カルミヌス

 水路はやがて途絶え、車は陸を歩くためのタイヤを出した。


 辺りはどうにも薄暗く、靄がかかったようにぼやけているが、人の気配はまばらに感じられる。そして、ここもマーケットの一部らしい。大通りのような道路の両脇には、小売店が行儀よく並んでいる。ここも、アゴラ都市内なのだろうか。ロゼは視線を忙しく動かしながら、思った。


「ここって、『姿を見せぬ交易(インヴィジブルマーケット)』じゃないの」

 クロームが周囲の小売店を、つぶさに観察して、運転席のノーレッジに言った。 ノーレッジは、ハンドルを緩やかに操作しながら、あぁ、とだけ答える。

「ボクたちみたいな、お尋ね者には好都合でしょ?」

「アタシは違―――わないか」

 クロームが否定を寸前に止めて、ため息をついた。


「クロームさん、ここって、一体何なんですか?」

「いわゆる闇市よ。アタシも、採掘場にぶち込まれる前までは、ここいらに来てたけど………」

「普通では買えないものが売ってるって、噂だけど」

 キュウビが、テスト四六の塔で読んでいたパンフレットを取り出して、また読んでいる。まさか、そんな本にここの事が書かれているのだろうか。

「一体、何を売ってるんだい?」


「―――価値よ、価値」

 首飾り代わりに付けている、自分のタグを見せてクロームは言った。二万一四五〇ウェートと、深く刻み込まれている。


「この市場で一番多いのは『タグ屋』っていう店。簡単に説明すれば、このタグの値段を好きなものに書き換えてくれるのよ」

「それって、どういう利点があるんですか?」

「見栄えが良くなる、ってことよ。誰かより自分の価値が低かったら、その誰かさんと会った時恥ずかしい思いをするでしょう? だから、自分を少しでもよく見せるために、タグの値段を上げるのよ。もっとも、そんなことをしたところで、神の眼は誤魔化せないんだけどね」


 霧の中の小売店の前には、ちらほらと人の出入りがあるらしい。靄のように誰かのシルエットが絶えず、見えている。けれども霧のせいで、決して素顔は見えない。この霧はプライバシーの保護のために役立っているのか。

「価値を支配するはずの人間が、価値に支配されてるってわけか」

 うーん、とパンフレットをめくりながらキュウビが言った。

「いつの時代だって、人は点数をつけたがるものだけど、その点数に踊らされてたら、わけないよな。付けてるのは人間だってのに。人が偉いか、点数が偉いか」

「観光するのも良いけど、そろそろ宿につくから」


『死に筋通り』と書かれた路地へと、車が入り込んで停車する。すぐ横には、宿屋らしき一軒家が建っていた。

「今日の宿は、ここか」

「あぁ。四人でたったの四万ウェートの宿だけど、我慢してね」

「大丈夫よ。少なくとも、アタシよりかは高価みたいだから」


◆◆◆


 車から降りて、ノーレッジを先頭に宿へと四人は向かっていく。

 ほんの少しの距離だというのに、霧の所為で砂漠の中で見る蜃気楼のように、距離感がつかめない。全くもって、視界の悪い所だ。ロゼは掴めそうなほど、濃い霧のせいで他の三人とはぐれそうになった。

「五里霧中ってのは、きっとこんな感じなんだろうね」

 ふと、手に誰かの温もりを感じて、ロゼはどきりとした。次いでの聞こえてきたのが、キュウビの声だという点も、プラスされる。

霧の中からにゅっと伸びた手は、確かにロゼの細い手を優しく包み込んでいた。

「それにしても、随分と深い霧だ。前も後ろも分からない」

「確かにそうですね。はぐれないように、手を繋がないといけませんね」

「そう、その通り。それで一つ質問なんだけど、ロゼ。キミは今誰かの手を繋いでいるかい?」

「え? ワタシはキュウビさんと手を繋いでいますけど」

「他には?」

「いや、全く。それにしても奇遇だね、オレもなんだよ。キミとしか手を繋いでいない。そして、どこに行くべきなのか分からない」

「―――え?」


 ということは、どういうことだろうか。ロゼは立ち止った。同じようにキュウビも立ち止まる。すぐ隣にキュウビの気配はしているが、霧のカーテンに隠れて、姿はおぼろげにしか見えない。よく見ようと顔を近づけると、先にキュウビのほうが霧から出てきた。互いの腕はひっつき合い、もはや恋人同士の距離だがこれくらい、近づかなければ互いの顔も分からないのだから、仕方がない。

