(19)

 女の子はその日もかれんの後をずっとついて来ていた。

 ただ、この間、昴に言われて「観察」した時と同じように、時々ふとどこかへ行ってしまうこともあった。

 そして、かれんが会社のある古町に戻ってくる頃には、完全に女の子の姿はいなくなってしまっていた。


(――それにしても、昴、「とりあえず、あのの正体を確かめてみるよ」とは言っていたけど、どうやって確かめるんだろう?)

 かれんは会社がある雑居ビルの入口をくぐりながら、ふと考えた。

 昴は日中、一人で切り盛りしている「マーズレコード」が休みの日曜日以外は、基本的にほとんど店から出ることができない。

 女の子の正体を確かめるとは言っても、女の子はなぜかかれんの会社がある古町方面まではついてこないし、どうやって正体を確かめるというのだろうか。

(――まあ、昴、何も考えていないように見えて、意外なことをやってくるから)

 前に駅南に探偵の友達がいるとか言ってたっけ? かれんが考えながらエレベーターのボタンを押していると、カバンの中に入っているスマホの着信音が聞こえてきた。


(――えっ? 公衆電話?)

 スマホの画面には、今時珍しい「公衆電話」という文字が表示されている。

 一体、誰がかけてきたのだろうか。

 ただ、公衆電話からわざわざかけてくるなんて、イタズラ電話とかではなく自分の携帯番号を知っている人物だろうと思い、かれんは電話に出てみることにした。

「――はい」

「あっ、かれんちゃん、僕」

 聞こえてきたのは昴の声だった。

 電波の調子が良くないのか何なのかはよくわからないが、かなり潜ったような声だった。

「昴? どうしたの、いきなり、公衆電話からかけてきて」

 かれんはそう言えば「マーズレコード」のすぐ近くに公衆電話があったことを思い出した。

「うん、お店の電話の調子が悪くて。で、かれんちゃん、悪いんだけど、今日仕事が終わったらお店に寄ってくれる?」

「良いけど、今日は家庭教師のバイト、なかったんじゃないの?」

「急にバイトが入ったんだ。――ごめん、十円がもうないから、切るね」

「あっ、うん」

 かれんが言い終わらない内に受話器の向こうでブザー音が鳴り、ガチャリと電話が切れた。


(――どうしたんだろう、昴、公衆電話からかけて来るなんて)

 お店の電話の調子が悪ければ、スマホからかければ良いのに……と思ったが、もしかすると、スマホの充電がなくなったのだろうか。

 昴は「いつでもどこでもマイペース」な性格なのか、スマホの充電が0%に近くなっても充電しようとしないことも多々ある。

 その割には、スマホの充電器を持ち歩くようなこともしないし……。

 かれんは(まあ、そんなこともあるのかな)と思いながら、降りてきたエレベーターに乗り込んだ。




 かれんは仕事の定時になると日報などの事務作業を早々に終わらせ、「お疲れさまでした!」と事務所を後にした。

(――でも、昴、どうして急に家庭教師のバイトが入ったんだろう?)

 昴が教えている生徒に試験か何かでもあるのだろうか。

 かれんは考えながら会社の入っている雑居ビルを出て、30メートルほど離れた場所にある「マーズレコード」に視線をやった。

(――あれ?)

 かれんが帰る時には必ず「マーズレコード」には明かりがついているというのに、今日は明かりがついていない。

 遠くてそこまで良くわからないが、店内は暗くなっていて、カーテンまで閉まっているようだ。

(――もしかして、昴、もう家庭教師のバイトに行っちゃったの?) 

 かれんは慌てて「マーズレコード」の方へ行くと、ガラスの引き戸を開けようとした。

 引き戸には鍵がかかっているらしく、開かなかった。

 かれんは自分のカバンから「マーズレコード」の店の合鍵を取り出すと、鍵を開けた。


「――昴、いないの?」

 かれんは暗い店内に向かって呼びかけたが、返事はない。

 やっぱり昴はもう、家庭教師のバイトへ行ってしまったのだろうか。かれんは(そうだ、店の電気のスイッチってどこだったっけ?)と思いながら、暗い店内に一歩踏み入った。 


 ――その時。


 かれんは突然、後ろから誰かに背中を押された。

「きゃあ!」

 かれんは叫び声を上げると、倒れこんでしまった。

(――誰? 昴?)

 かれんは立ち上がると、慌てて後ろを振り返った。


 店内が暗くてよく見えないが、頼りない街灯の明かりでぼんやりと見えたシルエットは昴のものではなかった。

 シルエットは後ろ手にガラスの引き戸を閉めると、「バチッ」と内側から鍵をかけた。

 そして、シルエットが反対側の手を壁の方に伸ばすと、「マーズレコード」の店内がパッと明るくなった。


「あなたは……」

 かれんは思わず声を上げた。

 かれんの目の前にいたのは、万代で自分のことをつけて来ている、真人が「もしかして、俺のストーカーとか?」と言っていた、あの女の子だった。

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