プロローグ・これが私のできること・

「みゆき様!」


 みゆきが父親に対して軽く殺意を覚えていると、店内にいて崩落と同時に姿を隠していた、先ほどの男性以外の仲間が姿を現した。

 夏だというのにニット帽をかぶり、ネックウォーマーで口元を完全に隠した不審者チックな少女だ。かすかに覗く目は釣り気味のきつい印象を覚えるが、決して整ってないわけではない相貌なのがうかがえる。


「どうしたの?」


 みゆきは、これからの相手よりも、仲間の方が大事だから、などという理由で敵の前であるにもかかわらず、急に現れた少女と話し始めた。


「岩男のやつには、安全に配慮して崩すように伝えておいたのですが、ずいぶん乱雑だったので、ご心配で……」

「ふふ、問題ないわ。あまり綺麗に崩れてもただ不自然になってしまうだけだもの。外からの視点を想像すれば、これは十分な状況といってもいいでしょう」


 そう。このあまりに不自然な空間は、さきのみゆきの仲間の、岩男と呼ばれた男性の、その能力によって支えていたがゆえに作られた空間なのだ。


「……おい。ずいぶんとのんきな連中だな? おしゃべりはいつ頃終わるんだ?」

「あら、待ってくれてるの? ずいぶんと優しい連中じゃない。不意打ちだろうとなんだろうと、私は受けて立つつもりでいたのだけれども」

「はっ! 不意打ちなんざ仕掛けて、後から卑怯者だなんて言われちゃあたまったもんじゃねえからな。お前、最近台頭してきたストレングスとかいう殺し屋の一味だろう? しかもそこのエースで『物の怪』だとか言う大層な名前の」


 みゆきは、すでにかなりの仕事をこなしていた。その中で生きて返したターゲットはいなかったが、毎度毎度誰一人として残さなかったがゆえに、いつからか監視専門の異能者を使い正体を探られていたのだ。その際に、詳しいことは不明だが、同一人物であることが判明し、その事実をわかりやすくするために二つ名がつけられた。それが『物の怪』だったのだ。


「ふふふ」

「ぷっ!」


 男の言葉に、みゆきとニットの少女が思わずといった様子で笑みをこぼす。少女の方に至っては、笑みをこぼすというよりも、吹き出してしまっていた。


 そんな二人の様子に男の額に青筋が浮かんだ。


「何がおかしい」

「あなたの頭」

「あんたの思考回路」


 青筋が浮かんでも何とか平静を装っていた男の問いに二人はそう即答した。

 ここまで何とか堪えてきた男の忍耐力も限界が来た。


「てめえら。楽に死ねると思うなよ!」

「そうなの? 私は楽に殺してあげるわ。あなた程度に時間をかけられるほど暇じゃないもの」


 みゆきがそう告げると同時に、ニットの少女は無言で後ろに下がり、男は逆に勢いよくみゆきにこぶしを振り上げた。もちろん今まで無言だった、男の連れの二人も男の動きに合わせて片方が一歩下がり、片方はみゆきを迂回するように、狭い空間を上手く使い左側へステップを踏み、なにやら異能を使うそぶりを見せる。


「……」


 しかし、みゆきはゆったりとした動作でブレザーの内側に右手を入れた。


「かはっ……!」


 突然、異能を使おうとしていたであろう、サイドステップをした男が血を吐いて勢いそのままに倒れる。


「なっ!」


 男は驚愕しつつも、振り上げてしまった手は止められず、結局はそのまま振り下ろした。

 みゆきは大した苦労もなく、軽く半歩体を左側へずらしただけでそれを避ける。


「蝿がとまりそうね」


 みゆきは皮肉を告げつつ、ブレザーに入れっぱなしとなっていた腕をもぞもぞ動かす。その結果、後ろへ下がっていた男も血を吐き倒れた。


「なっ! 貴様、何をしたぁ!」


 思わずといった様子で常識的に考えれば答えなど返ってこない疑問を投げかけた。

 そして、その常識に反して答えは返ってきた。


「そんなに大声出さなくたって聞こえているわ。心臓と足を撃っただけよ」


 そうして静かにブレザーから腕が引き抜かれる。その手には、小さな拳銃のようなものが握られていた。


「は……? 拳銃だと? だ、だが、銃声など、しなかった!」


 その質問に、しかしみゆき話など聞いていないかのような気軽さで、質問で返した。


「ねえ、銃声って、無駄だと思わない? わざわざ遠距離から誰にも悟られずに殺せる手段だっていうのに、あれほど大きな音を立てて。実際、サプレッサーなんてものもあるわけだし。ね、貴方もそう思うでしょ」

