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 その日、勝君と奥さんと赤ちゃんは、連休を利用して奥さんの実家へ出かけた。

 勝君と奥さんは二人とも新潟から東京の大学に進学してそのまま就職し、東京で出会って結婚した。

 勝君の実家はもちろん昴やかれんと同じ新潟市にあるが、奥さんの実家は新潟市から50km以上離れた長岡市にある。

 奥さんの実家へは東京から新幹線で帰った。

 東京駅から乗った新幹線は、上野駅→大宮駅→……越後湯沢駅→浦佐駅→長岡駅→燕三条駅→新潟駅、という順番に停車して行く。


 新幹線が長岡駅に着くと、奥さんは赤ちゃんを抱っこしようとしたが、先に勝君が赤ちゃんを抱っこした。

「私が抱っこする」

 と奥さんは言ったが、勝君は首を横に振った。

 奥さんは網棚の荷物を降ろし、勝君は赤ちゃんを抱っこしながら荷物を少し持った。

 あらかたの荷物は前日に宅配便で実家へ送っていたので、荷物自体はそんなにはなかった。


 奥さんは勝君よりも先にホームに降りた。

 先にホームに降りた奥さんは勝君が来るのを待っていたが、発車時間が近付いて来ても勝君がホームに降りて来る気配がない。


 発車のベルが鳴るであろうギリギリ直前に、勝君がホームに降りて来た。

 奥さんは「何してるの? 遅い!」と勝君に声を掛けたが、次の瞬間、重大なことに気付いて大きな声を上げた。

「ちょっと、赤ちゃん、どうしたの?!」

 奥さんが声を上げた瞬間に、発車のベルが鳴り、新幹線の扉が閉まった……。


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「――ふーん、じゃあ、勝君、新幹線の中に赤ちゃんを忘れてきてしまったってこと?」

 昴が言うと、かれんは頷いた。

「そう。『重たくなって赤ちゃんを座席に下ろしたんだけど、そのまま忘れて来た』んだって。でも、ちょっと考えられないよね? 自分の子どもを忘れてくるなんて」

「まあ、確かにそうだよね」

 昴の返事にはかれんへの同意は感じられたが、「子どもを置き去りにされた」奥さんへの同情は入っていないように感じられた。

 かれんは昴の態度にモヤモヤした。

「自分の子どもを忘れてくるんだよ? 信じられなくない?! 奥さん、その後、駅の人に連絡して、泣きながら次の新幹線の乗車券を買って、赤ちゃんを追いかけたらしいの。本当、勝君、どうしたんだろう? そんな忘れっぽい子じゃなかったと思ったんだけど」


「そうだよね」

 昴はまた一応かれんの言葉に同意をすると、席を立ってレコードの棚を漁り始めた。

 そして、ビートルズの「ヘルプ!(Help!)」のレコードを持ってくると、カーペンターズのレコードと交換して蓄音機に乗せた。

 昴がレコードの針を落とすと、「ヘルプ!」の7曲目の「涙の乗車券(Ticket To Ride)」のイントロが流れてくる。


「ちょっと、昴!」

 かれんがますますモヤモヤした。「何でこのタイミングでレコード変えるのよ?」

「だって、かれんちゃんが『泣きながら次の新幹線の乗車券を買って』って言ったから、急にビートルズの『涙の乗車券』が聴きたくなったんだ」

「――」

 ジョン・レノンの歌声が流れる中、自分の向かいに何でもないような表情で座った昴を見て、かれんはため息をついた。

 本当にこの男、昔からいつでもどこでもマイペースなんだから……。


「で、かれんちゃん、さっきの勝君の話だけど、僕にもっと良く聞かせてよ」

 昴が黒い瞳をキラキラさせながら、かれんに迫って来た。

 かれんは思わず身を引いた。

「えっ? もっと良く聞かせてって言ったって、何をどこまで話せばいいの?」

「あの話しだけだと、あんまり実態がつかめないんだよね。もっと詳しく聞かせてよ」

「だからって言っても……」

「じゃあ、かれんちゃん、僕が質問するから、それにわかる範囲で答えてよ」

「わかった」

 かれんが仕方なさそうに頷く。

 昴はニッコリ笑って、二つのティーカップに紅茶のお代わりを注ぐと、「さて……」と言った感じでテーブルの上で両手を組んだ。

 かれんはテーブルの上で組まれた昴の指を見て、思わず「白魚しらうおのような手」という言葉を思い出した。


「――じゃあ、さ。その勝君の奥さんってどんな人なの? さっき、『仕事していて結構収入あるみたい』って言ってたけど、仕事してるんだよね?」

「うん、かなりキャリアウーマンみたい。知り合いが言うには、いつもキチンとしていてキレイな恰好してる人だって言ってた。会社だとものすごく面倒見の良い人みたい。後輩に奢るのが趣味みたいなもので、その人も何度かおごってもらってたことがあるって」

 かれんは勝君の奥さんのことを話しながら、後輩に気前よくおごるような気持ちの良い人なのに、赤ちゃんを置き去りにされてしまってかわいそうだな、と思っていた。


「ふーん……。で、勝君とその奥さんと赤ちゃんって、奥さんの実家の長岡へ行こうとしてたんだよね? 勝君の実家の新潟こっちには来なかったの?」

「それはないと思う」

「どうして?」

「だって、奥さんと勝君の実家ってほぼ絶縁状態らしいんだって。赤ちゃんが生まれた頃は仲良かったらしいんだけど、何でも旦那さんの実家の干渉がすごくなったらしくて。

 余りにも干渉がひどいから、東京のマンションも出入り禁止にして、電話もメールもラインも着信拒否にして、勝君からの伝言も受け取らないようにして、年賀状とかの手紙も全部受取拒否にしてるけど、それでも干渉がひどいらしいって言ってた」

「ふーん、それはひどいね」

 昴の言葉に、かれんはやっと「おっ」と思った。

 昴が勝君の奥さんに同情らしい言葉を言ったのはこれが初めてなような気がする。

「だから、赤ちゃんも勝君の両親には全然会わせてなかったらしいの。まあ、そこまで干渉されたら赤ちゃんも干渉されそうだから、会わせたくなくなるだろうけど」


「うん、それはひどいね」

 昴はまた勝君の奥さんに同情するような言葉を呟いた。「確かにひどいよ、その勝君の奥さん。それじゃあ、勝君に離婚されても仕方ないかもね」

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