第26話
「まぁ、カーティス様。このようなところでお会いするなんて奇遇ですわね」
さっさと別館に戻ってダリアで癒されようとしていたカーティスの前に小動物のようにとてとてと早歩きでやってくる令嬢。ベティ・スチュワート公爵令嬢。
カーティスは長年王族として鍛えられた社交術を駆使して無理やり、紳士的な笑みを浮かべた。
「お久しぶりですわ、カーティス様」
相変わらず、許可もなく名前を呼びしかも格下が話しかけるという不作法さ。本来なら不敬罪で怒鳴りつけているけれど、彼はそんなことはしなかった。人の良い笑みを浮かべて、ベティを受け入れる。
「4年ぶりだね。たった一度しか会っていないのに、私の顔を覚えていたとは嬉しい限りだよ」
4年前に一度しか会っていないのに気安く話しかけるなとカーティスは言ったのだけれど。貴族らしく遠回しに。もちろん、ベティは気づきもしない。カーティスも気づかないと分かっていて敢えて、貴族らしくオブラートに包んで言ったのだ。
この時、傍に居たガルーシアは自分の主が始めたゲームに思い至り、そっと嘆息した。
「当然ですわ!」
ベティは頬を染め、腰をくねらせる。角度的にカーティスの位置から谷間がよく見える。分かっていて見せているのだろう。胸元が大きく開いたドレスを着る令嬢は多い。でも、その際は下品にならないように工夫が施されたり、姿勢に気を付けたりするものだ。ベティはとにかく女の武器を使ってカーティスを篭絡させようと必死なのか、そのような工夫が全くされていない。
下心しかない男なら彼女と遊んで終わるだろうな。と、カーティスはちらちらと見せてくる谷間を見て鼻で笑った。
「カーティス様のような素敵な方。一度とて忘れたことはございませんわ」
頬を染めてベティは上目遣いでカーティスを見る。目を潤ませて、谷間を強調するように胸の下で手を組む。さすがは娼婦の娘だとカーティスは感心した。もちろん、そんなことは一片たりとも表に出したりはしない。
「それはありがとう」
「カーティス様。私、カーティス様ともっとお話がしたいです。カーティス様のお部屋に行っても構いませんか?」
カーティスはダリアと婚約をしている。そのカーティス相手に、婚約者のいないところで、しかもカーティスの部屋に行きたいだなんて。堂々と、不貞を誘っているも同然。本当に愚かな娘だ。
断られるなど一切思ってもいないベティにカーティスは侮蔑の眼差しを向ける。
「悪いけど、私は婚約の身でね」
「知っていますわ」
ベティは痛まし気にカーティスを見つめる。
「お可哀そうに。お姉さまの我儘に付き合わされて」
「我儘?」
「はい」
我が意を得たりとベティは嬉々として言う。
「お姉さまの我儘で隣国まで連れて帰ることになった上に、婚約までさせられるなんて。カーティス様。姉は昔から傲慢で我儘なんですの。私もよく虐められましたわ。母が元平民だからと。そのような選民思想の高い方、あなた様に相応しくはありませんわ」
カーティスは気づかれないように拳を握り締めた。でなければ、今すぐにでも目の前の少女をぶん殴ってしまいそうだったからだ。
「それに、カーティス様」
ベティはカーティスの胸に手を置き、自分の体を密着させる。声を潜めて、彼女はとても醜悪な顔で笑う。本人は自分の美貌を生かした、美しい笑みを浮かべていると思っているようだけど。
カーティスは今すぐベティを突き放したかった。でも、彼女が何を言わんとしているのか気になったので取り合えず、堪えた。
「ご存じないのかもしれませんが。お姉さまは愛人の子なんですのよ」
「・・・・・彼女はフローレンスとスチュワート公爵の娘だ。愛人などではないはずだよ」
「それは表向きですわ。彼女の本当の父親はお父様ではございませんわ」
何を言っているのだと怒鳴りそうになったカーティスはぐっと唇を噛んで堪えた。後ろにいるガルーシアからも息を飲む気配がした。
声を潜めているとは言え、直ぐ近くで警護していたガルーシアにはベティの言葉が聞こえてしまったようだ。そのことに気づいたベティは嬉しそうに笑みを深める。まるで真実を知る人間は一人でも多い方がいいと言うように。彼女自身、声を潜めてはいるが、隠す気はないのだろう。
「そのような証拠でも出ましたか?」
「証拠はお姉さま自身ですわ。私の容姿も理由の一つですわ」
そこで初めてカーティスとガルーシアはベティがダリアを愛人の子だと言った理由に思い至った。呆れて言葉も出なくなったのだけれど。ベティはカーティスがダリアが愛人の子だと気づき、ショックを受けたと勘違いをして、哀れなカーティスを慰めようと更に体を密着させた。これにはさすがのカーティスも我慢の限界に来て、ベティを自分から離した。
「申し訳ないけれど、暫く一人にしてくれるかな」
「そうですわね。いきなりのことで驚かれているでしょうし。分かりましたわ。ですが、私はカーティス様をお慰めしたいのです。落ち着かれましたら、お声をおかけください」
そう言って去って行くベティをカーティスは笑顔で送り出した。彼女が完全に見えなくなると、カーティスは壁にもたれ、右手で両目を覆う。肩を震わせるカーティスをガルーシアは睨みつめる。
「・・・・殿下」
ガルーシアのどすの利いた声で注意を受けても、カーティスは込み上げてくる笑いを止めることはできなかった。
「ごめん。でも、無理。ダメ」
ひとしきり笑ってカーティスは漸く落ち着いた。
「叔母上は燃えるような赤い髪に翡翠の瞳をしていたな」
「はい。ダリア様同様。とても美しい方でした」
「スチュワート公爵は茶髪に青い目。ベティ・スチュワート公爵令嬢と同じだ」
つまりは父親似の自分は絶対に公爵家の血を引いていると自負しており、対して完全に母親似であり、父親に似ているところが一切ないダリアはフローレンスの不貞でできた子だとベティは思っているのだ。
あるいはあの阿婆擦れ、現スチュワート公爵夫人がそう教えたかだ。
「茶髪も青い目も珍しい容姿じゃない。ダリアや叔母上と違ってありきたりな容姿だ。おまけに彼女の母親は元娼婦。彼女の父親の方が疑わしいのだがな」
「けれど、確かめる術はないかと」
「確かめる必要なんてないさ。周囲にとって真実などどうでもいい。ただ、そうだと疑念を抱かせただけでそれは自ずと真実になる」
そう言ってカーティスはほの暗く笑う。決して、ダリアには見せられない顔だとガルーシアは思った。最も、彼もカーティスがこれからしようとしていることを止める気はない。
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