「くっ、何を言っている!」


 みゆきは、同意を得られなかったことに心底残念そうに心の中で嘯いた。

 貴方は目の前で実践して見せたのに理解できないほどに馬鹿なのね、と。


「あら、貴方は邪魔に思わない人間なのね。でも、ほら、『実感』したでしょう?」


 みゆきの言葉には、憐れみが滲んでいた。

 その視線、言葉、抑揚から、違和感を覚え、男がふと視線をみゆきの手元に向ける。

 小さな銃身からはうっすらと煙が立っていた。


「う、あ……?」


 そのとき、初めて男は自覚した。

 自分が既に《撃たれていることを》。

 ゴポリ、と口から血がこぼれる。胸元には今しがた開いたであろうがあった。


「それじゃ、新しい知識に感謝してお逝きなさい」


 みゆきはそういうと、興味を失ったのであろう。もはや視線をやることもなく、後ろを向いていた。


「さ、帰りましょ」

「はい、みゆき様――」


 みゆきの言葉に、ニット帽の少女が答えようとしたそのとき、既に死に掛けの男から邪魔が入った。


「ま”て”え”え”ぇぇぇえ!!」


 血が混じり、あまりにも聞き取りにくい声だったが、間違いなくみゆきに向けられた怨嗟がこめられていた。

 だがそれは、みゆきにとってあまりにも瑣末な問題だった。


「……はあ。これだから肉体強化系の脳筋は……。引き際をわきまえない男って、私、嫌いなのよね」


 そう呟くと共に、みゆきは、最後の力を振り絞り拳をかざす男に向かって、本来ならば男の腕にでも当たってしまうような距離から、振り返りながら裏拳を振るった。

 すると、みゆきの拳に吸い付くように、本来ならば無理に当てようとしても当たらないような、最も遠心力が乗るような位置まで男の顔が引き付けられ、裏拳が直撃した。それは、男がこともあり、また、みゆきの能力が働き、通常をはるかに上回る威力で、男の首をさせた。

 そして逆に、男の拳は、無理に引き寄せられた影響で、軌道を大きく逸れ空を切った。


「みゆき様。こちらを」


 ニット帽の少女が、すばやくタオルを差し出す。


「ありがとう。セキはいつも気が利くわね」


 みゆきは、渡されたタオルで手に付いた血をぬぐいながらニット帽の少女――セキに礼を伝えた。


「それじゃ、今度こそ、本当に帰りましょ」

「はい!」


 血でぬれたタオルをセキに返しながら、みゆきは歩き出した。

 セキは渡されたタオルを一瞬で解き、血でぬれた部分だけを何らかの手段で切断し、先ほどとは一回り小さいタオルを作り出し懐へしまい、みゆきの後に続く。


「まあ、私は一度表に出てから帰るから別行動になってしまうんだけれどね。後始末はいつもどおり任せてもいいかしら?」

「はい。既にタナに動いてもらう手はずになっております。あと、岩男は軽くしかっておきます」

「ふふ、ほとんど要望どおりなのだから、ほどほどにね?」

「みゆき様はお優しいですね。わかりました。岩男にはみゆき様に感謝するように伝えることにします。それでは、また後ほど」

「ええ。また、ハウスで会いましょ」


 みゆきが伝え終えるや否や、既にセキの姿はなくなっていた。そして、同時にみゆきのブレザーにあいていた、銃によって出来た穴も完全に消えていた。


「さて、あの子には心配かけちゃったわね。また何か、おごってあげましょうか」


 そうして、『物の怪』と呼ばれた少女は『表』へと戻る。あまりにも荒れ果てたみゆきという少女の、出来ることやくめを終え、少女自身、既に見失ってしまった、日常へと。



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