(6)

「――これ、水性のペンキですよね?」

 一通り壁を眺め尽くした昴が、笑顔を見せながらかれんと野辺の方を振り返った。

「ああ、そうみたいだけどな」

 野辺が不愉快そうな表情をした。

 多分、服と顔にペンキが付いた時のことを思い出してしまったのだろう。

「水性のペンキって、油性のペンキよりも乾燥するのが早いんですよね。確か、夏場で早ければ30分くらいで乾いちゃうんで、今だと1時間もしないうちに乾いちゃうんでしょうね」

 昴がニコニコしながら言う。

 かれんから「黒いペンキを塗られた」と聞いたので、一応はペンキに対する知識を備えてきたらしい。


 昴は視線をまた壁の方に向けると、手を伸ばしてペンキを塗るマネを始めた。

 手にペンキを付けた「ハケ」を持っているイメージで、左から右に手を動かして、黒いペンキが塗られている端まで来たら、今度は右から左に手を動かした。

 昴はつま先立ちになってペンキを塗るマネをしていたが、昴がつま先立ちになって手を精いっぱい伸ばすと、壁に塗られている黒いペンキの塗り始めの、一番上の部分よりもかなり高い部分に手が届いた。


「ねえ、かれんちゃん」

 昴がふいにまた振り返った。

「何?」

「ちょっと、ここに来て、ペンキ塗るマネしてよ」

「えっ? 何で?」

「いいからいいから。で、最初はつま先立ちになって手を精いっぱい伸ばしてみてね」


 かれんは「昴は何でそんなことさせるんだろう」と思いながら、昴の言う通り、壁の前に立ってペンキを塗るマネをした。

 昴に言われた通り、まずはつま先立ちになって、手を精いっぱい伸ばす。

 かれんは普段仕事をしている時は少しヒールのあるパンプスを履いているが、今日は休みなのでコンバースのスニーカーを履いていた。

 スニーカーを履いている足元でも、つま先立ちをして手を精いっぱい伸ばすと、足元がフラフラしてしまう。

 伸ばしている手も微妙に震えてしまう。

 かれんは足元をフラフラさせながら、微妙に震える手を左から右に動かしてペンキを塗るマネをした。

 かれんが手を精いっぱい伸ばすと、壁に塗られている黒いペンキの塗り始めの一番上の部分よりも少し上の部分に手が届いた。


「かれんちゃん、ペンキ塗るマネ、すごく上手だったよ、ありがとう。――じゃあ、今度は野辺さんお願いします」

 かれんがペンキを塗るマネを終えると、昴がニコニコしながら野辺の方に視線を向けた。

「えっ? 俺が? 何で?」

 突然、話を振られた野辺は驚いた声を上げた。

「はい、お願いします。ペンキ塗った犯人を見つけるために必要なので」

 昴がニコニコしながら言うと、野辺は意外と素直にかれんと交代でペンキを塗られた壁の前に立った。

 確かに「ペンキ塗った犯人を見つけるために必要なので」と言われたら、やらざるを得ないだろう。


 野辺も壁の前に立つと、さっきのかれんと同じようにつま先立ちになって、手を精いっぱい伸ばす。

 野辺もスニーカーを履いているが、やはりつま先立ちになって手を精いっぱい伸ばすのはツラいらしく、手元と足元が微妙に震えていた。

 野辺も昴やかれんと同じように微妙に震える手を左から右に動かして、ペンキを塗るマネをした。

「あっ、野辺さん、ペンキ塗るマネ、すごく上手ですよ! まるでペンキ塗った犯人みたいに上手いです」

 昴が野辺のペンキを塗るマネを見ながら感心したように言うと、野辺は振り返って鋭い視線を昴に向けた。

「おい! 俺をからかっているのかよ?」

 野辺のあの「怖い顔」に睨まれても、昴は特に気にすることなくニコニコとしていた。



「ありがとうございました」

 野辺がペンキを塗るマネを終えると、昴がニコニコしながらお礼を言った。

「これでペンキ塗った犯人がわかるのかよ?」

「はい、大体の目途めどはつきました」

 昴がアッサリ答えると、かれんと野辺は「えっ?!」という表情で昴の方を見た。

「それ、本当かよ?!」

「それ、本当?!」

 かれんと野辺が同時に言うと、昴はゆっくりと頷いた。


「でも、もちろん誰が塗ったかまではまだわかりませんよ。大体の犯人像はわかったんですけど、これから犯人が誰か見つけて行きますから。――野辺さん、ちょっといくつか訊いてもいいですか?」

「おう、何だよ?」

「壁にペンキが塗られているのを発見した時、不審な人物とか周りにいましたか?」

「全然。いたら、その場で俺が取っ捕まえてるよ。いたのは、この先のB高校に通学途中の制服着た高校生ばかりさ」

「なるほど、そうですか。後、最近近所で同じようにペンキを塗られるイタズラとかはありましたか? 後、B高校の生徒が何かイタズラしたとか……」

「いや、全然ない。特にあそこの高校生が何かイタズラしたなんてウワサ、今まで訊いたことないし」

「野辺さん自身が、家にペンキを塗られるような、人に何か悪いことをされるような覚えもないですよね?」

「そうだよ、ないよ。だから、不思議なんだよ。ご近所さんとの関係も良好だし、仕事で何かあったこともない」

「そうですよ」

 昴は野辺が答えるのをニコニコしながら聞いていた。


 野辺に一通り質問し終えると、昴はお礼を言って野辺の家を後にしようとした。

「本当に犯人の目途はついたのか?」

 野辺がもう一度訊くと、昴はまた大きく頷いた。

「はい、大丈夫です。また犯人がわかったら連絡しますね」

 昴はニコニコしながら言ったが、野辺も不思議そうな顔をしていたし、かれんも不思議そうな表情をした。

 昴は本当にたったあれだけの時間で、壁に黒いペンキを塗った犯人の目途めどがついたというのだろうか。

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