(4)

 日曜日。

 昴とかれんは新潟市西区にある野辺の家へお邪魔することになった。

 もちろん、昴のお望み通り、黒いペンキを塗られた野辺の家の「現場」へ行くためだ。


 かれんは自分の愛車であるホンダのN-BOXの運転席に乗り込みながら、昴の方をチラリと見た。

「どうしたの? かれんちゃん」

 助手席に乗ろうとした昴が、ニコニコしながらかれんに訊く。

 かれんは慌てて「別に、何でもない」と言うような表情をして、昴から視線を逸らした。


(――何で私が車出すことになるんだろう。昴だって車持ってるのに)

 昴から視線を逸らしながら、かれんは心の中で思っていた。

 かれんは普段、営業でそこら辺を回っているから、新潟市内の運転などお手の物だ。

 でも、いつも運転しているから、たまの休みには誰かが運転している隣でぼんやりしたいというのも本音だった。

 昴だってかれんと同じホンダのN-ONEを持っているから、車を出そうと思えば出せる。

 でも、例え自分が「たまには車出して」と言ったとしても、昴はいつも通りのニコニコした表情で、

「かれんちゃんの方が運転上手いし。僕、普段はあんまり西区の方は運転しないから」

 と、アッサリと言うに決まっている。


 この何でもサクッとできる昴のことだから、「かれんちゃんの方が運転上手い」というわけはない。

 昴は車の運転も上手いし、道も一度通ってしまえば大体覚えてしまうのだ。

 ただ、今回はかれんが昴に「お願い」して野辺の家へ行ってもらうから、かれんが車を出すのが当然と言えば当然なのかもしれないが……。


(――まあ、運転するのはいつものことだから、別に良いけど)

 かれんは諦めて車を発車させようとしたが、突然、昴が「あっ!」と声を上げた。

「何? どうしたの?」

 かれんが驚いて助手席の昴の方に顔を向けた。

「そうそう! 車の中で聴こうと思って、CD持ってきたんだ。かれんちゃん、何聴きたい?」

 昴は男性が持つにしては少し大きいトートバッグから、CDを何枚か取りだした。

 かれんは(この男は……)と心の中でため息を吐いた。

 本当に昴はいつでもどこでもマイペースだ。


「昴、あのね、別にただ単にドライブ行くわけじゃないから。野辺さんの家へ、『現場』へ行くんでしょ?」

「うん、それはもちろんわかってるよ。でも、ほら、ついでだから、車の中でこの間の話の続きもしようと思って」

「この間の話の続き?」

「そう。金曜日にかれんちゃん、僕がストーンズの話をし始めたら、『わかったから、続きはまた今度聞くから!』って言ってたよね? その話の続き」

 良く見てみると、昴が持ってきたCDは全てローリング・ストーンズのオリジナルアルバムだった。

(――昴って、こういうこともしつこいくらい覚えてるんだから)

 本当にこの男は都合が良いことも悪いことも全て覚えているんだな、とかれんはまた心の中でため息を吐いた。


 かれんが西区の野辺の家へ車を走らせている間、昴はストーンズの曲をバックにずっとストーンズの話をしていた。

 かれんは昴が夢中になって話しているのを「ふーん」「そうなんだ」と取りあえず相槌あいずちを打ちながら聞いていた。

(――まあ、音楽の話が長いのもいつものことだから)



* * *


 長い長い昴のローリング・ストーンズの話を聞きながら、かれんの車は無事に西区の野辺の自宅へ到着した。

 かれんは野辺の自宅へは2回か3回くらいお邪魔したことがある。

 全体的にアイボリー色だが、一部に色の濃いレンガのような模様が入っていて、見た目はなかなか洒落たイメージの家だ。

 ただ、玄関の前のコンクリートの階段を登ってインターフォンを押そうとすると、家の右側のカーポートの横の壁に、何やら大きな布で覆われた部分があった。

 外からは植え込みの影になって見えにくかったが、きっと、多分、この布で覆われた部分が、例の「黒いペンキが塗られた」箇所なのだろう。


 昴もかれんと同じことを思ったのか、いきなりその壁を覆っている布のところへ行って、布をめくろうとした。

「ちょっ、ちょっと、昴! 待って!」

 さすがに野辺に断らずに布をめくるのはまずいだろう。

 かれんは慌てて昴を止めると、玄関のインターフォンを押した。


 玄関のドアが「ガチャ」と開いて、野辺が顔を覗かせた。

「おお! 加賀谷かがや、休みの日に悪かったな。ありがとな」

 玄関から出て来た野辺は、普段のスーツ姿とは違い、チェックのシャツにジーンズというラフな恰好だった。

 野辺の顔は相変わらずドラマの悪役をはれるような強面だったが、服装がカジュアルだと多少はマイルドに見えた。

「部長、お疲れ様です。――あの、連れてきました」

 かれんが後ろにいる昴を振り返りながら言うと、昴は野辺に笑顔を向けた。

「野辺さん、こんにちは、元気そうですね」

 昴がニコニコしながら何とも軽々しい口調で言うと、野辺は軽く頷いた。

「ああ、今日はありがと。そっちこそ、元気そうだな。レコード屋は順調なのか?」

 さっき、部下のかれんに声を掛けた時と、野辺の声のトーンが若干違っている。


 野辺の昴に対する口調は、かれんに対する口調とはいつも違う。

 野辺とかれんが働いている「株式会社スカイ」が入っているビルと、昴が経営している「マーズレコード」が近いと言うこともあり、昴と野辺は何度も会ったことがある。

 昴の「謎解き」の能力を買って、野辺が自分のお客さんや部下のお客さんを少し紹介したこともあった。

 しかし、何度も会っていて口調こそタメ口だが、野辺の昴に接する態度はいつも何となくよそよそしい感じがする。

 別に野辺が昴のことを好きとか嫌いとか、そういう理由ではないらしい。

 野辺の中で昴は、「悪いヤツじゃないけど、何となくつかみどころのない男」というカテゴリーに入っているらしい。


 確かに野辺の気持ちもわからないでもないな、とかれんは思う。

 昴と野辺はまったくタイプの違う人間なのだ。野辺が昴を「つかみどころのない男」とカテゴライズするのもわかる気がする。


 大体、野辺とかれんが働いている「株式会社スカイ」は、求人広告媒体を扱っている会社で、普段相手にしているのは会社の社長とか人事部の人間など、どのお客さんも会社に所属していて肩書を持っている人間ばかりだった。

 昴は今でこそ「マーズレコード」の店主をやってはいるが、少し前まではニートだったし、店主になった今でも一人で店を切り盛りしている。

 多分、これからも一人で店をやっていくだろうから、「求人広告媒体」を頼むなんて機会はないだろう。

 それこそ、かれんが連れて来なければ、昴と野辺は道端ですれ違うこともないであろう、接点のない人間同士なのだ。

 野辺が「つかみどころがない」と思う気持ちもわかる。


 ただ、そんな「自分に接点のない」野辺に対しても、昴は「いつでもどこでもマイペース」の姿勢を崩さない。

 そんなところはやっぱりさすがだな、とかれんは半ばあきれ半ば感心していた。


「おかげさまでお店は順調です。――で、野辺さん、早速『現場』、見せてもらっても良いですか?」

 昴がニコニコしながら野辺に言うと、野辺は玄関に置いてあったアディダスのスニーカーを履いて外に出た。

「こっちだ」

 野辺は昴とかれんを駐車場の方へ連れて行くと、さっき昴がめくろうとした壁の布を「バサッ」と取った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る