キュウビ
市場都市アゴラは、その都市の潤いも、素晴らしくはあるが、それと真逆に、物価が安いのが特徴だ。
神の眼による、完璧な検査により、価値が正しく見定められているからだ。故に商人は、商品の値段を安心して付けることが出来る。仕入れ値よりも少しだけ、ほんの少しだけ高く設定されて、全ての品は店先に並ぶのだ。それは、この一杯のコーヒーでも同じだ。
大通りを一望出来る場所に陣取られた喫茶店の、テラスから覘ける風景にも相変わらず値札が付いている。テラスの端っこに値段の書かれた看板が立っている。その看板にも値札が付いていた。
『ノーレッジ』は、綺麗な茶色の水面に映る自分の顔を見た。黒ぶちの眼鏡に、まつ毛にかかるかどうかまで伸ばされた黒髪。よし、大丈夫だ。いつも通り、普段通り。これなら、そこそこ良い値がつくに違いない。
「お客様。そんな出来あいの鏡よりも、本物のこちらをお使いください」
テーブルの上に小さな手鏡が置かれる。
「え、あ、その、これは………」
と妙なところを見られたと思い、赤面しながらしどろもどろに、言い訳を言おうと、顔を上げると、そこにいたのは見慣れた少年だった。珍しい半獣人の彼は、今日もいつも通り大きめの白い羽織りを羽織って、黄色い尻尾をゆらゆらさせている。中性的な顔立ちは、女装させれば、その長い髪と相まって、完全に少女と見間違うほど美しく出来ている。
「待ち合わせの時間には間に合ったかな? その様子だと、時間が過ぎてても気にしなかっただろうけど」
なんて言いながら、彼はノーレッジの向かいに座る。
白いテーブルをはさんで対面すると、すぐにウェイターが飛んできた。コーヒーを一つ、と頼む彼に、若い少女のウェイターは、目を輝かせて注文を受けて、厨房へと飛んで行った。
少女の背から値札が出ていた。服のそれか、彼女のそれかは分からないが。
「―――もう来てたんだ」
「あぁ、ついさっき」
運ばれてきたコーヒーに口をつけながら、彼はケラケラ笑う。当然、そのカップにも値札が取り付けられている。
「それで、ノーレッジ。神の眼については、どこまで探れたんだ?」
「ちょっと」
注意深く周囲の客入りを確認しながら、ノーレッジは『シィーっと』、人差し指を口に手を当てた。別段こちらを怪しむような人間はいないが、値札の書かれたドッグタブをつけた怪しい人間は沢山いた。
「あんまり大きな声で、そんな質問しないでよ。都市警にでも睨まれたら、厄介なことになるだろ」
「別に、どうってことは無いだろうさ。どっかの熱心な『御巡りさん』に比べれば、二一一二五六八ウェートの交番で勤務している警察官なんて、知れてるよ」
彼の言葉に、ノーレッジは大通りの交差点に置かれている、交番を思い出した。黄色い屋根の上に、大きな値札が確か付いていたはずだ。
「とにかく。ここじゃ何だ。隠れ家を抑えてある。君の相棒も、そこに置いてるから」
「で、お値段は?」
「二三五六ウェート。交番よりもずっと安いが、我慢してよ、『キュウビ』」
ため息交じりにキュウビと呼ばれた少年は立ちあがった。今この空間で、値札が付けられていないのは、自分とキュウビだけだ。
◆◆◆
「なるほどね。悪事を働こうとするオレたちにとっちゃ、これ以上似合う場所は無いな」
キュウビは、水音を立てて歩きながら言った。前にはノーレッジがライトを片手に歩いている。
ここは下水道だ。アゴラの地下を縦横無尽に駆ける道。しかし、こんなところでさえ、壁にはしっかりと値段が書かれている。さらにたった今、靴の側を通り過ぎて行った鼠にも、値札が付いていた。
「地下の地価デスカ」
「―――冗談じゃないんだよ、それが」
ノーレッジがこちらを向いた。
幼げな少年の顔には、黒の眼鏡があり、その服装は地味な黄緑のダッフルコート。自己主張の弱い格好だな、とキュウビは思った。もう少し、冒険をしてみても良いのに。
「この都市についてからどれくらい?」
「えぇ~っと、確か二時間?」
「で、何を見たの?」
「無数の買い手無き商品?」
