魔女の立場

 あぁどうして。

 

 この目に映るのは、どうしようもない赤だ。赤ばかりではないか。

 燃え盛るような、炎の色。

 猛々しくもグロテスクな、血液の色。


 どちらの赤も、今は在り、次いで空も赤に染まっているのだから、世界が赤色に塗りたくられたのではないのだろうか、と勘違いする。不器用な神様が、ペンキをあちこちに飛ばしているのではないか。


 でも、目の前にある赤は、まぎれもなく自分の父親のものであり、家を覆う赤は見知らぬ誰かが放ったものなのだ。神様のものじゃない。


『アルマス』は、未だ茫然とした思考の中、陰惨なカルミヌスの古城を見続けていた。王も、家臣もない、ただの形だけの城だが、あれは自分たちカルミヌスの民の象徴だ。それが今、燃えて落ちて果てようとしている。ただの瓦礫の山に、ただの過去に成ろうとしている。


 幼いアルマスの胸に、どうしようもなく、形容しがたい感情が広がって、沈んで行った。後悔とも、悲しみとも、悔しさとも、恐れとも取れる感情を抱えて、崩れ落ちる城をただじっと見つめていた。

 自分たちの証が無くなっていくのを、ただじっと。


「アルマス!」

 近くで女性の声が聞こえた。近しい、とてもとても親しい女性の声だった。ローブに身を包んだその女性は、城を眺め続けているアルマスへと駆けより、思い切り抱きしめた。

 アルマスの頬を彼女のものではない涙が、伝って行く。


◆◆◆


 今日もつつがなく、神の眼は健在だ。


 ミドルマンは、一人神の眼の前に立ち、その巨大なレンズと対峙していた。現在は検査中ではないため、眼は閉じている。よって、自分は検査されていない。

 窓から入り込んだ日の光に照らされて、黄金色の金管楽器のようなチューブが輝いている。自分の身の丈以上の機械と向かい合うのは、心を震わせる。


 この市場都市アゴラにおいて、神の眼は必要不可欠の存在だ。アゴラはこの一部屋を中心に広がっていると言っても過言ではない。むしろその通りだ。

 品物も、時間も、風景も、行為も、そして人の命すらも。全て等しい『価値』という杓子定規によって、優劣をつけられる。順位を定められ、並べ替えられて行く。


 完全な社会とは、そうした優劣を完璧に整えて成長していく、アゴラのことを言うのだ。独裁政治でもなければ、愚かな人間が上に立つこともない。全て、無駄なく、損なく回転して行く社会こそ、人が最後に求める群衆の在り方だ。


「ミドルマン検査長官」

 

 落ち着き払った女の声が、背中に当たった。ラズラピリが入室したのだ。

 ローブに身を包み、夕日色の髪の毛を長く伸ばした彼女は、ヒールの音を奏でながら、一歩一歩優雅に前進してきた。


「ディヤマンテの逮捕には失敗しましたが、qbの逮捕には成功いたしました」

「ならば良い。あの賊は危険だ。この神の眼を破壊せんとする、アゴラの敵だ。この都市で、神の眼の恩恵を受けていない物は無い」

「他二名は如何なさいますか?」

「他?」

「はい。qbと一緒にいた娘二人です。一人はD判定の者。もう一人は外の人間です」

「qbとの関係は?」

「まだ詳しくは」

 部外者とはいえ、地下採掘場の事を知られているのはマズい。D判定の人間と共に行動していたのなら、あの話は聞いているはずだ。もし地下採掘場の情報が他の都市へと流れれば、アゴラの株は下がってしまう。そうなれば大きな損失だ。