「う~ん。やっぱり五里霧中?」


 二人して仲良く手を繋いで迷ったという事なのだろうか。いや、『だろうか』ではなく。実際そうだ。再び歩き始めると、霧はだんだんと薄れていき、やがて周囲の景色が、若干だが分かるようになる。

 通りの小売店の掲げる看板が、ごく普通の物に代わっていく。日用雑貨や、専門基部。古書や、謎の水晶や、用途不明の『何か』、etc。とかく地平線の果てまであるのではないか、と思うほど伸びる通りに、軒を連ねる店先には、沢山の商品が並んでいた。


「―――あれ? どこですか、ここ」

「さぁ? おかしいなノーレッジの後ろを、ただ歩いてただけなんだけどね。いや、それが駄目だったのかな。コートの端っこくらいは、掴んどくべきだったかな。―――そう思って、握ったのがキミの手なんだどけね」

「何だかワタシの所為みたいですね、その言い方」

「そんなことは無いよ。失敗くらいするよ、人間だもの」

「それでもやっぱり、ワタシの所為にしようとしてますよね」


◆◆◆


 また見逃した。否、まだだ。まだ奴はこの都市の中に居る。シアリスは一人、中央卸売市場で月を仰いだ。次こそは必ず。そう心に刻み込んで、剣を鞘に納めると、後ろから最近聞いたばかりの青年の声が耳に届いた。


「テンメェ~。さっきオレ様を踏んづけただろ!」

 額に大きなたんこぶを作ったトパーズが、憤怒の表情で、早足でこちらに向かってきた。

「そうだったかしら?」

 と答えつつ、シアリスは自分の記憶を探る。そんな事をしただろうか。いや、記憶に無い。あ、でも、それに近い感触はあった気がする。足場にしたマンホールが妙に、ぐらついていたというのが、ちょっと引っかかるが、そこを無視した。


「『そうだったかしら』じゃねェよ!」

 トパーズが怒鳴り散らす。まぁ、事実だとすれば、さっきの『胸小さい』の仕返しとなって、胸がすく思いだが、謝らなければならない。どんな時でも、悪意ある暴力は許されないのだ。まだキャンキャンわめくトパーズに向き直って、シアリスが謝ろうとした時、背後のマーシャル川から、不吉な音が聞こえた。

 広場に集まっていた野次馬たちが、悲鳴を上げて一斉に逃げだしていく。中央卸売広場だというのに、人はトパーズとシアリスだけとなった。立ち並ぶ小売店の店主たちも、逃げ出している。


「ディ、『ディヤマンテ』!」

 あれだけ喚いていたトパーズが、その名を叫ぶなり、黙りこくった。シアリスは、自分の背後を確認する。そこに居たのは、赤いニット帽と、マフラーで目意外の顔の部分を隠し、黒いコートに身を包んだ、一人の男だった。背中には、剣が背負われているが、すらりと伸びている長身と、華奢で細そうな体からは、この男が剣を振るう様は想像できない。帽子とマフラーの間にある両目の輝きは、異質。

シアリスは、油断なく構えるが、ふとその男の腕にトパーズと同じ腕章が付いている事に気がついた。つまり、この男も億万超者というわけだ。本来ならば、トパーズの仲間ということだが、そうすると名前を呼んだきり黙りこくるのは、おかしい。


「ちょっと、彼もアナタと同じ億万超者の一人なんでしょう? どうしてそんなに怯えてるのよ」

 及び腰で、もう壊れているであろう銃に手を這わせている、トパーズにシアリスが問うと、ディヤマンテと呼ばれた男は、言葉ともつかぬ言葉を吠えた。

「IIIIIII,III,IWILLL//P@;;:/.;.;;[^-9-@::://#$#”(‘()”’”()(!))]」

 理解できない言語を口から発すると、ディヤマンテは小売店の屋根の上へと跳躍した。そこからさらに、別の屋根へ飛び、そこから立ち並ぶ家々の屋根の上へと飛び移り、夜の街へと消えていった。


