけだ」

 究極検査。ロゼの脳裏にも、その知識はあった。市場都市アゴラがここまで発展してきた、一番のポイントにして、この都市の特徴。命にさえ値段をつける、絶対の検査。究極検査。

 

 レンズがセンサーを照射し始めた、その刹那。とてつもない轟音が、部屋全体を襲った。地震のような揺れさえ感じる、怒号。獣の王の叫び声のような、それを発して入って来たのは、燃え盛る『誰か』だった。


「侵入者だ! 撃てッ! 撃てッ!」

 警備兵達が、銃口を燃えて朽ちようとしている『誰か』へと向けて、発砲する。歩く炎のようなそれは、銃弾に体を震わせて、のけぞり、今まさに死に向かってひた走っている。

 その眼が。赤い赤い炎の中にある、赤い眼をロゼは見た。見てしまった。

 燃えて落ちて逝く誰かの手が、自分のほうへと伸ばされる。そこに果てがあるように。長い長い旅路の終着点が、まるでそこだというように。

 焼けただれた皮膚の指先が、じっと自分のほうへと向けられていて。それがまるで、手を差し伸べているようで。誰かに握ってほしいようで。

 あぁとても。とてもとてもとても、胸が痛い。

 燃え盛るもう一方の手に握られた剣が、振り下ろされる。銃弾を浴びてなお、まだ健在の炎は、そのまま歩を進め、ロゼへと向かってくる。

 警備兵達は発砲し続けているが、死をどこかに置いてきたように、誰かは倒れる気配がない。


「{*???`+}()==~=~()”()”=」==~~)&%#!!#$$$%%&」

 獣が吠えるように、声を上げて、誰かは炎をまとって剣を振り上げて突進してきた。

「娘を守れ! そいつは高額だ!」

 ミドルマンの怒号が飛ぶ。警備兵たちが慌てて、ロゼの前に立とうとするが、遅い。慌て不ためている警備兵達を出し抜くように、クロームが駆けだした。手錠をされたまま、必死に走ってロゼの前に立った。


「クローム!」

 ロゼは悲鳴を上げた。彼女の体は、その瞬間のけぞって、ロゼの側に崩れ落ちた。服の背中がざっくりと裂けている。クロームにそんなことをした誰かも、ついに力尽きたように、剣を落とし、その場に倒れた。


「クローム! クローム!」

 ようやく動き始めた足を動かして、上半身だけを起き上がらせて、ロゼはクロームの名を何度も呼んだ。彼女は床にうつぶせになって、ぐったりとしている。肩を抱いてみた顔からは、血の気が失せようとしている。青々とした唇を震わせて、クロームは言った。

「ほら、アタシ、体分の価値しかないから………」力なく、彼女は笑った。「こんなことでしか、生きてる価値が貰えないから」

 乾いた笑いを漏らして、クロームの小さな肩から力が抜けていく。


「ディヤマンテか」

 ミドルマンは、焼け焦げた死体を見下ろしながら呟いた。それから、笑みを殺すように笑い、ロゼのほうを向いた。

 レンズが騒がしく蠢き始める。

「これでようやく、一人だ。オンリーワンだ。お前は、本当に一人だ。特別だ!」

 歓喜あまり、喜びの笑いを上げるミドルマンを、どこか冷めた目でロゼは見ていた。


 レンズから照射されるレーザーが、髪をなめるように這っていく。当てられた部位から、徐々に変色していき、桃色の髪は赤色に成り替わっていく。

 目の色も変わり、赤となる。

 カルミヌスの民の色となっていく。

「お前が最後の一人だったのだ。最後のカルミヌスの民。生き残りなのだ!」


 夕日色の世界は。

 夢の中で手を引いていた誰かは。

 あの赤い空は。

『アルマス』は、ワタシだったのだ。


 心で全てを納得していく。溶けた氷が、グラスの中の液体になじむように、それが本来の姿だという風に。ごく自然に、記憶は溶けていく。

 

 万感の思いは、胸中で爆ぜるように広がって、感情という感情を食い散らかして、涙と言う液体を外に排出させるに至った。

 

 価値とは何だ。価値のために人は生きているのか。自分の存在する価値のために人は生きているのか。そのために誰かが死んでいるのか。傷づいていかねばならないのか。

 価値とは、生きている価値とはそんな悲しみを広げてまで、欲する意味のあるものなのか。価値は命よりも重いのか。

 

 神の眼から、ざわついたノイズが聞こえる。

「ソソソソソ、ソノ、娘ノ価値ハ!」

 砂嵐の音の向こうから、壊れたレコードのような声が飛んでくる。機械的な音声は、たしかに神の眼から発せられていた。

「ハハハッハ! 八億! 八兆ウェートデアル!」


 ミドルマンの歓喜の声が上がった。けれども、ロゼの心は一向に晴れない。いくら己の命の価値が高かろうと、それがどうした。価値など。そんなもの要らない。自分には必要ない。自分の価値は自分で決める。誰かに決められる必要はない!