 それは避けなければならない。

「二人を地下採掘場に放り込め。利潤を優先する」


◆◆◆


 ロゼが目を覚ますと、そこは牢屋だった。

 上半身を起き上がらせ、ふと首をひねれば鉄格子が外と内とを隔てている。これは牢屋だ。とても分かりやすい牢屋だ。

 だが何故自分がここに居るのだろうか。


 さて? はて? どうにも頭が回らない。ロゼは現状をもう一度確認した。

 自分は牢屋に居る。よく漫画とかに出て来る、陳腐なあれだ。灰色の空間の中に、自分は居る。見渡せば、座り込んでいるクロームと目が合った。

「ロゼ、もう大丈夫なの?」

 クロームが立ちあがり、こちらへとやって来る。背中に手をまわして、さすっている。

「はい。もう大丈夫ですけど―――」

 周囲を最後に見回して、言葉を続ける。

「ここは、どこですか?」

「牢屋よ。テスト四六の塔の中のね」

 クロームの答えは、ロゼの思い描いていた通りのものだった。

 そうここは、牢屋。


「―――何で?」

「捕まったのよ、アタシ達。キュウビは別の所に運ばれたみたいだけど。何でも、尋問するんだってさ」

「尋問?」

「あの熱心な紺色の髪の人」

「大丈夫なんですか、キュウビさん」

「さぁ? 多分大丈夫だと思うけど………」


◆◆◆


 両手は椅子の肘かけに固定されて動かない。両足も同じように、床に固定されていて動かない。恐ろしく窮屈な現在に、キュウビは一先ずため息を漏らすしかなかった。


 こうしてテスト四六の塔の内部に入れたという点では、目的は達成出来ているが、動けないのでは仕方がない。

 尋問用の小さな部屋の入口は、一つ。そして、自分の前には机越しに嬉しそうな表情を崩さないシアリスが座っている。

 悪夢のような光景だった。

 

 シアリスの持つペンが小気味いい音を立てて、動いて文字をつづっていく。中央国家への報告書を書いているのだろう。覗き込んでみれば、細かい字でお手本のような美しい文筆が伸びている。

「さて、これからアナタにいくつか質問をするのだけれど」

神の眼とは違う。人の本質を見透かそうとする人の目が、向けられた。シアリスの青い目がキュウビを捉えた。

「ちゃんと答えて頂戴ね」

「黙秘権は?」

「ありません」

「でも、プライベートな事はちょっと………」

「安心して、全然プライベートな事じゃないから」

「そうですか」

「まず、アナタの名前を」

「キュウビ」

「嘘をつかないで」


 ぎらり、とシアリスの目が光ったような気がした。一切の嘘を許さない、裁きの眼に近い。警官というのは、きっと彼女の天職だろう。

「qb、というのがアナタの本名なのでしょう? キュウビは俗称。それで、そのqbの名前の意味は? 何かの暗号? それともイニシャル? アナグラム?」

「そんなにオレの事が知りたいのかい? シアリス。大丈夫だよ。名前なんて、ただの飾り。本質さえ分かれば、不要なのさ」

「確かに、アナタは明日から番号で呼ばれるから、不要でしょうね。それじゃ、次の質問に移りましょう」


 罫線をしっかりと守る小さな字で、綺麗にシアリスは報告書にqbと書いた。

「アナタはどうして、アーティファクトを壊すの?」

「人間という生き物は、生まれながらにして、何かを生み出したいという創造欲というものがあり、その反対の破壊欲というものも持ち合わせている」

 まるで教師の講義を聴く生徒のように、シアリスのペンは滑り始めた。綺麗な字を書く割に筆速が早い。カリカリと音を立てて、文字が紙に掘り込まれていく。

「オレは、その破壊欲が強い傾向にあって、その対象がアーティファクトだった、ってわけさ。アーティファクトは常に何かを生み出して、一種のコミュニティとイデオロギーを人間に構成させている。それを壊したい、と思うのは破壊欲の強い人間からすれば、当たり前なことなのさ」

