2.黒くぬれ!(Paint It, Black / The Rolling Stones)

(1)

 かれんが勤める、無料求人情報誌「ワークニュース」を発行している「株式会社スカイ」の新潟事業部。


 朝、まだスタッフがまったりと始業の準備をしたりコーヒーを淹れたりしている中、事業部の部屋のドアが「バンッ!」と開いた。

 開いたドアから入って来た男を見て、部屋中のスタッフが凍り付いた。


(――ひっ、久しぶりに、怒ってる?!)

 かれんはノートパソコンのキーボードを叩いていた手を止めて、ドアから入って来た部長の野辺のべ公威きみたけの顔を恐る恐る見つめた。


 新潟事業部の部長の野辺は、見た目はそれこそ映画やドラマの悪役みたいな顔をしている。

 目つきも悪いし、ガタイが異様に良い。身長はそれほど高くないのに、ガタイが良いせいで実際の身長よりも遥かに大きく見えた。

 かれんも入社した当初、野辺をひと目見るなり(自分の人生も終わったかも……)と思ったものだ。

 だが、実際に接してみると、野辺は意外にも非常に善良な人間だった。

 顔や体つきが怖いだけで、根は自分の家族と会社と部下をトコトン大切にする、素晴らしい上司だったのだ。


 ただ、そんな野辺も半年に一回か二回くらい、ものすごく不機嫌な表情で出社して来る時がある。

 不機嫌だからと言って部下に当たり散らしたりなんてことはしないし、根が良い人間だとわかっていても、その「ものすごく不機嫌な表情」は事業部を一瞬にして凍り付かせるほどの迫力に満ち溢れているのだ。


 どうも、今日が野辺の「半年に一回か二回くらい、ものすごく不機嫌な表情で出社して来る」日のようだった。


(――何があったんだろう?)

 かれんはこの間、野辺が不機嫌な表情で出社してきた時のことを思い出した。

 確かこの間、野辺が不機嫌な表情で出社してきた時は、奥さんとケンカしたとかそういった理由だったと思ったが……。


 部屋中のスタッフが凍り付いている中、野辺は不機嫌な表情をしたまま、自分の机までドスドスと歩いて行った。

 そして、自分の机に辿り着いた野辺は、机の上にカバンを置くと、ふと、自分の手の甲で顔をこすった。


 野辺が顔をこすった手を下に降ろした瞬間、かれんの隣の席の新人の男性営業が「プッ」と吹き出した。

「――ちょっ、ちょっと! 何してんのよ?!」

 かれんは慌てて小声で隣の男性営業をたしなめた。

 まったく、最近の若いものは……とかれんは思った。

 かれんだって、吹き出したい気持ちを必死に堪えているのだ。


「――部長!」

 ベテランの女性営業の一人が立ちあがって野辺に言った。「顔が……、顔が黒くなってます!」


 野辺は慌てて、さっき自分の顔をこすった手を見た。

 野辺の顔だけでなく、野辺の着ているスーツの袖にもベッタリと黒いペンキのようなものがこびりついている。


「ここにもついてたのかよ?! まったく!」

 野辺はカバンからハンカチを取り出すと顔と袖をゴシゴシとこすり始めた。「本当にまったく! 俺の家の壁にペンキを塗りやがったのは、どこのどいつなんだ?!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る