「何でアイツが出てきてるんだよォ」ディヤマンテが去って、トパーズはその場に、へなへなと腰を下ろした。

「ねぇ、今のは誰?」

「ディヤマンテ。オレ様と同じ億万超者の一人にして、ここ市場都市アゴラ最高額の人間だよ」


◆◆◆


 霧は薄くなり、視界は広がっていく。それと同時に、通りに並んだ店先にぶら下がる、ランプの明かりが、どうにも神秘的に目に映る。ゆらゆらと揺れる明かりの道を、ロゼはキュウビと手を繋いで歩いていた。もう霧の街から抜け出たのだから、手を離しても構わないのだが、何故だが繋がれた手をそのままにしている。久しぶりに間近で感じる、誰かの体温だっただろうか。

 ロゼの右手は、無邪気で破天荒で、周囲を引っ掻き回すのが大好きな少年の手を、離そうとはしなかった。

「ん? あっちに人だかりが出来てる」

 突然聞こえたキュウビの声に、ロゼはどきりとした。と同時に、そんなになるまで、自分の世界に入っていたことを恥じた。


「ど、どれですか?」

 慌てた事を隠そうと、ロゼは慌てて言葉を紡いだ。

 ほらあれ、とキュウビが少し離れた十字路を指さした。十字路の手前には、人の壁が出来ている。側の店の店主さえ、身を乗り出して、皆と同じ何かを見ようとしていた。

「行ってみようか」

 キュウビに手を引っ張られて、ロゼはまた駆けだした。

 店先のランプに淡く照らされる、はためくキュウビの羽織りの白は、どこか夢色のようで、ここが何かの物語の中の街のようだと、錯覚させる。

 人だかりの前まで来て、ようやく立ち止り、背伸びをして、そこにある何かをキュウビは見ようとする。ロゼもそれに続いた。

 十字路を縦に、都市の中央部へと向かうように渡っている、集団があった。

 数人の警備兵たちがちらと、視界に入り込んで、ロゼは慌てて首をひっこめた。キュウビも同じらしく、肩をすくめていた。


「ねぇ」

 すぐ隣の男に、キュウビが声をかけた。怪訝そうな顔でもされるかと思っていたが、男の反応はそうではなく、どちらかと言えば、興奮してはしゃいでいる子供のようだった。

「なんだ? 坊主」

 男がキュウビを見返して言った。

「この人だかりって、何なの?」

「あぁ? 『魔女ラズラピリ』だよ」

「魔女?」

 キュウビが分からない、といった風な表情をすると、男はここでようやく怪訝な顔をした。じっとキュウビとロゼを見比べる。


「あぁ!」ポン。手を叩いて男は納得した。「そうか、外から来たのか」

「そう。ちょっと観光旅行でね。それで、魔女って?」

「あの馬車の中に乗ってる人だよ。人よけの魔法を強く張って引きこもってるらしいから、全然見ないんだけどな」

 男の指が十字路をのろりのろりと、横切っている馬車を指さした。よほど老いた馬なのだろうか。その足取りは、恐ろしくゆっくりだ。そんな馬にひかれているのは、オレンジ色の、丸いカボチャのような車。それこそ、おとぎ話で出て来そうな、フォルムをしている。


「確かに、魔女が乗ってそうだね。でも、魔女って、『魔女狩り』があった所為で、だいぶ滅んだって、聞いたけど。もしかして、生き残り?」

「いいや。魔女ラズラピリは、子孫なのさ。希少な魔女の血族らしい。それが本当かどうかは分からないが、神の眼からは実際に、億万超者に認定されてる」

「それじゃあ、魔法なんかも使えたり、するわけですか?」

「噂じゃ、占いとか予言とか出来るらしいけど。実際に見たわけじゃないからなぁ。その辺は、眉唾もんだなぁ」

 ロゼは少しかがんで、前の人の脇から、件の魔女をのぞき見た。馬車の車に取り付けられた窓から、ほんの僅かに横顔が覗いた。

 優しげな女性がそこに座っていた。温和そうな顔立ちで、淡い夕日色の髪を長く伸ばしている。少女的な美しさではなく、完成され落ち着いた女性の美しさを、漂わせていた。

「綺麗な人だろ」

 男が言った。

「ま、彼氏にしてみれば、彼女さんのほうが、綺麗か」


 ―――は? ロゼの思考は一時止まり、つい男の顔を凝視してしまった。男はげらげらと笑い、キュウビは苦笑していた。

 否定してほしいような、してほしくないような。そんな葛藤がロゼの心の中で渦巻いた。

 キュウビと目を合わせるのが、何だか恥ずかしくなって、また魔女の馬車へと視線を戻す。ギャラリーをちらと見るために、顔をこちらに向けたラズラピリの目が、自分の目とあった。

