億万超者

 手にはすでにタコが数個は出来て、つぶれている。

 自分は、何をしに来たんだろう。そう言えば、確かこの街に取材に来たはずだ。目標としては究極検査を記事にして、書くつもりだったのだが―――。


 ロゼはじっと、自分の手を見た。千二百ウェートのタグが付いたつるはしが、そこにある。


「そこ、休むな!」

 一階から怒号が飛んできて、ロゼは慌てて作業を再開する。どうして、自分がこんな目に。そう思い、元凶の隣の少年を見ると、彼はすがすがしい表情で壁を掘っていた。本当に勤労しているように見える。が、これはどう見ても支配だ。恐怖による支配だ。この採掘場では、人を死の恐怖で縛って、無理やり働かせている。

 まさに、とっておきのスクープ、ではあるのだ。自分がここから生きて出られたならば。ため息をついて、またつるはしを振り上げて、振り下ろす。


「全く、どうしてワタシがこんな目に合わないといけないんですか! ただ取材をしに来ただけなのに!」

「今もしてるじゃないか、取材」隣のキュウビが、よっせ、と掛け声交じりにつるはしを振り上げて、言った。

「違います! ワタシがしたかったのは、もっと明るいニュースの取材です! こんな暗いところのじゃありません!」

「え、暗い?」


 まだ持っていたのか。

 ロゼは、さっきまで暗闇を照らしていたライトの光を、己の顔に当てているキュウビを、憎たらしく見返した。


「もとはと言えば、アナタの所為なんですよ! 一味だって、誤解されて………って、あ! そうですよ。誤解を解けば良いんですよ! そうすれば、ワタシは外に………」

「こんな『暗いところ』を見た記者さんを、解放してくれるといいけどね」

「―――それもそうですね」

 苛立ちをぶちまけるように、つるはしを思い切り振り下ろした。


「ま、もうすぐ休憩みたいだし、それまで頑張ろうか。働かざる者食うべからず。勤労後の一杯は、きっと美味のはずだ」

 採掘場の天井近くに取り付けられた、大きな時計を指さしてキュウビは言う。もう、じきに夜らしい。地下に居るせいで、時間の感覚がずれてしまう。採掘場内に、サイレンが響き渡る。今日の作業が終了する合図らしい。皆一様に手を止めて、ふぅと息を吐いてリラックスしている。一階部分には、夕飯らしきものが出ている。


「さぁご飯、ご飯」

 つるはしを肩で背負って、キュウビが一階へと降りて行く。ロゼもあとに続いた。こんな状況下でも、腹はすくもので、意外と自分の神経が図太いことを知った。鼻孔をつつく匂いで、今日の夕飯がカレーであることが分かった。一列に並んで、皿にご飯を盛ってもらうという行為は、こんな場所でなければ、きっととても楽しめた事だろう。ロゼは皿を持ったまま順番待ちをしていた、そう思った。


 まばらに会話は聞こえるものの、談笑の類のものではない。ひそひそと、声を潜めて単純な意思の疎通だけをしているようだ。暗いと、端的にロゼは感じた。しかし、わずかに聞こえてくる話声には、普通の会話も混じっている。

 今日のカレーは上手いだの。ルーが少ないだの。ご飯が多いだの。こういった採掘場で在りがちな、『今晩はどうする?』『いや、今晩は駄目だ。警備が固い。明日なら抜け出せる』と言った。脱出を企てるものは聞こえてこない。

 というより―――。


「変でしょ」

 

 隣から不意に声をかけれて、ロゼは思わず皿を落としかけた。声はキュウビのものではない。右隣を見れば、そこにいたのは、自分と同じくらいの歳の少女だった。ぼろぼろの作業着を着ていて、茶色い髪をツインテールにしている。それが唯一のオシャレのようだった。