「それ、本当なの?」

「いやウソだけど」

 動いていたペンは止まり、ともすれば折れるのではないかというほどの力が、彼女の人差指にかけられた。思い切り全力で睨まれて、キュウビはとりあえず苦笑いをする。


「アナタねぇ………!」

 ふざけるな、真面目にやれと視線でシアリスはキュウビに訴えた。

「正しい名前も分からない、犯行動機も分からない。こんなふざけた―――」


「シアリス警部」


 唯一の扉が開かれた。入って来たのは一人の警備兵だった。サングラスをかけ、帽子を深くかぶったその男は、明らかに不審者らしい様。

「警部が睡眠不足とお聞きしましたので、自分は睡眠薬を持ってきたであります」

「は―――?」

 プシュー、という音。それは男の手に握られたスプレー缶から発せられた音だった。途端にシアリスの体は、芯が抜けたように倒れ込んだ。

 男がサングラスと帽子を取った。


「全く、ボクを仲間外れにするからこんなことになるんだよ」

 ノーレッジはポケットから眼鏡を取り出してかけた。

「いや~。助かったよ、ノーレッジ君。ちなみにお前、どこから来たの」

「例の地下通路だよ。キュウビ達が連れてかれるのを遠くから見て、後からそこを通ってここに来たわけ」

「その場で助ける気はなかったわけね」

「ボク痛いの嫌だから」


◆◆◆


「にしても、何でアタシらがこんな目に会うのよ。ったく」


 クロームが、ため息まじりに牢屋の鉄格子を睨みつけて、不平をぶちまけた。

 これから自分たちはどうなるのだろう。ロゼの中に、遅く不安が広がり始めた。相手は完全に自分たちをキュウビの共犯だと思っているだろう。実際はあいまいな所だが。


 遠くから足音が聞こえてきて、ロゼとクロームは耳をすませた。徐々に近づいてくるその音は、複数。接近してくるとともに、不安が大きくなっていく。


「ロゼさんとクロームさんですね」

 鉄格子の向こう側に現れたのは、ラズラピリと呼ばれた億万超者の女性だった。背後には、二人ほど警備兵を引き連れている。温和そうな顔立ちをした彼女が足音の主と分かり、ロゼの心境は、緊張とは違う事で固まって行った。

 何かが氷解していくような、胸の内が熱くなっていくような。

 ラズラピリと対峙していると、徐々に世界のピントがずれて行くような。

「アナタは―――」

 ロゼがその先の言葉を発しようとしたが、それは叶わなかった。ラズラピリの言葉が割って入る。

「急いでこちらに。アナタ達二人を、ここから逃がします」

「何でよ。アンタ、億万超者でしょう? ミドルマンから、そう命令されたの?」

 クロームの問いに、ラズラピリは首を横に振った。

「いいえ。これはワタシの意思です」

 ラズラピリの目が、ロゼの目と向かい合う。

 何かが分かりそうになった、その時。どこからか、サイレンが鳴り響いた。


「何ですか」

 ラズラピリが従えている警備兵に確認をとる。警備兵は、無線機で何やらあわただしく二、三言葉を交わして、ラズラピリのほうを向いた。

「ディヤマンテです。奴が、ここに侵入してきたとのことです!」

「ディヤマンテが………」

 優しげなラズラピリの顔に、僅かな緊張がはしった。鉄格子が開けられ、ロゼの前に手が差しだされた。

「さぁ、早く。ここから逃げましょう。こんなところに居ては、あの怪物に殺されてしまいす」

 そう言って差しだされた手は、ラズラピリのものだった。


◆◆◆


 テスト四六の塔は、あらゆる物品、存在を検査するための施設だ。運び込まれるものは、物であったり、物で無かったり。空気や、情報など、さまざまだ。人の命にすら値段をつけるこの塔には、したがってあらゆる計測器が保管されている。

 古今東西森羅万象全てを図るための、施設がここなのだ。

 わけのわからない道具だの、空間だのが広がっている。

 キュウビとノーレッジは、ベルトコンベアーが流れる工場のような空間に居た。コンベアーを流れて行くのは、何かの武器であったり、人形であったり、食べ物であったりと、多種多様。