 髪の色と同じ、夕日色の瞳が、じっとこちらを見返している。


「―――え」

 頭の中を、棒でかき乱されるような感覚。ラズラピリと目が合った瞬間、ロゼに激しい頭痛が襲いかかった。荒れ狂う一瞬の波のように、それはやって来て、急速に去って行った。しかし、ロゼの額にはまだ熱が残っている。

 

 赤。

 

 まただ。また、あの燃え盛るような赤が、自分の頭の中に入り込んできた。心の余裕を埋める様に、何かが広がっていく。それはシミのようにじわじわと。

 思わず、額に手を当てて、その場に跪いてしまった。

「ロゼ!」

 キュウビが珍しく余裕の無い声を上げた。

 ロゼの横にかがんで、肩に手をまわす。

「大丈夫か」

「えぇ、大丈夫です。ほんとに、大丈夫………」

 よろよろとロゼは立ち上がり、目を開けたり閉じたりして、めまいのような感覚を締め出そうとする。

「―――赤い男を見たときも、そんな感じだったよな」

「えぇ………。でも、この感じは一体」

「大丈夫かい、嬢ちゃん」

 男はオロオロしている。どうしたものか、と考えているのだろう。

「大丈夫ですよ」

 何とか笑って、ロゼは笑顔を取り繕った。どこかぎこちないのは、自分でも分かる。だがそれでも、偽りの笑顔を浮かべていた。

 そうした時、ロゼの心の中で、僅かな違和感が生まれてきた。世界とのズレのようなものだろうか。まるで、自分が自分でないような感覚が、染み渡っていくような。


「ロ~ゼ!」

 背後から、元気な少女の声が飛んできた。振り返れば作業着から、可愛らしい赤のパーカーに、黒いスカートとスパッツを履いたクロームがいた。

 その隣には、げっそりしたノーレッジが。


「どこ行ってたの」

 むぅ、と膨れてノーレッジがキュウビに詰め寄った。

「いや~。何だか知らない間にこんなとこに着いちゃって。こうならないために、二人で手を繋いでたんだけどね、仲良く迷子になっちゃった」

「なっちゃった、じゃないよ! 全く、キミ達二人を捜すために、クロームの服まで買わされて」

「いいじゃないの。安いんだし、これ」パーカーの首の部分から垂れている、紐を指で弄びながらクロームが抗議した。「あんな格好で外出るわけにもいかないんだし。それに、この辺りの土地勘は、アンタよりもアタシのほうがあるんだから。そのお陰で二人も見つけられたんだし、感謝くらいはしてくれてもいいのよ?」

「絶対やだ」

 ふん、とノーレッジが首を横に振った。

「さて、今度こそ宿に戻ろうか」キュウビがそっと、手を差し伸べた。「ロゼ」

 ロゼは手を取った。

 確かな温もりがそこにあり、自分がここにあるのだと、教えてくれる。不思議とさっきまで感じていた違和感は消えていた。


◆◆◆


 何かが起きている。


 あのqbがやって来てから、何かが確実に起こっている。それは一種のウィルスのようであり、伝染し感染拡大していくようだ。

 この市場都市アゴラの中で、得体のしれない病原菌がはびこっている。

 ミドルマンは、鈍く不気味に光る月を、執務室の大きな窓から見ていた。時刻はまだ、深夜の手前。夜の八合目程度の頃。

 夕食も終わったくらいの時間に、客人を呼び寄せるのは、如何なものだろうかと普段なら、思ったことだろうが、今の自分には他人を気遣う余裕は残されていない。


 執務室の扉が開いた。バツの悪そうな顔をして、トパーズが入室してくる。後ろからはシアリスが、昼間の時と同じ表情のまま歩いていた。


「失敗したか」

 着席したまま、ミドルマンが短く告げるとトパーズが、小さく「はい」とだけ返事をした。首からぶら下がっている彼の、六千五七八万八九六七ウェートのタグが申し訳なさそうに揺れた。


 この男のしたことは、ただの失敗だったのだろうか。ミドルマンは、しばらく事態を頭の中で整理しながら考えた。あの第一級犯罪者を取り逃がしたのは、事実。だが、それ以上の事がこの都市で発生している。時期的に考えれば、あのqbが逃げ出した頃だ。これは何か関連性があるのではないのだろうか。