「はじめまして、新入りさん。アタシは『クローム』」

 初めましての挨拶のつもりらしい。クロームは、ロゼにタコだらけの右手を差し出した。


「初めまして」ロゼはその手を握り返した。「ワタシはロゼって言います。こっちの尻尾の生えた人がキュウビさんです」

「―――説明が凄くぞんざいになってないかい?」ロゼの後ろに並んでいたキュウビが、クロームに手を差しだした。こちらでも握手は行われる。


「アンタたち、タグが無いわね。外の人?」

「えぇ、ワタシたちは都市外からやって来たんですけど………」

 ふぅん。クロームは唸って、それから背伸びしてロゼの耳元に口を添えた。そして、悪戯を計画するような子供の声色で、ひそひそと彼女は言った。


「ねぇ、アンタたち、ここから脱出したくない?」


◆◆◆


 都市外の人間はどうも苦手だ。普段の常識が通用しなくなるからだろう。ミドルマンは本日二度目の来客者の相手を、面倒そうにしていた。

 執務室の机を挟んで自分と対話しているのは、昼間の少女だった。


「あのqbを捕獲したという情報を受けました」

 紺色の長髪を揺らして、せかせかと扉からこの机の前まで歩いてきたシアリスという少女は、開口一番にそう告げた。


「はい。確かに当局で身柄を確保いたしましたが?」

 何か不満でもあるのか、とミドルマンは苛立たしげにシアリスに言った。時が流れていくのが惜しい。時は金なり、金は金なり。この瞬きする一瞬にさえ、数ウェートの価値はあろう。


「では、その身柄は今どこに!」

 声を荒げてシアリスは問うた。あの昼間の少女とは思えないほどの、興奮ぶりだ。

「現在は『地下牢』にて、拘束中でございますが」

「……そうですか。では、審問は出来ますか? これまでの罪状の確認がしたいのですが」

 シアリスの提案に、ミドルマンはわずかばかり、心を揺さぶられた。

 

 ――まずい。

 

 この少女をあの地下採掘場に通すわけにはいかない。そんなことをすれば、この都市の忌むべき暗部が全て、白日のもとにさらされてしまう。そうなれば、せっかく価値の上がったアゴラの値が、下落してしまう。それだけは避けなければならない。


「いえ、審問なら、我々で行いましょう」

「いいえ。審問はワタシがします。内容は、アゴラ以外のものですので」

 

 内心舌打ちして、ミドルマンは思考を巡らせた。

「では。少々お待ちください。qbをこちらに連れてまいりましょう」今はこの少女をあの地下採掘場に近づけないことを、最優先にすべきだ。

「そのような事をなされずとも、ワタシが直接牢まで審問に行きますが」

「いやはや、申し訳ありませんが、都市外の方をあの特別牢にお通しにする事は出来ないのですよ、セキュリティの都合上」

「―――そうですか」

 

 ようやく納得したか。ミドルマンはほっと胸を撫で下ろして机の上の、受話器を手に取った。ダイヤルを回して、qbを連行するに値する人間を呼びつける。


「ですが、くれぐれもご注意を。qbは油断ならぬ敵です」

「分かっておりますよ」

 

 扉が勢いよく開かれた。手近なものを呼び寄せたとはいえ、意外に早かったな。ミドルマンは開けられた扉の向こうからやって来る人間を、視線で迎えた。


「お呼びですか? ミドルマン検査長官」


 一人の青年が、自己主張強く入室してくる。銀色の髪は、一方は左目のまつ毛の上で止まり、もう一方は右目をすっぽりと覆っていた。すらりと伸びた長身を包むのは、高価そうな黒のスーツ。ズボンには、二丁分の拳銃のホルスターがぶら下がっている。しかし、何より彼の存在を強めているのは、その右腕に巻かれている腕章だ。