「そう、それ。この都市は神の眼の『究極検査』によって、利潤を生みだしている事で、有名だけれど、それを支えているのは、この都市の値札の付いた住人たちなんだ。キュウビも見ただろう? 値札の付いた人間たちを」
「あぁ」
あの喫茶店までの道中の記憶を掘り返した。
大通りを歩く人々は、値札をどこかしらから出していた。中には隠している人間も居たが、多分そんな人間の値札には安い値段が書かれているのだろう。
「文字通り『オープン価格』だったわけだけど」
「だから冗談はいいって。この都市の人達にとっちゃ、それが当たり前なんだ。この都市に生まれた人間は、成人する歳の十八歳に『究極検査』を受け、値札を張られるんだ。そして、その値札にあった人生を全うする。皆が皆の身の丈に合った一生を送れば、人生に無駄が無くなり、総合して、この都市の利益は順調に上がっていく。赤字には絶対に成らない、ってわけさ」
「人生に無駄が無くなると、なんで都市の利益に繋がるんだ? 『先生』」
愛称でノーレッジを呼ぶと、彼はメガネのずれを直して上機嫌に、ライトをバトンのように振り回して、講釈を垂れ始めた。
「リーダーに相応しくない人間が、リーダーを務めれば、その組織は損失を被るか、滅びる。だが、リーダーに値する人間ならば、そうはならない。それを決めるのが、価値なのさ。この都市じゃ、値札に書かれた値段が高ければ高いほど、重役に就くようになってるんだ。『就ける』ではなく、『就かされる』のさ。都市の利潤のために」
「それじゃあ、職業選択の自由は無いわけ?」
「いいや。一応はあるけど、暗黙のルールってわけ。それに、この都市の連中はそれで満足してる。とくにこれといって、不平は無いわけだけど―――」
「だけど?」
何かを言おうとして、ノーレッジは言葉を区切った。
「ほら、見えてきた。アジトだ」
彼のライトが、小さなぼろい扉を指示した。なるほど、中々風情のあるアジトだ。コソドロや、小さな子供たちの秘密基地などには、もってこいな雰囲気だ。
しっかりと、ここにもタグがある。
「さ、入って」ギギギと、木製の扉は悲鳴を上げて開かれた。
「おじゃましまーす」
キュウビはノーレッジの後に続いて、入っていく。漆黒の闇で包まれたアジトの腹の中が、ノーレッジが電気をつけたことで、ようやく詳しい内容が明らかになる。おんぼろな扉を玄関口にしているだけのことはあって、中はやはり小さく、ぼろくさい空間が広がっていた。いいとこ物置と言った具合か。そんな惨めったらしい倉庫のような部屋の中に、ぽつりと置かれた物があった。白い布でくるまれた、細い棒状のそれとの再会は、キュウビの心を震わせた。
「お! ちゃんと、あるある!」
手にとって、その重さを確かめるキュウビ。背後からノーレッジの『信用してなかったの』という声が聞こえるが、無視して彼は布から中身を解き放った。
艶やかな黒の鞘に納められた、一振りの刀が現れる。
柄は手になじむように、肌にすいついた。一心同体と言わんばかりに、キュウビは刀の存在を感じる。
「アーティファクトが斬れるのは、その刀だけ」
愛刀との再会に浸っているキュウビに背後から、ノーレッジは言う。
「でも、ここアゴラには護身用のナイフさえ持ち込めない、強固な警備網がある。そこをかいくぐって、持ち込んだんだよ? いい? ボクが、『がんばって』持ち込んだんだよ。その辺りを理解してほしいね」
「あぁ、分かってる。分かってる」
ようやくキュウビは刀を白い布の中にしまいこんで、落ち着いた。
「でも、こいつを使うのはもう少し先になりそうだ」
「え?」ノーレッジの丸い目が、より丸くなる。
「一先ずは、その神の眼様とやらと、対面したいと思ってね」
「まさか、究極検査を受ける気かい?」
「その通り。部外者が神の眼と接触出来る、唯一の手段にして、市場都市アゴラ一番の名物。それが究極検査さ。この都市の『目玉』ってわけさ」
「―――ウマくはないね、今の」
「ほっといてくれ」
「究極検査を受けるのは良いけど、どうする? 刀が無けりゃ、斬れない壊せない」
「だから、ちょっと見てくるだけだって。それに、オレも知りたいのさ、自分の命の価値ってのを、ネ」