 そのどれもが、レーザーのような光線を照射されて、隅々まで観られていた。おそらく、検査しているのだろう。途中からロボットにタグを張られている。

 特異な光景であり、物珍しく見るはずなのだが、今のキュウビにはそれが出来なかった。


「うるさい」

 脳みそを揺らすような、轟音が先ほどから鳴り響いている。

 キュウビは思わず頭の上の耳を、両手でふさいだ。しかし、それでも音は滑り込んで、脳を刺激した。渾身の力をもってして、先の一言を発した次第である。

「何だよこれ、さっきから、ガンガン頭にくる音」

 これだけの騒音の中に居るというのにノーレッジは、涼しい顔をしていた。

「ノーレッジ、うるさくないのか?」

「……? うん……?」

 ここ。耳を指さして、ノーレッジが耳栓のサインを出した。成るほど、準備が良いことだ。キュウビは自分の分が無いか要求しようとした時、どこからかあの嫌な声が飛んできた。サイレンのうるさい音の間を縫うように、トパーズの声が聞こえる。


「qb! 脱走したのは良かったが、すぐにオレ様に見つかっちまうとは、テメェも運がねぇなぁ!」

 空間の二階部分から、トパーズの声は降って来た。キュウビが見上げると、そこにはしたり顔のトパーズが、拳銃に指をかけて立っている。

「さぁて、テメェはこれからまたオレ様に牢屋にぶち込まれるわけだが―――」

 

 サイレンとは別の轟音が、部屋を震わせた。ちょうどトパーズの近くの壁が崩壊する。赤いマフラーが舞い上がる粉塵で見え隠れした。

「ディ、ディヤマンテ!」

 目を大きく見開いて、トパーズは慌てふためいて、とっさに引き金に手をかけた。が、それよりも早く、ディヤマンテは動いた。

 細い体からは考えられない腕力で、片腕でトパーズを軽々と持ち上げて、二階から一階のベルトコンベアーへと放り投げた。真下を通過していたプレゼントボックスにトパーズは頭からダイブする。


「アイツも地下通路を通ってきたのかな?」

「過程は良いから結果を見ようぜ、結果を。問題はあのマフラーマンをどうするかだが………」

 こちらが動く前に、ディヤマンテは、またいつもの調子で呻きながら、歩き始めた。キュウビ達を眼中に入れず、どこかへ、何かを探すように。

「)”)==”~=~{***{{`almas=llllllllllast.last!==”}}=!=-==only}」

「お探し物ですか、ネ?」

「触らぬ神に祟りなし、だよ。あんなの放っておいて、ボクらの目的を果たそうよ」

「だな。最低限コミュニケーションが取れないと、お友達になるのは難しいかな」

 コンベアーを流れる、トパーズの入ったボックスにタグが張られた。

 四千ウェート。


◆◆◆


 この手を引かれる感覚が、どうにも懐かしいのはどうしてだろうか。

 この手にある温もりが、どうしてこんなにも暖かく感じられるのだろうか。

 ロゼは、ラズラピリに手を引かれて、テスト四六の塔内部の廊下を走っていた。ここ数日で随分と走らされている気がする。

 窓から見える空で、もうすぐ夕方だと分かった。

 自分の手を引いているラズラピリは無言のまま、ひたすらに足を動かしている。どうして、この人は自分を助けてくれているのだろうか。ロゼの胸の中に、ふと疑問の波は広がっていった。

 本来ならば、自分たちを助ける立場には、居ないはずだというのに。何故だろうか。

「じきにエレベーターです。そこに着けば、一階まで直通ですので、すぐに外に出られます」

 ロゼの手を引いて走りながら、ラズラピリが言った。

「あなたは、どうしてワタシたちを助けて下さるのですか?」

 当然の疑問の声は、絶対にラズラピリに届いたはずなのに、彼女は沈黙している。聞こえていないわけではなく、単に答えたくないだけだろうか。ならば、何故答えたくないのだろうか。