 市場都市アゴラの中でも、ごく一部の人間しか身につけていない、それは特権階級の証でもある。


「彼は?」突然の来訪者に、疑問の声を上げるシアリス。そんな彼女を、青年は見下すように見ている。

「ほう、なかなかの美人。だが、メスなら、もう少し『ここ』に膨らみが欲しいところだナァ」

 自分の胸を指さして言う青年に、シアリスの表情は一瞬凍り、そして火山が噴火するように赤面して、剣に手をかけて叫んだ。

「この無礼で、下種な青年は、誰ですか! ミドルマン検査長官!」

 声を荒げるシアリスとは反対に、ミドルマンは冷静に言う。

「彼は、神の眼に価値が一億ウェートを超えると判断された、特権階級『億万超者』の一人ですよ。名をトパーズといいます」


 どうも、とミドルマンに紹介されたトパーズはシアリスに軽く会釈した。

 しかしそれには、一切敬意の念はこもっていない。

「トパーズ。お前に地下牢に閉じ込めておいた、あの第一級犯罪者を此処まで連れてきて欲しい」

「『おつかい』なら、別にオレじゃなくても、出来るんじゃないんですか? 検査長官殿」

「そこのお客人が、油断なされるな、とアドバイスして下さったのでな。念には念を入れておこうと思ったわけだ」

 なるほど。頷いてトパーズは鼻で笑い、踵を返して、扉へと向き直った。

「それでは、行ってまいりますので」


◆◆◆


 夕飯も終わり、採掘場の人間が就寝に就く時間。ロゼとキュウビとクロームは、小屋の中に居た。採掘場の離れに在る、小さなロッジ。作業員たちは、分散してどこかのロッジで寝泊まりしているらしく、このロッジも、そんな宿舎の一つらしい。意外と綺麗に片付いているのだなと、ロゼは入った時にそう思った。中は見た目と違って存外に広く、尚且つ清潔感があり、どうにもあの採掘場とは雰囲気が合わない。ロゼ達以外にも、数名の住人がおり、リビングでコーヒーを飲んだり、暖炉の近くで読書をしたりしている。


 ロゼはそんな彼らを、丸テーブルに添えられた椅子に座りながら、ただじっと見ていた。おかしい、と脳裏で誰かが囁いた。自分が想像していたのは、もっと醜悪な環境で、スプーンで穴を掘っているような環境なのだ。だが、ここはどうだろう。そんな苦とは別離したような環境ではないか。


「変でしょ?」

 三人分のコーヒーを運んできたクロームが言った。テーブルにコーヒーを置いて、彼女も着席する。

「まるで、どっかの観光地のロッジみたいだ」

 運ばれてきたコーヒーを口に含みながら、キュウビは言う。

「えぇ、そうです。なんか、もっと醜悪な環境を想像してたんですけど」

「でしょうね」と笑ってクロームもマグカップに口をつける。

「でも、これが現実。ここの人間を縛るのに、檻も何も必要ないのよ。正直、これも蛇足」コツコツ、と指先でクロームは、己の首輪をつついて見せる。


「どういうことかな?」

 興味を示したキュウビに、クロームは言葉を続けた。

「まず、ここの採掘場で働かされてる人たちは、どんな人たちだと思う?」

「犯罪者、とかですか?」

 キュウビをじろと、横目で睨みながらロゼは答える。けれど、クロームはいいえ、と首を横に振った。

「違う。確かに犯罪者をぶち込むための牢獄でもあるんだけど、そんな使われ方は滅多にしない。本来の用途は究極検査でD判定を食らった人間を、働かせるためにあるのよ」

「D判定? 何ですか、それ」

「人体を構成する物質を原価計算すると、約二万ウェートとなる。アタシたちは、究極検査で神の眼に二万ウェートって、価値を判断されたのよ」

「えぇっと、それって、つまり………」


「そう。体分の価値しかないってこと。D判定は、そんな人たちのことを言うの。アタシらはナシと同じくらいってこと」

 ロゼの言葉をクロームが引き継いだ時、重い空気が三人を支配した。キュウビがコーヒーをすする音だけが聞こえる。

「なるほどね。体分の価値しかないのなら、体が資本の仕事をしろってわけか」

「ちょっと、キュウビさん! そんな言い方―――」

「いいのよ。実際そうだし。神の眼の究極検査の判断基準は、おもに社会に対する影響力で考えられる。その人物が、果たしてどれほどの金を動かすことが出来るのかを目安に、価値をつけられる。社会における立場や役割、重要性を見られる。アタシらの社会に対する影響力が極端に少ないから。他の連中も、少なからず社会の循環に環礁で来て満足してるでしょうし」


「満足しているわけじゃない」

 暖炉の側で読書をしていた男が言った。優男風のその男は、抗議するような目でクロームを見た。

「けれども、我々にはそのぐらいの価値しかないんだ。ならば、せめてその価値分の働きをして死にたいじゃないか」


「それで良いんですか!?」

 ロゼは、声を大にして抗議した。

「誰かに勝手に自分の価値を決められて、勝手に人生を決められて。それで満足なんですか」

「神の眼の検査は絶対だ。アレがそう判断したんなら、我々はそれに従うまでさ。何せ、体分の価値しか我々には無いんだからね。考えるだけ無駄さ」

 そうだそうだ、という賛成の声が挙がる。

 

 その中で、不意に違う音が紛れ込んだ。


 リビングの横に開くはずの扉が、縦に開いている。床に倒れこんだ扉を踏んで、一人の青年が乱入してくる。両手には二丁の拳銃。下に向いていた銃口は、部屋の全員がその青年の存在に気付いた瞬間、キュウビへと向けられていた。