名残惜しいが仕方がない。キュウビは手にしていた刀を、ノーレッジに渡し、アジトを後にした。
◆◆◆
執務室に運ばれてくる資料には、毎度毎度うんざりするばかりだ。どれもこれも、他国の商品の価値が書かれたものばかり。数字ばかりを目に焼き付けていては、疲れる。ミドルマンは、真昼の日差しが注ぐ、巨大な窓に背を向けて、背もたれの長い椅子に深々と座っていた。ここも贅の限りをつくしてはいるが、それでも神の眼の部屋には遠く及ばない。ため息をつきながら、タグの付いた資料を、タグの付いた机の上に置いた。紙の山がゆらゆらと揺れるのを見ながら、ぼんやりと今後のことを頭でシュミレーションする。
あの第一級犯罪者『qb』がやって来た。ということは、どう考えても狙いは『アーティファクト』神の眼だろう。奴の今までの犯行は全て、アーティファクトの破壊に尽きる。何故そんなことをするのかは、全くもって謎だが、現状は見知らぬ犯罪者の心情を考えるよりも、居場所を突き止めるほうが先決だ。
「ミドルマン検査長官!」
ノックの後、部下が入ってくる。
「どうした」
「中央国家より、特使の方がお見えになっています」
「特使?」
「突然の訪問をお許しください、ミドルマン検査長官。第一級犯罪者『qb』。彼の逮捕に協力すべく、中央国家より参りました」
説明すべく口を開いた部下の背後から、すらと一人の少女が部屋に入ってきた。青いコートに身を包み、水色のシャツに、紺色のスカート。流れるように腰まで伸びている髪の色も紺。未だ少女の域から出ていなさそうな顔立ちをしているが、その腰にはしっかりと、剣が差されてある。これはつまり、強大な権限を使って、正規ルートから武器を持ってきたという事実であり、彼女にはそれだけの『力』がある、ということだ。どうやら、ただの少女ではないらしい。
ミドルマンは思わず、居ずまいを正して、少女と向き合った。
「『シアリス』と申します。以後お見知りおきを」
深々と頭を下げて自らシアリスと名乗った少女は、ミドルマンの前へと歩く。その一歩一歩は、とても見た目からは想像できないほど、背中に筋の通ったよう歩き方で、彼女の性格も同時に表しているかのようだった。
「中央国家の方が、どうして」
「先ほどの説明させて頂きましたが、我々は『qb』の存在を重く受け止めています。よって、要らぬお節介やもしれませぬが、私が馳せ参じた次第でございます。それに私は『qb』とは今まで何度も遭遇しておりますので」
「遭遇とは。qbとはまるで台風のようなものなのですか?」
「いえ、ただの犯罪者です。混乱をまき散らす、ただの」
場の空気を和ませようと、ミドルマンの冗談はシアリスには通じなかった。冷静な氷の仮面をかぶったような表情のまま、シアリスは言葉を続ける。中央国家の人間は、どうにも『堅い』印象がある。
「つきましては、ミドルマン検査長官には―――」
「いえ」と、片手でミドルマンは、シアリスの言葉を止める。
「qbは、『我々』で捕まえてみせます。この都市には、それが出来るだけの組織も、力もございます。中央国家のご客人の、お手を煩わせることにはなりません」
この都市にも意地がある。ミドルマンは、眼前の少女を見返しながら思った。中央国家の人間に、我が物顔で歩き回られるのは、不愉快だ。ただの犯罪者一人ぐらい、自分たちだけ捕まえられる。中央国家の手を借りる必要も、恩を売られる必要もない。
「そうですか」
シアリスは、ふぅと息を吐いて一歩後ろに下がる。
「では、ワタシはワタシでqbの調査を差せて頂きますが、よろしいですか?」
「えぇ、どうぞ。ですが、徒労に終わるやもしれません」
「いえ。彼を侮ってはなりません」
もう退室しようとしていたシアリスの体が、ぴたりと止まり、その眼がミドルマンへと向けられる。
「今まで長がそんなことを言って、アーティファクトを壊された都市を、山ほど見てきましたから。絶対に彼を侮ってはなりません。qb(キュウビ)を侮らないことです」
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