「―――どうして、アナタはここに来たのですか」

 その声だけははっきりと、鳴り響くサイレンの騒音にかき消されずに、耳に届いたのだ。まるで耳元で謳われたように、しっかりと。

「取材です。ワタシ新聞記者なんです」

 ふと、今まで急いていたラズラピリの歩みは止まった。

 呼吸を整えているわけではない。ただ何かを感じ、その思いに浸っている風。

『魔女』は穏やかな表情で、わずかに笑みをたたえていた。

 突如として廊下の壁の一部が吹き飛んだ。後ろにいるクロームの短い悲鳴が聞こえてくる。ぽっかりと空いた穴からは、あの赤い男が現れた。

 ディヤマンテの赤い視線が、ロゼを焼くほどにきつく向けられる。そんな視線から、ロゼをかばうように、ラズラピリは間に立った。

 ローブの袖に隠していた、短めの杖を取り出して、しっかりと柄を握り、ディヤマンテを睨み返していた。


「お行きなさい」

 小さな声で、囁くようなラズラピリの声が、ロゼの耳へと届いた。

「ここはワタシが食い止めますから。アナタたち、二人をよろしくお願いしますね」

 彼女の部下は敬礼をして、こちらです、とロゼとクロームの手を握った。

 ロゼは、また誰かの手に、自分の手を握られて、ラズラピリに背を向けて、走り始めた。振り返れば、開いた穴から吹き込む風に揺れるローブが見えた。

 夕日色の髪の毛が、はらはらとなびいて、立つ姿はあまりにも凛としていて、美しく、頼もしいもので。


 気がつけば、頬には涙が伝っていた。何故だかは分からない。ただ、締め付けるような胸の痛みがどうしようもなく、心を引き裂いて爪痕を刻んでいるのだ。

 悲しいのか、悔しいのか、嬉しいのか、寂しいのか。

 自分は今何を想っているのだろうか。


◆◆◆


 すでに塔内は異様な雰囲気に包まれている。キュウビはノーレッジと共に、慎重に探索しながら、最上階の神の眼の間へと向かっていた。

 あちこちに破壊活動の痕跡があり、まるで巨大な獣が通った後のような、爪痕が残っていた。廊下には、窓以外の穴が空いていて風通しが良くなっている。

「―――いや~、触らぬ神に祟りなしって、本当だね~、ノーレッジ君」

「ボクらは、今からその神様をブッ壊しに行くんだけどね」

 ノーレッジの手には、この塔内部の地図が握られている。隠し通路から侵入した際に入手したらしい。振るい型らしいが、この塔の内装はそれほど変えられていないため、今でも機能している。


「それにしても、あのディヤマンテって奴、何なんだろうね。この塔に用事でもあるの?」

「さてね。再検査でもしてもらいたいのかな?」

 廊下の隅々には、横たわって気を失っている警備兵達が多数みられる。どうやら、ディヤマンテはここを通過していったらしい。

「今のところを見る限りじゃ、ボクらの同業者って考えても差し支えない感じだけど?」

「だな。壊したいのやら、生み出したいのやら。社会を効率よく回転させるために、作り上げた価値っていうシステムで、社会問題が発生してるんじゃ、本末転倒だな」

「社会問題ねぇ。ボクに言わせれば、アレって台風とか地震みたいな、自然災害みたいなもんだと思うけど」


 どこからか、爆音が聞こえた。順調にディヤマンテに近づいていっているらしい。酷く嫌な話だが。

「それにしたって、アイツも人間だから意思ぐらいあるだろうさ」

「じゃあ、目的とかあるわけ?」

「あぁ、あるからこんな処まで来たんだろ?」

「その目的って?」

「さぁ? またまた、本人に聞きますか?」


 おそらくディヤマンテが開けた物であろう穴をくぐると、黒いコートの背中が視界に入りこんでしまった。わずかに首を動かしてディヤマンテは、赤い瞳をこちらへと向ける。そして、唸るような威嚇。

 ディヤマンテを挟んで向かい側には、杖を持って立っている女性がいた。突然のキュウビたちの出現に、その女性は面食らったように、唖然としている。


「これ、どんな状況?」

 続いて歩いてきたノーレッジが、ため息を盛大について見せた。キミに付き合うとロクな目に会わないよね、という意思表示だ。

「魔女対マフラーマン、かな?」

「で、勝つのはどっち?」

「漁夫の利を得てキュウビが勝ちます」

 

