(14)

「そんなに自分のこと想ってくれる人がいるなんて、羨ましいよ。私も頑張って次の恋を探すから、かれんももう泣かないで……」

 泣かないで、とかれんに言っている割には、希恵の目から涙があふれて来て、頬を伝った。

 かれんの目からも涙が流れてきて、頬を伝う。

 二人は同時に指先で涙をぬぐうと、どちらからともなく「ふふ……」と笑い始めた。

「希恵……、泣かないでって言ってるのに、希恵こそ涙が……」

「ふふ……、やだ、本当だ」

 希恵は何かを紛らわすかのように、すっかり冷めてしまった紅茶を一口飲んだ。


 希恵、変わったな、とかれんは思った。

 いつもは控えめであまり自分の意見を言わないだったのに、手塚に電話して「私、好きな人がいるのでもう会えません」と言いにくいこともハッキリと言えるようになったとは。

 希恵は「いつか手塚さんが戻って来てくれないかな」という願い事が叶い、そして、その願い事が叶ったようでいて実は永遠に叶わないものだと知り、何かが吹っ切れたのだろう。


 希恵は変わったと言うのに、それに比べて自分は……。

 自分が支離滅裂な行動をしても昴はいつも自分の傍にいてくれるというに、今更遠慮するような仲でもないというのに、どうして昴に対してあんなに素直になれないのだろうか。

 かれんは自分のことが情けなくなってきた。


「でも、私、希恵が羨ましいと思うことは何も……。私、ダメなんだ。いつも素直になれなくて」

 かれんが呟くように言うと、希恵は不思議そうな表情をした。

「素直になれない? あんなに仲が良さそうなのに」

「うん、昴、『何でも頼んで』とか言ってくれるんだけど、私、昴が何でも『サクッ』ってやってのけるのが悔しくて、なかなか頼めないの。昴、私が嬉しがるようなこともよくしてくれるんだけど、私、素直に『嬉しい』とか全然言えなくて、いっつも『モヤモヤ』しちゃう。本当は、素直に「ありがとう」とか言いたいのに……。

 昴が自分のために新潟に戻って来てくれたのだって、本当はものすごく嬉しかったクセに、何でもないようなフリをしちゃうの。だって、昴は何でもできるすごい人間なのに、私のせいで新潟に戻って来ちゃったから、悪いような気がして……。そんな引け目があるのも、素直になれない理由なんだと思う」


 かれんは言ってしまった後に、こんな状況の時に希恵に「昴に素直になれない」ことを言うのは良くなかったなと思った。

 希恵の話を聞きに来たのに、自分の話をしてしまうなんて……。

 かれんはうつむくと、小さな声で「ごめんね、こんな時にこんなこと言ってしまって」と希恵に頭を下げた。 


「そんなことないよ、気にしないで」

 希恵は腕を伸ばすと、かれんの手に自分の手をそっと重ねた。希恵の手は冷たかったが、その冷たさが心地良かった。「でも、かれん、前に私に言ったよね? 『手塚さんのことが好きなんでしょ? だったら、ここで素直に自分の気持ちを正直に言わないと、手塚さん、どっかに行っちゃうかもしれないよ』って。

 まさか服部さんがどっかに行っちゃうとは思えないけど、かれん、私には素直に『素直になれない』って言えるんだから、服部さんにも絶対素直になれると思うよ。

 かれん、私の恋を応援してくれたから、今度は私が応援するね。かれん、頑張って素直になって、応援してるから」

「希恵……」

 かれんは希恵の方を見上げた。

 かれんと目が合うと、希恵はもう一度「頑張って」と言い、涙を浮かべながら笑顔を見せた。




 かれんと希恵は喫茶店の閉店間際に揃って店を出た。

 かれんが喫茶店に入った時、空はまだ夕日で赤く染まっていたが、今はすっかり夕闇が空を覆い、星と月が雲の間から見え隠れしていた。


「――今日、話聞いてくれてありがとう、かれん」

 希恵がかれんに向かって頭を下げると、かれんは「そんな……」と言いながら慌てて希恵の手を取った。

「そんな……。私の方こそ、話聞いてくれてありがとう。本当は希恵の話聞きに来たのに、私の話なんてしちゃってごめん」

「いいの、いいの。私、手塚さんのこと知った直後は確かにショックだったけど、今は本当に気持ちが吹っ切れて、むしろ元気なくらい。きっと、手塚さんにハッキリと『もう会えません』って言ったから、スッキリしたんだと思う。

 だから、かれんも服部さんに素直になれれば、もう『モヤモヤ』しなくなると思うよ。私も頑張るから、かれんも頑張って。かれん、昔からいつもどんな時もすごく頑張ってたじゃない、だから、大丈夫」

「まあ、それって、私、昴みたいに何でも『サクッ』ってできたり、何かに才能がある人間じゃないから、頑張りでカヴァーしてるようなものなんだけどね」

 かれんは前に見た動画投稿サイトで昴がバンドのヴォーカルとして歌っている姿や、昴の家庭教師の生徒だったダンスの才能がある知里のことを思い出した。

「でも、頑張れるって言うのも、立派な才能だと思うよ。私はかれんほど何でも頑張ることってできないもの」

「立派な才能……」

 かれんの頭の中に、前に昴が知里に言った言葉が蘇る。


 ――でも、かれんちゃんはかれんちゃんなりにものすごく頑張ってるよ。特に仕事。まあ、僕もこの『マーズレコード』はそれなりに頑張ってるけど、到底かれんちゃんには敵わないな。


「だから、かれん、何でも『サクッ』ってできなくても、別に引け目に感じることはないよ。服部さんだって、そう思ってると思うし。服部さんが新潟に帰って来たのだって、かれんのためなんでしょ? 服部さんが好きでしたことだし、かれんが引け目に感じること、何もないと思うよ」

「うん、そうだね……。確かに昴も前にそんなこと言ってた」

 希恵の言葉にかれんは頷いた。

「じゃあ、かれん、またね、ありがとう」

「うん、また。こっちこそ、ありがとう」

 かれんと希恵は軽く手を振ると、喫茶店の前で別れた。


 かれんは希恵とは逆の方向へ歩き出そうとしたが、ふと後ろを振り返った。

 夕闇に紛れて行く希恵の後ろ姿が見える。

 希恵は「今は本当に気持ちが吹っ切れて、むしろ元気なくらい」と言っていたが、もしかすると強がっているのではないかと思って心配になったのだ。

 でも、違った。

 希恵の後ろ姿は、さっき希恵の言った通り、何かしらの重みがとれたような、スッキリとした雰囲気だった。

 足取りも心なしか軽いような気がする。

 

 ――だから、かれんも服部さんに素直になれば、もう『モヤモヤ』しなくなると思う。


 かれんはさっき希恵に言われた言葉を心の中で呟いた。

 希恵が言うように素直になれば、もうモヤモヤすることはなくなるのだろうか。


(――頑張って、素直になってみようかな)

 かれんは小さく頷いた。

 そうだ、明日の日曜日、昴と「約束」がある。

 本当は今日の土曜日だが、昴の「マーズレコード」の定休日が日曜日なので、明日の日曜日。

 昴と「約束」があるから、明日の日曜日に素直に自分の気持ちを言ってみよう。

 かれんは希恵に背を向けると、そのまま真っすぐ歩き始めた。

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