「今日、現在を持って、お前はこの都市で最も価値のある命と、正式に認定された! 素晴らしい、名誉なことだ! お前は一人になった。本当に一人に成り、この世界で代替えのない、単一の存在と成ったのだ」


「―――それが、何だというんですか」

「何?」

「ワタシは、価値なんて要らない! たとえ、この体分の価値しか、ワタシに無くても、ワタシは幸せだった! 心があるのならば、誰かと笑いあい、愛し合い、語り合い、この手を取る誰かがいるのなら! そんな平凡な日々が送れるのなら、それ以上の事は必要ない! アナタは、間違っている!」


「そうさ」

 聞き取りやすい高音の少年の声が、この部屋に入り込んだ。白い羽織りをはためかせて、金色の髪をなびかせて、銀色の刃を手に、キュウビは立っていた。


「価値なんてものは、所詮上っ面の物なんだ。アンタが今までしてきたことは、価値っていう檻に人間を閉じ込めてただけだよ、検査長官殿」

「動くな!」

 懐から、ミドルマンが銃を取り出した。銃口をキュウビへと向ける。

「部外者の貴様に何が分かる。人間という生き物には、己の足場が必要なのだ。生きるために、誰かと共に歩むためには、相手の居場所と、自分の居場所を知っておかねばならない。そのための『価値』だ。『値段』だ。学力が優れていても、体力で劣る。性別、容姿、性格、家柄。一つを取り上げて比べれば、一方が疎かになり、絶対の順位は決定しない。だからだ! だから、命という最終項目で決着をつけるに至ったのだ。命の価値という、生き物にとって共通で裸のカテゴリーで、優劣を決する。人間には、誰かと比べるための価値が必要だった! 点数をつけて、自分の生きることに価値を与える必要があったのだ。値段も知れない人生を歩むより、最初から価値の分かっている時間を過ごすほうが、心がどれほど穏やかか!」


「それで、この様か?」

 キュウビの刀を持つ手が震えている。怒りか、どうしようもない怒りか、それとも悔しさか。彼はミドルマンを睨んだ。

「点を付ける人間が、点に踊らされて、死んでいく。人のための優劣で、人が死んでいく。あまたの涙を超えても、まだ少ないほどの悲しみが、馬鹿のように量産されていく。己の命の価値の低さに絶望し、生きる気力さえ無くす。そんなことをして、そんな事に成ってしまうというのに、まだ価値が欲しいのか!」

「当たり前だ! ワタシ達は人間だ。優劣や順位が必要なのだよ! 誰の上に立ち、誰の下に居るのか。自らの存在意義は、価値になり、価値を求め、価値に餓え、価値に群がる。それが人だ!」


 レンズの作動する音。そうか、まだこの神の眼は起動しているのか。

 無機物の水晶体が、キュウビを捉えて、彼を検査し始める。自分の体よりも大きな眼に見つめられても、キュウビは臆することなく、ひょうひょうといつもの調子で、そこに立っていた。

「よう神様。目玉だけってのは、不便だろう? 自分で、自分の姿も見れないんだもんな。オレが手伝ってやるよ」


 キュウビは袖の下から、一つ、光る何かを取り出した。それは手鏡。神の眼のレンズは、そこに注目する。否。そうではない。今、神の眼が見ているのは、鏡ではない。

 鏡に映る自分自身の姿だ。神の眼は、己自身の検査を始めたのだ。


「ソノ物ノ価値ハハハハハハハハハハハ=!=!!”I」”==!=~=!#”##””’#$%&’&&”’’(()’”’”())」

 狂った機械音は、一向に値段を告げない。理解不能な言葉を羅列して、微振動さえ始めた。さらに、過剰に稼働しているせいで、室温も上がっている。神の眼は、明らかな誤動作を起こしている。


「どういうことだ。何をした。お前は一体、何をしたんだ!」

 引き金を今にも引こうとするほど、ミドルマンは激昂し、キュウビを問い詰めた。


「だから、そのまんまだよ。神の眼に、自分自身の価値を検査させたのさ」

「それで、どうしてこうなる!」

「答えの無い問題を解き続けているからさ。永久に自分の値段なんて、言えやしない。誰かの値段は簡単に決められても、自分の価値なんて、そうそうはっきり数字になんて出来ないんだ」

