(3)

「――ふーん、じゃあ、朝、野辺さんが会社に行こうと思ったら、家の壁の一部に黒いペンキが塗られていたってこと?」

 昴が言うと、かれんは頷いた。

「そう。誰がやったのかわからないけど、壁にベッタリと黒いペンキが塗られてたの。部長、慌ててペンキを落とそうとしたけど全然落ちないし、会社の時間もあるから、後は奥さんに任せて出社したらしいんだけど……。服の袖にペンキが付いたのに気付かないで、会社で顔に付けちゃって、落とすの大変だったんだから」


 かれんが朝の野辺の慌て振りを思い出しながらため息交じりで語ると、昴はおもむろにイスから立ち上がった。

 かれんが(?)と言った感じで昴の様子を伺っていると、昴は山積みにされたCDの中からローリング・ストーンズの「アフターマス(Aftermath)」のCDを引っ張り出して来て、ラジカセの中に入れた。

 昴が再生ボタンを押すと、スピーカーから一曲目の「黒くぬれ!(Paint It, Black)」が流れてくる。


「ちょっと、昴!」

 かれんがモヤモヤしながら言った。「何でこのタイミングで音楽流すの?」

「だって、かれんちゃんが『黒いペンキが塗られてた』って言ったから、急にストーンズの『黒くぬれ!』が聴きたくなったんだ。――あっ!」

 昴が突然大きな声を出したので、かれんは何事かとビックリした。

「何? どうしたの?」

「かれんちゃん、ここ、重要なんだけど、『黒くぬれ!』が収録されているのは『アフターマス』のアメリカ盤だからね。イギリスで発売された方には収録されてないんだ。代わりに一曲目が『マザーズ・リトル・ヘルパー(Mother's Little Helper)』になってて……」


 ――あーあ、もう一つの昴のクセが始まった。


 ミック・ジャガーの歌声が流れる中、自分に向かって喜々として語り始めた昴を見ながら、かれんはまたため息をついた。

「わかった! わかったから、続きはまた今度聞くから!」

 かれんは(早く本題に入らないと夜が更けちゃう……)と思いながら、慌てて昴の饒舌じょうぜつを止めた。「で、部長の家の壁にペンキを塗った犯人が誰なのかなって思って……」

「えっ? かれんちゃん、もしかして僕にその犯人を見つけてほしいとか?」

 昴が例の切れ長の黒い瞳をキラキラと嬉しそうに輝かせた。

 本当にこの男、音楽と謎解きの話になると、まるで好物を与えられた子犬が尻尾を振るようにわかり易い反応をするんだから……。


「まっ、まあ、そういうことになるのかな……。部長の奥さんが一応警察には連絡したけど、警察もパトロールはしてみるって言ったけど犯人を本気で探そうとはしないし、部長もかなり怒ってたから、昴がもし乗り気なら……」

 かれんは言いながら、思わず気まずくなって昴から視線を逸らした。

 結局は自分が昴に「部長の家の壁にペンキを塗った犯人が誰なのか」犯人探しすることを、頼んでしまったような形になってしまったからだ。


 かれんは普段、昴に「頼み事」みたいなことはほぼしない。

 何故しないかというと、昴に何かを頼むと悔しい思いをしてしまうからだ。

 昴はかれんとは違って、何でも「サクッ」と出来てしまう人間だ。自分が何かを頼んで「サクッ」とカンタンにやってしまう様を見るのは、何とも面白くない。

 まあ、「サクッ」と何でもやってくれるなら便利だし、どんどん頼めば良いじゃないかと言われればそれまでだが……。

 かれんはそんなところが「素直」ではないし、「負けず嫌い」なのだ。


 ただ、今回の野辺の「家の壁に黒いペンキが塗られていた」の案件に関しては、昴以外に頼む人間がいないのだ。


 野辺の家の壁に黒いペンキを塗ったのが誰なのかはわからない。野辺や野辺の家族に何かしらの恨みがある人間がやったのか、「どの家でも良かった」というイタズラ目的だったのかもわからない。

 ただ、大切な我が家の壁にペンキを塗られて、野辺はかなり怒っていたし、尚且つ落ち込んでいた。

 かれんは野辺にはいつも世話になっているし、そんな世話になっている野辺の家の壁にペンキを塗った犯人に対して、かれんもいきどおりを感じたのだった。

 別にかれんが自分で犯人を見つけようとしても良いのだが、さすがに自分には犯人を見つけらないだろう。

 そうすると、頼む相手は、この謎解きの好きな昴以外にいなかったのだ。


「――もちろんだよ」

 かれんの「昴がもし乗り気なら……」と言う言葉を聞くと、昴はますます嬉しそうに黒い瞳をキラキラと輝かせた。「かれんちゃんが僕に頼って来るなんて滅多にないことだし。絶対にその野辺さんの家にペンキ塗ったのが誰なのか見つけるから、任せてね」

 昴がニコニコと笑顔で言うのを見ながら、かれんはまさか昴も自分が滅多に頼って来ないことに言及してくるとは……と心の中でため息をついた。

 自分がちょっと頼って来ただけでこんなに嬉しそうな表情をするなんて、本当にこの男は何なのだろうか……。


「ありがと、じゃあ、よろしくね」

 かれんはなるべく自分の心の中を悟られないように、平然とした顔でお礼を言ったが、そんなかれんの様子を、昴はニコニコしながら眺めていた。

「うん、じゃあ、明後日あさっての日曜日、お店も休みだし、早速『現場』を見に行きたいんだけど、大丈夫かな?」

「えっ? 現場って、部長の家に?」

 かれんが驚いた声を上げると、昴は大きく頷いた。

「もちろん。やっぱり現場の野辺さんの家に行かないことには何も始まらないよ。黒いペンキ、まだ塗られたままの時に行きたいし、早い方が良いと思って」

「どうして、まだペンキが塗られたままだってわかるの?」

「だって、今日金曜日で、警察に相談したならペンキはそのままで言いに行っただろうし、土日は業者が休みだろうから、週明けまではまだ塗られたままじゃないかなって」

 昴がアッサリと答えると、かれんは(本当にこの男は……)と心の中でまた呟いた。

「わかった。じゃあ、日曜日にお邪魔できるかどうか、部長に訊いてみる」

 かれんはカバンからスマホを取り出すと、野辺にラインを打ち始めた。

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