(17)

「――妙子おばさん、泣いてたね」

 莉子を木村家へ送って行った帰り道。車を運転しているかれんに向かって、昴が呟くように言った。

「うん。莉子ちゃんが帰って来て、妙子おばさん、嬉しそうだったね」

 かれんは莉子と妙子がさっき久しぶりに再会した時のことを思い出した。



 かれんと昴に宣言した通り、莉子は母親の元へ戻ったのだ。

 木村家には相変わらず父親の透はいなくて、妙子だけがいた。

 玄関でインターフォンを押すと、妙子は慌ててドアを開けた。

 ドアを開けて顔をのぞかせた妙子に向かって、莉子は視線を逸らしながらも「お母さん、ただいま」と言ったのだ。

 妙子は莉子の声を聞いた途端、涙を流して娘のことを抱きしめた……。



「かれんちゃん、取りあえずは、莉子ちゃんが家に帰ってくれてよかったね」

「まあ、良かったけどね。本当に取りあえずだけど……」

 かれんは昴の言う通り、莉子が家に帰る気持ちになってくれて良かったとは思った。

 ただ、これからどうなるのだろう、と考えると気持ちが暗くなるのも確かだった。

 あの「大和撫子やまとなでしこ」の妙子が浮気していなかったとは言え、まさか、夫の透の方が浮気をしていたなんて……。


「後は莉子ちゃんと妙子おばさんが話し合って、二人が納得した答えを出すのを待つしかないよ。今の莉子ちゃんなら、きっと妙子おばさんと一緒に良い答えを出してくれると思う」

「私もそうは思うけど……。でも、どうして、透おじさんはわざわざ私たちに妙子おばさんが浮気しているかもしれないって言ったの? 自分が浮気してるって言うのに」

「かれんちゃん、それ、理由はカンタンだよ。実際、かれんちゃんたちもだまされそうになったじゃない」

「えっ? 何それ?」

 ちょうど赤信号で停止したので、かれんが不思議そうに昴の方に視線を向けた。

 昴は何食わぬ顔で、カーステレオに入っているザ・ジャムのCDを取り替えている。

「透おじさん、自分が浮気しているってバレていないとは思っていても、自分の娘と妻がケンカして、僕たちが家に乗り込んだりしてきて焦ったんだよ。もしかすると、二人のケンカがきっかけで自分の浮気がバレちゃうんじゃないかってね。

 特に僕が出てきたのがマズかったのかな? 何か「すごい方」だってウワサされていたみたいだし。

 だから、妙子おばさんが近所の人に目撃されて、それがもしかすると浮気なんじゃないかって話をしたんだよ。そうすれば、まさか『妻が浮気している』って言った夫が本当は浮気していたなんて、誰も思わないじゃない? 実際にかれんちゃんと明奈おばさんはそう思ったし」


「まあ、確かにそうだけど……」

 かれんは青信号になったので、慌てて車を発進させながら、心の中でため息を吐いた。

(――やっぱり、私、昴には敵わないんだ)

 今回の「莉子と妙子がケンカした謎」も昴は「アッサリ」「サクッ」と解決してしまった。

 自分は昴が言った通り、うっかり透の「妻が浮気している」と言う言葉を真に受けて、すっかり妙子が浮気しているのではないかと心配してしまったと言うのに……。

 しかも、昴は妙子が浮気していると思われていると莉子に気づかれるとマズいと感じたのだろう。莉子に「母親が浮気の疑惑を持たれている」ということを言わずに、「種明かし」をするという配慮まで見せたのだ。


 かれんは再びため息を吐いた。

 車内にザ・ジャムの「悪意という名の街(Town Called Malice)」の曲が、かれんの気持ちとは裏腹に爽やかに流れている。


「かれんちゃん、どうしたの?」

 かれんのため息に気付いたのか、昴がニコニコしながら訊いて来た。

 まったく、この男は……、とかれんは思った。

 空気を読める男なのか、それとも空気の読めない男なのか、イマイチ不明だ。

 まあ、もしかすると、わざと空気を読んでいないのかもしれないが……。


「――ありがとね」

 かれんが前を向いたまま、仕方なさそうに小声で言った。

「えっ? 何、なに?」

 昴はまるでかれんの言葉が聞こえなかったかのようにニコニコしながら訊き返してきたが、かれんにはもちろんわかっている。

 昴は音楽をやっていただけあって、耳もものすごく良いのだ。

 自分がさっき小声で何を言ったかなんて、昴には絶対に聞こえているだろう。

「だから! 莉子ちゃんと妙子おばさんを仲直りさせてくれてありがとうって言ってるの! 後、莉子ちゃんに妙子おばさんが浮気してるかもって思われてることも黙っててくれて、ありがとう!」

 かれんがさっきよりも大きな声で言うと、昴は嬉しそうにあの大きな切れ長の瞳をキラキラさせた。

「かれんちゃんの大切な親戚だし、仲直りさせて当然だよ。かれんちゃんにありがとうって言ってもらえるだけで、僕、嬉しいな」

 昴がニコニコしながら言うのを聞きながら、かれんはあのモヤモヤとした気持ちが込み上げてくるのを感じた。

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