 

 一歩、一歩とゆっくりと。キュウビは刀の切っ先を、床から天井に上げて、暴走する神の眼へと歩み寄っていく。ミドルマンは、キュウビと神の眼の二つに視線を交互に移動させている。


「その眼で見ている世界は、その眼が無くなれば消える。ならば、世界は自分を中心に回っていて、その人の人生なら、その人の命の価値が最高額なんだ。たとえどれほど偉大な先人達がいようとも、生きているのならば、その命の所有者はすべからく、己が一番なんだ。優劣なんて、端から決められるわけがないんだ」


 刀が振り上げられた。

 一閃。キュウビの刀は、綺麗に垂直に振り下ろされた。


「人は、誰しもが主役であり、この世界で一番美しい命の持ち主なのだから」

 神の眼は、両断され、ぱっくりと割れた。ミドルマンの悲鳴のような喘ぎ声も聞こえてくるが、それをかき消すように爆音。神の眼は最後に小さな爆発を残して、天井に大穴を開けた。

 赤い、赤い空がその向こうに広がっている。掛け値なしの、景色が。夕日は今日も、赤く赤く。ノスタルジックであり、遠いあの日の記憶を掘り起こすようで。そっと、誰かがロゼの手を握った。クロームの白い手。ロゼは握り返した。


「だからさぁ、ボクを置いてかないで、って言ったよねぇ」

 不満をぶちまけるノーレッジの声。ついで、キュウビの謝罪のような笑い声。ノーレッジは、ロゼ達の側でかがむと、背中のリュックから医療キットを取り出した。クロームのためのものらしい。

 ノーレッジは、それをロゼに渡すと、立ち上がり天を仰いだ。穴のあいた天井を見上げて、突然右腕を上げた。


「ロゼ!」キュウビが思い出したように叫んだ。ノーレッジの手から、何かが飛び出て、空中で爆ぜた。それは、気球のようなクラゲのような、風船だった。それと繋がった彼の体は、浮き上がっていく。「いい記事が書けそうかい? 昨日も今日も、楽しかったね」


 まるで。夢のような日々。値札のついた人たちが歩く街に、やって来て、そこで陽気な犯罪者と出会い、知り合い、共に行動し、そして、失われた記憶を取り戻した。奇しくも彼が旅立とうとしていうのは、夢で何度も見た茜色の空で、今も自分は見上げている。


 ノーレッジの体は、もう随分と浮き上がり、キュウビはその下のロープにつかまった。彼の体もまた、浮き上がっていく。


「はい、はい! キュウビさん、アナタの、アナタの本当の名前を教えてください! じゃないと、記事にアナタを書くときに、困ります」

「オレの名前かい? じゃあ、最後に特別に。正直、言うのも恥ずかしい名前なんだけど―――」

「qb!」

 遠くから、凛とした少女の声が響いてくる。あの紺色の髪の、シアリスという警官がキュウビめがけて、走っていく。


「ゲ! ちょ、ノーレッジ! 起きてるけど、アイツ起きてるけど!」

「あぁ、ほら、だって。あんまり強くしたら、悪いと思って」

「今オレに結構悪い感じだけど。早く、ノーレッジ早く上げて! シアリスなら、跳んでくるから、この距離は」

「だね」


 ノーレッジがもう片方の腕で、何やら別のロープを引っ張って、操作している。シアリスは部屋の入口から、もう中ほどまで走って来ていて、もうすぐキュウビたちの真下へと到達するだろうが、ロゼにとっては、どうでもいい事だった。それ以上に、自分はまだ質問に答えてもらっていない。

「キュウビさん!」

「あぁ! 今日は良い夕日だ!」

「そうじゃなくて!」

「質問はお預け」

「今、答えてくださいよ! 今!」

「今度で良いじゃないか。そう、また。『また』」

 

 赤色の無限の天井へと、二人の姿は吸い込まれて行った。風に乗って、気球は流れて、どこか遠くへと飛んでいく。だが、彼は『また』と言った。なら、会える。

 今度また、いつか会う日まで。握りしめられた手を握りしめて。誰かとの繋がりに、想いをはせて。些細な事で喜び、小さな事で仲たがいをして、ほんの一行にさえ満たない言葉で、通じ合って。誰かと手を結んで。視界はせまく、世界は小さく。ワタシ達はそうして、生きていくのだ。それはただの自己満足のようで、他の誰かの利益に成らないかもしれない。自分のためだけの一生かもしれない。


でも、それでよいのだ。

なぜならこれは、ワタシのための人生なのだから。

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