(24)

「――もう! 昴ってば、知里君、泣いてるじゃない! もうちょっと、言い方ってものがあるでしょ?!」

 かれんは突然、昴と知里の間に割って入りながら、大きな声を上げた。

「えっ? どうしたの、かれんちゃん? 何で怒ってるの?」

 昴がキョトンとした表情でかれんを見た。

 知里も突然のかれんの行動に、涙が引っ込んでしまったような瞳を向けている。

 かれんは昴がまるで何もわかっていないような感じだったので、いつもの「モヤモヤ」した気持ちがこみ上げて来るのを感じた。


「だって、知里君、かわいそうじゃない。確かに昴は新潟にいたいんだろうけど、知里君、昴の言葉に泣いちゃってるじゃない! 

 第一、知里君が新潟まで来て私の後をつけて来たのだって、元はと言えば昴が返事をしなかったからでしょ? この間も言ったけど、知里君の気持ち、考えたことあるの?」

「返事をしなかったのは良くないことかもしれないけど、知里君は僕にこだわるよりもダンスやアメリカに行くことに集中した方が良いし……。それに、僕、現実的にアメリカになんていけないし……」

「確かにそうだけど、でも、知里君は昴のことが好きなんでしょ? 昴と一緒にいたいって思ってるんでしょ? 私が同じこと言われたら、絶対に悲しいもの。知里君だって、悲しいって思ってるって。もっと言い方、考えて!」


 かれんは昴の首元を掴んでまくし立てながら、そう言えば、この間も同じようなセリフを昴に言っていたことを思い出した。

 あの時はどうして昴をアメリカに連れ去ろうとした知里に怒りを覚えず、昴に対してムキになっているのだろうと不思議に思っていた。

 本当に自分でもどうしてこんなに支離滅裂なのだろうと不思議だった。


 でも、今ならわかる。


 自分は昴に「知里と同じことをしてほしくない」のだ。

 もしかすると、いつか昴が知里に言ったセリフを自分に言うのではないかと考えると怖いのだ。

 だから、昴が知里に「アメリカには、知里君一人で行くんだ」と言ったとき、あんなに自分でもよくわからないくらいのショックを感じたのだろう。


 本当に自分は素直じゃないな、とかれんは思った。

 素直に昴が「新潟に残る」と言った言葉を信じて、喜べば良いのに。

 昴の知里に言ったセリフがショックなら「私にはあんなこと言わないで」とか「本当にずっと新潟にいるの?」と言えば良いのに。

 昴にこんなにも怒っているのは、昴自身に対して感情を高ぶらせているのもあるだろうが、素直になれない自分自身に対して「怒り」を感じているからなのだろう。


「かれんちゃん……」

 かれんは昴と知里が真顔で自分の方を見つめていることに気付いて、ハッとした。

(――やだ、私ってば、こんなにムキになって)

 この二人の表情……。

 もしかすると、昴も知里も自分がどうしてこんなにムキになっているのか、気づいているのだろうか。

 かれんは恥ずかしくなって昴の首元から手を離すと、二人から視線を逸らした。

 三人はしばらくの間、また沈黙した。


「――わかったよ」

 最初に沈黙を破ったのは知里だった。

 知里はすっかり涙が渇いた瞳で、かれんの方をチラリと見た。

「――」

 かれんも知里の方をチラリと見たが、恥ずかしくなってすぐに視線を逸らした。

「あなたが先生のことをどう思っているのか、よくわかったよ。あなた、やっぱり平凡な女だね。そうやって、ムキになるなんて」

 また「平凡な女」と言ったな、とかれんは知里の方に鋭い視線を向けた。

 知里はかれんの鋭い視線を浴びても何ともないとでも言いたそうな表情をしながら、「ほら、そういうところが」と言った。

「べっ、別にムキになんてなってないんですけど」

 かれんはまた知里から視線を逸らしながら、自分はやっぱり「平凡な女」だなと思っていた。


「先生の気持ちもわかったよ。まあ、最初からわかってはいたんだけど、どうしても諦めきれなかったんだ」

 知里が昴に向かって言うと、昴はニコニコとした笑みを返した。

「僕だって、もちろん知里君が『わかってる』ことはわかっていたよ。そして、諦めきれないんだろうってこともね。だから、僕も強気で言わせてもらったんだ」

「やっぱり、先生はいつまでも僕の先生だね」

 知里はさっき昴に手渡されたウィッグを再び頭にかぶった。「いいよ。今回はとりあえず一人でアメリカに行ってあげる。後、あの人も先生のだって認めてあげる」

「あのね、私は昴の彼女じゃないって、さっきから言ってるじゃない」

 かれんがまたムキになって言ったが、知里は特に気にする様子を見せなかった。


「そうなんだ、認めてくれるんだ、嬉しいよ」

 昴は相変わらずニコニコとしている。

 かれんは(何、言ってるの?!)という視線を昴の方に投げつけた。

「でも、僕は諦めないよ。また、ポストカードを送るなり、新潟に来るなりして、先生を誘うから。先生からもらったポストカードは、まだまだたくさんあるんだからね」

「わかった。アメリカの消印のポストカードが届くのを、楽しみにしているよ」

 昴が笑顔のまま言うと、知里も笑みを浮かべた。


 知里が笑っているのを見たのは、これが初めてだとかれんは思った。

 真顔でいると、知里は何とも冷めたような「本当に二十年くらいしか人生を歩んでいないのだろうか」というほどの、物事の全てを見通しているかのような雰囲気を漂わせている。

 でも、笑うと、年相応のまだあどけなささえ垣間見える、少年そのものの表情だった。

 かれんは思わず知里の笑顔に引き込まれるように見入ってしまった。


「じゃあ」

 知里はウィッグの上にキャスケットをかぶると、かれんと昴に背を向けて「マーズレコード」を出て行こうとした。

「知里君!」

 店のガラス戸を開けようとした知里を、昴が呼び止めた。

「何?」

「アメリカには一緒に行けないけど、僕はいつでも君の味方だからね。いつまでも君の先生だから。後、君のダンスは本当にすごいから、自信を持って。僕が言うんだから、間違いないよ」


 知里は振り返って昴の方を見た。

 そして、もう一度あのあどけない笑みを浮かべると、そのまま「マーズレコード」を出て行った。

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