「ミドルマン検査長官」

 しなだれているトパーズを横目に、背筋の通ったシアリスが口を開いた。

「ディヤマンテ、とは一体何者なんですか。トパーズ氏曰く、この都市最高額の億万超者である、とのことですが」


「………ディヤマンテ」

 小さく呟いて、ミドルマンはあの者の行動を、確認した。普段は大人しく、手なずけられた猛獣のような奴が今、そのくびきから解き放たれ、個人で動いている。忌々しき事態だ。

「説明通りだよ。奴はここアゴラで、もっとも価値のある命の持ち主だ。『それだけ』だ」

「ですが、あれはあまりにも―――」

「人語を解さず、それこそ獣のよう」

 シアリスの言葉をさえぎるように、扉が開かれ、一人の女性が言葉を発した。黒のローブに身を包み、謡うように言葉を紡いで、『ラズラピリ』はミドルマンの前へと歩いてきた。夕日色の髪が、窓から差し込む月明かりに、わずかに照らされる。


「遅くなりました、そしてこんばんは。ミドルマン検査長官」

 ラズラピリは僅かに頭を下げて、挨拶する。

「魔女を引っ張り出さずとも、qbはオレがもう一度行って―――」

「問題はqbだけではない」

 トパーズの弁明の終わりを待たずして、ミドルマンはそれを制した。

「ディヤマンテの単独行動も問題だ。何故、あれが今になって暴走しているのか。そちらも、qb以上に問題なのだ。それに、時期的に考えて、あれの暴走にqbが関係しているとも考えられる」

「―――ディヤマンテという、あの億万超者。その詳しい説明がまだですが」

 眉をひそめて、シアリスがミドルマンに言った。

「カルミヌスの民の生き残り。奴はその最後の一人だよ。たった一人生き残った。世界で絶対のオンリーワン。故に代用品は存在せず、故に最高額。それがディヤマンテという男の正体だ。ただ『それだけ』の男だ」

 じわじわと何かが広がっていくようだ。ミドルマンは自分の吐いた言葉に、寒気を覚えながら、そう感じた。この都市を根底から崩壊させるような何かが、広がっている。


◆◆◆


 陰気な街の雰囲気とは違って、このシチューには人を落ち着かせ、暖かにする力があるらしい。

 ロゼ達は、ノーレッジがとっていた宿で、丸テーブルを囲んで、四人は遅い夕食を始めていた。霧の道を迷わなければ、もっと早くに食べられただろうが。

 ロゼは木製のスプーンで、熱いシチューを口へと運ぶ。まろやかで甘く、コクのあるミルクの味が口内に広がっていく。やはり美味だ。

「ん~、ウメェ」

 キュウビが簡単な感想を述べた。手のスプーンの動きは緩やかなものだが、止まることなく動き続けている。

「さすがはノーレッジ。中々良い宿をとる」

「キュウビに任せると、とんでもない所で寝ることになるからね。前の『記録都市』でなんか―――」

「そいつは五つ前の都市の話だろ。お前、結構根に持つタイプだな」

「キミがカラッとし過ぎなんだよ。もう少しは気にしてほしいね」

「ねぇ、アンタ達」クロームが、スプーンを置いて、キュウビとノーレッジの会話に割って入る。「アンタ達、っていうかアンタ」キュウビを指さして、「なんで地下採掘場にぶち込まれたのよ。何か、トパーズはqbとか言ってたけど。まさか、本当にあのqbなの? アンタが」


「そのまさか、ですよ」

 ロゼは乾いた笑いと共に、肯定した。自分だって信じてはいなかったが、周りがqbと彼を呼ぶのだ。それがきっと事実なのだろう。

「へぇ~」

 クロームの目の色が、ほんのわずかだが変わった。キュウビに対する、評価が変わったのだろうか。

「じゃあ、目的は『神の眼』ってわけなの?」

「あぁ。あれを壊すことを目的に、この街にやって来た。ノーレッジは、オレの助手兼、メカニック兼、雑用係ね」

「つまり彼一人じゃ何も出来ない、ってこと」

 ノーレッジは自分のスプーンの先を、キュウビへと向けて言った。


「どうやって、あの神の眼を壊すつもりなの? アレが保管されてるのは、『テスト四六の塔』最上階。セキュリティも固いし、何よりアレを壊せる武器とかはあるわけ? アタシは一回しか見た事がないけど、相当デカイわよ、アレ」

「そいつは大丈夫」キュウビが羽織で隠れるように、腰に差している刀を見せる。「アーティファクトは、コイツで斬れる。コイツは、アーティファクトを壊すための、アーティファクトなんだ」