 キュウビは、羽織りの内側に隠していた刀を、鞘から解放した。銀の刃が、わずかに光る。

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「アイツ何て?」

「『いけすかねぇ、クソギツネだ。オレを一人のけものにしやがって。今に、皮をはいで売り払ってやる』ってさ」

「―――お前、根に持つタイプだよな、本当」


◆◆◆


 あちらこちらで、騒音はうるさく存在を強調していた。鼓膜を震わせる煩わしいサイレンは、今もなお鳴り続けている。

 ロゼは、自分たちを誘導している二人の警備兵の後に続いて走っていた。

 頭の中で、何かが組みあがって行くような感覚。固い結び目が、徐々にほどけて行くかのようだ。

「こちらです。もうすぐで、エレベーターです。そこまで行けば―――」

 警備兵の一人が振り返り、声をかけた。しかし直後、その表情は硬くなり、突然崩れ落ちた。力を無くしたように、がくんと膝が抜けて、不抜けたようにそこに跪いたのだ。

「ようやく見つけた」

 しわがれて、年輪の刻まれた老人の声が、遥か前方から聞こえてくる。

 廊下の窓の日の光が差し込まない、暗い闇から、老人の顔がぬっとあらわれた。

 黒い髪の毛に、黒い眼。服装は、特注のローブのような司祭服。神官か、聖職者のような見た目をしているが―――。


「………ミドルマン」

 ぼそりと隣のクロームが、老人の事をそう呼んだ。

 ミドルマンと呼ばれた老人は、五名の警備兵を従えていた。

「どうにもオカシイとは思ってはいたのだ」

 ミドルマンのセリフの末尾を待たずに、こちら側の警備兵が警棒を構えた。だが音もなく、また倒れる。二人のガードを失って、ロゼとクロームは即座にミドルマンの部下に囲まれてしまった。

「あの価値の犬のようなディヤマンテが、何故お前たちを追いかけているのか。いや、正確には、『お前』か?」

 

 細い指先が、ロゼへと向けられた。その瞬間、心臓を射抜かれるような衝撃を受けた。膝から力が抜けて行く。

「ロゼ! ロゼ!」

 側に居るのにクロームの声はとても遠い。今までミドルマンを捉えていた視界は今、廊下の天井を映し出している。

 誰かに無理やり瞼を閉じらされるように、視界が黒に染められていく。

「全てが終わったならば、お前の命は最高額を叩きだすのだ。この世界で最も価値のある命となる」


◆◆◆


 ディヤマンテは、手にしている剣で先にキュウビへと斬りかかった。魔女に背を向けて、赤いマフラーがなびいてこちらへとやって来る。

 キュウビが渾身の力で、刀で初太刀を防ぐ。

 両腕には鋭い痺れが走った。なんという力だ。こんな細い腕をしているというのに。柳のような体というのに、どうも馬鹿力。

「ノーレッジ、手伝え!」

「ムリ!」

「そうか!」


 刀で剣を弾いて、キュウビは一歩後ろに下がる。

 まだ腕から痺れが抜けていない。初めて会ったときと、何かが違うのだろうか。

 

 轟という音が、不意に耳に伝わった。

 とたんに、ディヤマンテは燃え盛り、赤い炎の中で、溶けるような赤い髪が燃えていくのが見えた。

 

