(20)

「――」

 女の子は顔をうつむき加減にしたまま動かない。

「あの……、どうしてここに? あなたは一体誰なの?」

 昴の「マーズレコード」に来るなんて、やっぱりこのは昴と何かしらの関係があったなのだろうか。


「――あなたが」

 女の子はやっと真っ赤な口紅が塗られている唇を開いて言葉を発したが、かれんはその「声」に違和感を覚えた。

「えっ?」

「あなたが先生のなんだね?」

「えっ?」

 やっぱり何かがおかしい、とかれんは思った。

 女の子の声が、この間、自分のスマホを渡してくれた時のものと違う。

 あの時の声は小さかったが、もっとかわいらしいような声だった気がする。

 今、自分の耳に聞こえてくる声は、もっと低くて……。そうだ、まるで男の人の声みたいだ。


(――えーっ?!)

 かれんは心の中で思わず声を上げた。


「あなたが先生の、服部先生の彼女なんだね?」

 女の子がもう一度訊いた。

「私、昴の彼女じゃないけど……。それよりも、あなたは一体誰なの?」

「僕は」

 女の子は頭にかぶっていたキャスケットに手をかけた。「僕は、あなたみたいな平凡な女が先生の彼女だなんて、認めたくないんだ」

「それってどういう意味?」

 しかも、「僕」って……。

 女の子はかれんの問いかけを無視するかのように、頭からキャスケットを取ると床に落とした。

「先生はあなたと再会してから、変わってしまったんだ。あなたと再会しなければ、僕と一緒にアメリカへ行ってくれたのに」


 女の子はもう一度、頭に手をやった。

 少し手に力を入れると、するり、と頭から髪の毛が外れた。

 女の子がキャスケットと同じように外したウィッグを床に落とすと、今度は着ている白いブラウスの袖口を口元に当てた。

 女の子が腕を横に動かすと、真っ赤な口紅が落ちてゆく……。

 真っ赤な口紅が白いブラウスの袖に、一筋の赤い線を描いて行った。


 口紅が完全に落ちてしまうと、女の子はうつむかせていた顔をゆっくりと上げた。


 かれんは女の子の顔を見て(やっぱり……)と思った。

 確かにかわいらしい顔立ちをしている。でも、そこにいたのは女の子ではなく、男の子だった。

 二十歳に満たないくらいの少年が、かれんの方をあの真っ黒な大きな瞳で睨みつけるように見ていた。

 瞳の色は真っ黒なのに、ウィッグを取った少年の短い髪の色はかなり茶色っぽい。

 かれんは瞳の色と髪の色の違いに、また違和感みたいなものを覚えた。


「――あなたって、もしかして昴が東京にいた時に家庭教師をしていた、白城しらき知里ちさと君?」

 かれんが訊くと、知里はゆっくりと頷いた。

「やっぱり、先生から僕の話は聞いていたんだね」

「どうして、私のことをつけていたの? しかも、女の子の格好をして」

「先生の彼女がどういう人なのか、自分の目で確かめてみたかったんだ」

「だから、私は昴の彼女じゃないって言ってるじゃない」

 かれんは少々うんざりとした表情をしたが、知里は特に気にする様子を見せなかった。

「でも、僕が僕のままであなたのことをつけていたら、先生にすぐバレてしまう。だから、こんな格好をしていたんだ」

 知里はそう言うと、はいているフレアスカートの裾を少しつまみあげて見せた。


(――キレイ)

 かれんはこんな状況下にいながら、知里の仕草に見とれそうになってしまった。

 さっきの知里の仕草、まるでどこかの王室の王女が行うカーテシーのように優雅で美しい。

 かれんはダンスに関してはまったくの素人だが、知里のこの仕草を見ただけで、彼が世間から注目されるべき人物なのだろういうことが何となくわかった。


「私がどういう人か知りたかったら、昴に訊けばいいじゃない」

「僕は自分の目で見て、自分の目で確かめたかったんだ。

 でも、先生の彼女だって言うからどれだけすごい人かと思ってずっと見ていたけど、どこにでもいる、ただの平凡な女だったじゃないか」

「何それ? 第一、私、昴の彼女じゃないし」

 さすがにかれんも、今の知里の言葉には「ムッ」とした。

 確かに自分は昴やここにいる知里という少年に比べれば頭は良くないし、特に何かに対しての才能も持ち合わせていないし、平凡な人間なのかもしれない。

 だからと言って、面を向かってそこまで言わなくても……。

(――それに私、さすがに今まで「平凡な女」って言われたこと、ないんだけど)


「先生の『声』も聞き分けられなかったしね」

「聞き分けられなかったって、どういうこと?」


「『うん、お店の電話の調子が悪くて。で、かれんちゃん、悪いんだけど、今日仕事が終わったらお店に寄ってくれる?』」


 昴の声が聞こえてくる。

 かれんはどこかに昴がいるのだろうか、と思ったが、昴の声はどう考えても知里の口から発せられていた。

 かれんは一歩後退りした。


「その声……」

「先生も誰かの声を真似るのが上手かったけど、僕もできるんだ。あなたのケイタイの番号は、前にあなたがカフェにスマホを置き忘れた時にこっそり見せてもらった」

 かれんは前に真人と万代を営業していた時、カフェのテーブルにスマホを置き忘れて、女の子が手渡してくれたことを思い出した。

「じゃあ、昴の声を真似て私をここに呼び出したってことなの? 昴はどこにいるの?」

「先生にはあなたの声で『とにかく実家に早く帰って、大変だから』って電話した。着信の番号が違うのは、スマホの調子が悪くて会社の人のスマホを借りてかけてるってことにして。

 今頃先生はあっちの方に向かってると思う。まあ、さすがの先生も、僕の声には騙されてしまったってことなのかな」

「どうして、そんなことを……」

「ちょっと、あなたと二人きりで話してみたかったんだ」

「話すって、何を?」

「あなた、先生のことをどう思っているの?」

「えっ?」

 知里の真っ黒な瞳に見つめられて、かれんは戸惑いの表情を見せた。

「なっ、何でそんなことを訊くの? あなたには関係ないじゃない!」

 かれんは知里から視線を逸らした。

「あなたは先生が新潟に帰ってきた理由を知ってるの?」

「もちろん、知ってるけど……」


 昴が新潟に帰ってきた理由。

 かれんはもちろん知っている。だからこそ、昴はこの「マーズレコード」を開店したのだ。


「僕も先生が新潟に帰った理由は知ってるよ。『新潟に帰ってやりたいことがある』って言ってた。その『やりたいこと』が何なのかも知ってるよ」

「知ってるんだった、何で訊いて来るの?」

「あなたの口から直接聞きたかったんだ。そうすれば、諦めがつくと思って」

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