第3話 生命の危機

「なに!いま授業中なんだけど!」


「ごめんね、あんたに確認したいことがあって」


 太郎の怒鳴り声とは対照的に、落ち着いた母親の声。



「母さんのクレジットカード、知らない?」


「し、知らないよ!」


 持っていたクレジットカードを、とっさにズボンのポケットに隠す。


「なんで俺に訊くんだよ!息子を疑うなんて母親失格だぞ!どうせ失くしたんだろ!」


「お母さんも失くしたと思って調べてみたの。クレジットカードってね、何をどこで買ったか、履歴を調べることができるんだよ」


 母親の言葉に、じとりと背中が汗ばむ。



「四日前から使われててね。最初は一万円。その後、一度に使う額がどんどん額が大きくなっていって、昨日くらいから十万円は使うようになっていたわ。それが全部、ゲームに使われてたの。今のゲームって一度買ったらそれで終わりじゃないんだね。」


 何も言えない太郎。

 母親はどこまで自分を疑っているのだろうか。


「さっき見たら、また使われてたわ。ついさっき、十万円。同じゲームにね。……あんた知らない?」


「しらっ知らないってば!なんで俺を疑うんだよ!証拠もないのに決めつけるなんて人として最低だよ!」


 呼吸が荒くなり、声も上ずる。


 確たる証拠はないはず。

 だからこうやってわざわざ電話で訊いてきたのだ。

 その証拠だって、自分のスマホを見せなければバレない。


 そう信じて声を張り上げる太郎だが



「最低なのはあんたでしょうが!!」



 その何十倍もの声量で返ってきた。


「『玉石とすすめ』ってあんたが最近ずーっとやってたゲームじゃないの!勉強もせずにスマホばっかりいじって!リビングであんな大きな音鳴らしながらゲームしてたら、周りに聞こえるに決まってるでしょ!」


「違う違う違う!俺は違う!」


「いい加減にしなさい!違うわけないでしょう!授業中だってお母さんに怒っておきながらゲームしてたんでしょう!それも一度に十万円もつぎ込んで!人のお金を何だと思ってるの!」


「うるさいうるさい!母親だろ!俺を養うのは義務なんだ!勉強ばっかりさせやがって!子供に娯楽を与えるのも義務だ!たがが数十万円で子供を怒鳴りつけて恥ずかしくないのか!」



 母親からの返答はなく、玉すすの軽やかなBGMだけが流れた。

 今さらだが、この音はむこうに聞こえているのだろうか。


 しばらしの沈黙の後、未だかつてない程冷ややかな母親の声がした。




「学校やめなさい」


「……え?」


「今からお母さんが先生に言いに行くわ。学校やめますって。他人のお金を盗んだ挙句、悪びれもせずに被害者を罵倒する。そんな子、学校では手に負えないでしょうから、って」


「そんな……う、うそだ」


「お母さんのお金だけならまだいいけど、そんなことするくらいだもの。クラスのみんなにも同じことやってるんじゃないの?先生やお友達に訊きに行くわね。うちの子がお金盗んでませんか、母親から盗んだんですよって」


「や、やめろ……」


「学校では大人しいって先生は仰ってたけど、そりゃそうよね。お金盗むには目立たないようしないといけないもの。いくら盗ったのかしら。数万?それとも数十万円?」


「盗ってない、俺は、お金なんて……」


「ああ、‘たかが数十万円’だから盗った内に入らないってこと?お金持ちは羨ましいわあ。恵んで欲しいくらい。お母さん、どこかの泥棒にクレジットカード盗まれてお金無くなっちゃったから」


 パクパクと魚のように口を開閉するが、もう言い訳は出てこない。

 そんな太郎に追い打ちをかけるようにして


「自分の過ちを認めて反省するなら許そうと思ってたけど、まさか開き直るとはね。……情けない。本当に情けない。学校をやめて、これからどうするのかは帰ってお父さんと話し合うわよ。でもお母さんは、もうあんたを家におく気はないわ。泥棒と一緒に生活するなんて安心できないもの」




 冷たい母親の声はそれで終わり、電話は切れてしまった。

 あとに残ったのは玉すすのBGMだけ。




「終わった……」


 ぽつりと呟く。


 迂闊だった。

 クレジットカードの履歴なんて、まさか見れるとは。


 太郎はポケットの上からカードを触る。


「カード、取らなきゃバレなかったのか……?」


 番号だけ見て戻しておくべきだったのだ。


 母親が風呂に入っている間に財布からカードを抜いたのだが、その場で番号を打ち込む度胸もなく、返す度胸もなく。

 あわよくば失くしたと勘違いしてくれることを願って持ったままだったのだ。


 だがそのせいで、履歴を見たり、太郎に疑いの目を向けたりすることになってしまったのだろう。


 いや、今さら後悔したってもう遅い。


「……先生に言うって言ってたな。友達にも。……終わった……ただでさえあいつらは俺のこと見下してるのに、金盗んだって言い触らされたら……それも母親になんて……」


 考えただけでゾッとする。


 クラスメイトなんて、今までさんざん太郎のことを無視してきたくせに、きっと悪い噂にだけはハイエナのように食いついて太郎を馬鹿にするのだろう。


 数少ない友達も、正直友達といえるかだって怪しい。

 太郎が愛想笑いを浮かべて後を追いかけまわしているのが実情だ。

 母親がいらぬことをすれば、太郎なんてダシに使われおもちゃにされるだろう。


「どうしたらいい?……どうすれば……どうすればいい?」



 ふと、足元を見る。


 屋上のギリギリ端。

 地面は遠く、落ちれば無事じゃ済まないだろう。


 じり、と足を動かした。

 一歩踏み出せばもう空だ。


 太郎はフェンスを片手で掴み、上半身だけ下に倒す。


「母さんのせいだ、母さんが怒るから。クレジットカードを使ったくらいで。俺は悪くないのに。……仕返ししてやる。クラスのやつらも、こうすれば俺を馬鹿にする話なんてできないだろ。不謹慎って怒られるからな」


 出来れば通行人も巻き込みたいところだが、あいにく下を通る学生も教師もいない。

 いや、誰かを巻き込むと話題が分散するかもしれない。


 今のうちに飛び降りるべきだ。




「……俺は悪くない。お前らのせいだからな!」


 太郎はそう叫び、フェンスを掴んでいた手を離す。


 支えを失った体は重力に従い、頭から地面に吸い寄せられる。

 一瞬で地面につくと思っていたが、体が生命の危機を察知したからか、スローモーションのようにゆっくりと落ちていく。



 ふと手を見ると、スマホを持っていた。



 太郎のすべてを奪い、壊し、めちゃくちゃにした元凶だ。

 今まさに飛び降りているというのに、玉すすの能天気なBGMを垂れ流している。


「そういえば途中だったな」


 ラスト一つで電話がかかってきたのだった。

 どうせ装備品だろう。

 そう思いながら最後の一つをタップすると




『サファイアといいます。隊長の願いは何ですか?』




 オープニングで見た通りの、人懐っこい笑みを浮かべる女の子。


 青い髪は肩まで伸ばし、深いスリップの入った魔女のような服を着ている。


 喉から手が出るほど欲しかったキャラクター。


 星五つの希少石、サファイアだ。




「い、今かよおおおおおお!!」


 悲痛な叫びを残しながら、太郎はゆっくりと落ちていった。

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