 炎に包まれて、焼けてのたうちまわり、断末魔を叫びながら、ディヤマンテは、振り返り、自分の後ろに立っていた女性を見た。

 女性の表情は疲れと、安らぎと、わずかな悲しみに染まっていて、複雑な顔をしていた。これで終わりだという、安堵の表情もそこにはあるが、後悔の念も同居している。


「終わりです。もう終わりなんです」

 女性は、泣き叫ぶように声を上げた。それがディヤマンテへの物なのか、自分への物なのか。キュウビに知る由もないし、知りたくもなかった。

「=”=~=~**{*+`*?*`?}」

 歩く炎のようなディヤマンテは、小さな呻き声を上げて、剣を振り下ろした。爆ぜるような音とともに、廊下にまた小さな穴が出来る。そこへ奴は体を滑り込ませて行った。


 追いかけるかどうか。それを考えている間に、小さな物音が聞こえ、見てみれば女性が疲れ果てたように、その場に座っていた。手にしていた小さな杖が、廊下の床を転がっている。


「まさか、本物の魔女だったとはね」

 鞘に刀を納め、キュウビは女性に歩み寄った。額に汗を滲ませている女性は、どこか虚ろな目でキュウビを見上げる。

 どこかで見た顔だ。知っている。そうか、億万超者か。

 昨晩得た情報を反芻して、この女性が『魔女ラズラピリ』であると、結論に至った。


「金色の髪に、金色の尾の半獣人。qbですね」息を整えながら、ラズラピリがキュウビを観察しながら口を開いた。「神の眼を壊しに来た第一級犯罪者」

「このままじゃ、あの熱血漢に先を越されそうだけどね」

「一つ、お願いがあります」

 ラズラピリはローブから、小さなペンダントを取り出して、キュウビへと差しだした。赤色のペンダント。高価な宝石があしらわれているわけではない。ただのガラス細工に近いアクセサリーだ。

「これを、ロゼという少女に渡してもらえませんか。アナタと一緒に居た、桃色の髪の少女です」

「どうして?」

「とても、とても大切なものなんです。これは、あの子が持っていないといけない。それから、この都市から外に出るまでの、護衛をお願いしたいのです」

「―――どうして、そこまで彼女に入れ込むの?」

 ラズラピリは、視線を伏してしまった。沈黙を守るらしい。

 手の中で光る小さなペンダントは、綺麗な赤色。

 あのディヤマンテの髪の色。

 ディヤマンテの瞳の色。

 カルミヌスの民の色。


「それ、カルミヌスの民が、成人を迎える一八歳の時に渡される、証のペンダントじゃない?」

 博識なノーレッジは、顎に人差し指を当てて、ペンダントの答えを当てた。

 ラズラピリの表情が僅かにこわばり、それが正解だと顔で告げる。

「―――あの子は、カルミヌスの民の生き残りなんです。だからディヤマンテは、あの子を狙っている。最後の一人になるために、自分以外のカルミヌスの民を殺すために。『赤色の黄昏時』に、ワタシはあの子をディヤマンテから守るために、髪と目の色を変えて、記憶を消して、都市外へと逃がしました。けれど、あの子は帰って来てしまった」


「一人、人よけの魔法を張って、アレに気づかれないように残ったアンタがいるこの街に――?」

 さらに一拍置いて「ロゼを殺してもディヤマンテは最後の一人になれない、違うかい?」


 泣いているのか、どうなのか。震える声は確かに聞こえれるけれど、ラズラピリの顔はうつむいていて、それを確かめることは出来なかった。

「どうか、あの子を外に送り返していただけませんか」

「最初の質問がまだだ」

「え?」


 ラズラピリは潤んだ瞳を丸くして、キュウビを見返した。

「どうして、彼女にそこまでするの? 何故、髪の色を変え、目の色を変え、記憶を消して都市外へと送るような、手間のかかることをしたの?」

「――なぜ今更そんなことを聞くのです? アナタはもう、気づいているのでは……?」

「アンタの口から、アンタが何者かを聞きたいんだ、オレは」

 ラズラピリの口は、僅かに動いた。

 鳴り響く警報の中、短い単語が発せられる。それを聞いて、キュウビはペンダントを、ラズラピリへと返した。

「じゃあ、やっぱりこれは、アンタに返すよ。自分で渡したほうが良いに決まってる。オレじゃ駄目だ」

「ワタシに、そんなことが出来ますか」


「出来るさ、絶対に。だってアンタはそういう立場の人間なんだろ……?」


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