(5)

(――わあ)

 布をめくって見えた壁を見て、かれんは思わず心の中で声を上げた。

 アイボリー色の壁の一部に、見事なまでに黒いペンキが塗られている。

 ちょうど、さっき呼び鈴を押した野辺の家のドアくらいの広さの面積に、黒いペンキが塗られていた。

 かれんはもっと「雑」に塗られているのだろうと予想していたが、塗り方が意外とムラなくキレイだ。

 ただ、塗り始めの上の方は多少ガタガタとした線やムラみたいなものが出来てしまっている。


「いやあ、思ったよりキレイに塗られてますね」

 昴もかれんと同じことを思ったらしく、感心したような口調で言った。

「そうだよ。俺の家の壁になんて塗らずに、必要なヤツの家の壁に塗ればいいのに……」

 野辺が昴に「怖い」と言われた顔を、ムッとさせながらブツブツ言った。

 昴は野辺の「怖い顔」には特に気も留めずに、黒く塗られた壁に近付くと、ジーッとみつめ始めた。

 顔を近づけて壁を見たかと思うと、少し離れて眺めてみたり、壁に「ペタペタ」と触ってみたりしている。


「――なあ、あいつ、良く来てくれたよな? 日曜日の休みに」

 壁を観察している昴を見ながら、野辺がかれんに小声で言った。

「まあ、昴は昔から音楽の話と『謎解き』系の話が好きなんです。趣味みたいなものなんですよ。好きで来ているので、気になさらないでください」

「昔から?」

「はい。小さい頃から、周りの人の身に起きた問題事を解き明かしていたんです」


 そうだ、昴は昔からこうやって周りの人の身に起きた問題とか悩みごととかを解き明かしていたな、とかれんは思った。


 昴は小さい頃から「いつでもどこでもマイペース」な性格だったから、どんなに成績が良くて優秀でも、クラス委員とか生徒会長とかそういう肩書きに推薦されることはなかった。

 学校の先生も、そういう「適正」みたいなものは見抜いていたのだろう。

 ただ、だからと言って昴は、先生とか周りの人間から見放されていたとか頼りにされていなかったというわけではない。

 小さい頃から昴はなぜか良く、先生とか周りの人間に「相談事」を持ちかけられていた。

 例えば、無くし物をしてしまったがどこにあるのか、とか、イタズラをした犯人は誰なのか、とか、そういう相談事を持ちかけられていた。

 昴はそういった相談事を持ちかけられるたびに、大体全ての問題を解決して、相談事を持ちかけた人に感謝されていたのだった。


 ともすれば、「いつでもどこでもマイペース」な昴は、集団生活の中では落ちこぼれたり、はみ出し者のレッテルを貼られる可能性がある人間だ。

 でも、昴はこの「周りの人の身のに起きた問題とか悩みごととかを解き明かす」ことで、周りの人から感謝され、集団生活の中で落ちこぼれることなく、昴独自のポジションを築いていたような気がする。

 もしかすると、この謎解きは「いつでもどこでもマイペース」な昴が周りの人と上手くコミュニケーションを取り、集団生活の中で生き残って行くための手段だったのではないか、とかれんは何となく思った。



「――」

 昴は時々、ストーンズの「黒くぬれ!(Paint It, Black)」を軽く口ずさみながら、黒く塗られた壁を熱心に眺めていた。

 昴の口から「黒くぬれ!」のフレーズが流れて来るたびに、野辺の顔が「おっ?」という表情になるのがわかる。

 かれんも野辺の気持ちはわかる。

 昴とかなり一緒にいるかれんだって、つい「おっ?」という感じになってしまう。


 昴の口から流れて来る声は、「黒くぬれ!」を歌っているストーンズのミック・ジャガーの声とそっくりだった。


 昴は人の声マネがものすごく上手いのだ。

 精密な変声機でも使っているんじゃないかと思うくらい、そっくりな声を発して来る。

 昴は男性だと言うのに、女性の声もそっくりに発することができるのだ。


 ちなみに、このものすごく上手い声マネが、昴がバンドのボーカルを辞めた原因でもあったらしかった。

 誰かの歌っている曲を聴くと、その歌声に引っ張られて自分のオリジナルの声が出づらくなってしまうらしい。


「僕のバンドを観に来るお客さんは、僕の歌声を聴きたいのであって、ジョン・レノンやカート・コバーンの声を聴きたくて来ているわけじゃないからね」

 昴は前にポツリと呟いたことがある。


 かれんはこの昴の発言を聞いて「何、世界的に有名なボーカリストの名前を挙げて生意気なこと言っているんだか……」とかなり呆れた気持ちになった。

 ただ、言葉を発している昴が普段と違って妙に淋しそうな表情をしているのも気にはなったが……。

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