「そうだ! テメェらは、みーんな、その体分しか価値の無い命なのさ。生きてる死体と大して変わらねぇってわけさ」

 けたたましい笑い声と共に、その青年は入って来た。


「億万超者だ」「トパーズだって、何であいつがこんな処に」「最悪だ………」「殺される」


 トパーズと呼ばれた青年の後ろから、ぞろぞろと警備兵たちが雪崩れ込んでくる。

「全員動くなッ! 動かない死体よりも、動いてる死体のほうが良いだろ? まぁ、働くのに疲れて休憩したいってんなら、このオレ様が死刑を求刑して、永遠に休憩させてやってもいいがなァ?」

 楽しそうに銃口を関係のない人々に向けて青年は、楽しそうにはしゃいでいる。


「さぁて、と」

 そしてようやく、トパーズの銃口がキュウビへと向きなおされた。

「オレはテメェに用があるのよ、qb」

「アラアラ」

 おどけてキュウビは、両手を上げて見せる。銃口を向けられているのに、その顔には汗一つとして流れていないし、至っていつも通り。

「何かオレがしましたか?」


「さぁ? オレには『しまして』無いようだが、中央国家の番犬には『しました』ようだぜェ?」

「―――あれ、とてつもなく嫌な予感」

「さぁて、大人しく連行されて貰おうか、qb。ちなみに動くと、隣の連れがドカンだぜ?」

 ロゼは、青年の口から飛び出た言葉のせいで、自分の心臓が飛び出そうになった。今度こそ部外者面をしていたというのに、どうしてこうもちゃっかり巻き込まれているのだろう。

「アーララ、大ピンチ」

「笑ってる場合です―――」か! と続けようとして、ロゼは自分の首の違和感に気付いた。無い。

 さっきまであった、冷たい感触がどこにもないのだ。


「どうしよっか?」

 首輪はキュウビの右手の人差指に、くるくると回らされていた。彼の首輪も、左手で同じように回されている。

「番犬さんには、また今度って言っといてくれないかな?」

 妙な煙がキュウビのほうの首輪から溢れだす。それをトパーズ達のほうに投げた。

 その刹那。

 ヒューパチパチと景気の良い音と共に花火が打ちあがり、部屋を煙が満たしていく。


「ここの裏手の洞窟に脱出ルートがあるわ。アンタたちはそこから、逃げなさい」

「君はどうするんだい? クローム」

「アタシはパス。もうとっくに『価値』っていう牢屋にぶち込まれてるんだから。中も外もおんなじよ」

「じゃあ、外でも良いわけだ」

「え?」

 キュウビがとっさにクロームの手を取った。

「オレ達には土地勘が無くてね。悪いけど、道案内を頼めるかな」

 じぃっと、クロームを見つめて、キュウビが頼む。はっきり言って、その頼み方はずるい、とロゼは思った。やがて、根負けしたようにクロームがうなだれて、はいはい、と返事をした。


「こっちよ」踵を返して、乱入者たちに背を向けて、クロームが走り出す。

「さぁ、ロゼ」キュウビが手を差し伸べて、ロゼはそれを掴んだ。引っ張られて、ロゼは駆けだした。煙の世界を抜けて、やがて夜の闇に溶けていくように、ロッジから外に出て、洞窟へと走り出る。

「さぁ、徒競争は得意かい?」

 ロゼの手を握るキュウビが走りながら言った。その前をクロームが走っている。見れば彼女の首にも、もう首輪がない。それは今度、キュウビの左手の中にあった。

「スタートの合図の銃声は聞きたく無いけど、これなら少しは楽しいだろう?」

 にやりと笑ってキュウビは、手にした首輪を遥か後方へと投げ捨てる。遠い背後から、トパーズの怒鳴り声が聞こえる。

「あいつらと一緒に逃げた餓鬼が居る! 何番だ!」

「三四七番でありまず!」

「スイッチを押せ! 早く! 首輪の爆弾を爆発させろッ!」

「はい、直ちに!」


 遠くから聞こえるやり取りに、ロゼは笑いがこみ上げてきた。自分を引っ張って走るキュウビも同じらしく、わずかに肩を上下させている。爆発音が鼓膜を刺激した瞬間、ロゼとキュウビは笑いながら闇の中に飛び込んでいった。

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