「それ、アーティファクトなんですか」

「一応な。コイツじゃないと、アーティファクトは壊せない」

 アーティファクトと言えば、巨大な機械しかイメージしていなかったが、こんな小さなものも存在しているのか。ロゼはまじまじと、キュウビの持つ刀を見た。


「でも、どうやってあそこに行くのよ」

「この市場都市の外れに、放置された古城があるのは知ってるかい?」

「古城? あるんですか? そんなの」

「あるわよ。アタシ知ってる。『カルミヌスの城』でしょ。昔、あの近くに住んでたから、よく忍び込んだりしてたわ」

 

 カルミヌス。

 

 その言葉に、なぜか鼓膜が反応した。ロゼは、不思議に思い、その単語を記憶の中から探そうとしたが、どこにも見当たらなかった。なぜだろうか。


「さて、ここいらでちょっと、歴史のお勉強だ。はい、ノーレッジ先生にパス」

「―――ボクの出番なわけ?」

 口に運ぼうとしていたスプーンを置いて、ノーレッジはキュウビをジト目で睨んだ。それに対して、キュウビは笑顔を浮かべるだけで、諦めてため息をついてノーレッジは説明を始めた。


「ここ市場都市アゴラの発展が、神の眼と万能鉱石オリハルコンによるものだって事は、知ってるよね」

 確か、その説明はキュウビが地下採掘場でしたのを覚えている。ロゼは、昼ごろの記憶を探り当てて思い出しながら、ノーレッジの説明を聞いていた。


「この都市から神の眼が掘り当てられ、オリハルコンが採掘出来るようになったころ。ここアゴラの人々は、ある一族と手を結ぶことになった。

 それが『カルミヌスの民』。赤色の髪に、赤色の眼。それがカルミヌスの民だった。彼らは元々遊牧民だったけど、発展途上だったアゴラの近くを通り、ここの人間に頼まれて、オリハルコンの採掘を手伝った。

 彼らは力仕事が得意で、採掘作業は以前より目に見えて、はかどるようになった。アゴラの人間は、そんなカルミヌスの民の力を見て、ここに永住して欲しいと頼みこむ。

 カルミヌスの民側も、悪くない賃金を貰っていたし、まだオリハルコンは地下にある。彼らはここに永住することを決めたんだ。

 そして、この都市は発展していき、その時の都市の最高権力者が、彼らに城を一つ与えた。

 それが『カルミヌスの城』。アゴラに対する貢献を評価し、彼らは自分と対等の立場である、という証だったのさ」


「でも、どうして、そんな城に用事があるんです?」

「そうよ。あれはただの古城よ。何にも無いわよ?」

「いいや。それがあるんだよ。さっきもボクが言ったけど、あれは『証』なんだ。遊牧民だった彼らが、先住民である自分たちと対等である証。カルミヌスの象徴が、その城なら、アゴラの象徴は、あのテスト四六の塔。そして、対等の証として、それら二つは地下で繋がっている」

「そこを通って行くって、わけですね」

 なるほど、と納得するロゼとは逆に、クロームはため息をついて、呆れ顔でキュウビとノーレッジの二人を見比べた。


「あのね。確かにそんな話はあるけど。それって『噂』よ、噂。あくまで噂。アタシが子供のころに、散々捜しまわったけど、無かったわよ、そんなの」

「隠し通路、とかじゃないんですか?」

「それも探したわよ。でも、それらしいのは一つも無かったわよ。まさか、本当にその古城に行くつもり?」

「もちろん。それしか、方法は無いんだし。いいんじゃない? ちょっとした冒険みたいな気分で」

 キュウビが遠足を待ちわびている子供のような、はしゃぎ様で言った。確かに、古城に行くというのは楽しそうだ。それに、明らかな危険の匂いはしてこない。

 そして何より、さっきから妙に引っかかる『カルミヌス』という言葉。その古城は、何だか自分を、吸い寄せているようにも感じられる。


 どうして、そう感じるのだろうか。ここに来てから、自分はどこかおかしい。

「ロゼ」

 キュウビに呼びかけられ、はたとロゼは我に返った。ほんの少しだけ、心配の色に瞳を染めて、キュウビがロゼを見つめていた。

「大丈夫か? 何か、ぼぉーっとしてたけど」

「………えぇ、大丈夫ですよ。大丈夫」

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