第3話 缶ジュース
なんだか無性に腹が立ってきた。
こんな怪しい老婆と、何を仲良く話すことがあるのか。
馬鹿な二人は老婆の話をまるっと信じているようだが、不審な点はいくらでもある。
ゆうたは不機嫌な態度を隠そうともせず
「僕のことはいいよ。それより、おばあさんの化粧ってめちゃくちゃ濃いよね。顔を白く塗り過ぎて、首と色が違うし。口紅も塗り過ぎだし、初めて化粧したみたい。手はゴツゴツしてるし、体もがっしりしてるし、声なんておっさんそのものじゃん。下手な女装にしか見えないんだよね」
「おい、失礼だぞ」
「子子さんは黙ってて。それに、息子と来たっていうけどさ、あの道の先にはイシイさんの屋敷しかないよね。今日、イシイさんのところにお邪魔したのは僕たちだけだったと思うけど、お婆さんはどうしてあそこにいたの?」
「へえ!?…えーっと……それは、だねえ……」
老婆は視線を泳がせる。
痛いところをつかれたようだ。
このまま畳みかけようと、ゆうたが口を開いたが
「道間違えたんじゃねえの?」
「あー、なるほど。木ばっかで目印とかないから、むずかしいもんね」
「そ、そう!その通り!息子に頼り切らず、わしも道を把握しておくべきだったよ」
馬鹿二人の言葉に、老婆は目を輝かせて頷いた。
「ウソだ!子子さんの話にのっただけじゃん!」
「さっきからどうした、ゆうた。なんでそんなに疑ってんだよ?らしくないぞ」
「こんな怪しすぎるヤツ目の前にして疑わないわけないだろ!こいつ絶対イシイさんの言ってた悪質なファンだって!」
「え、そうなの?婆さん、悪質なファンなのか?」
「何の話かさっぱりだねえ」
「ほら。婆さんもわかんねえって言ってるぜ。お前の考えすぎだろ」
「自分で認める訳ないでしょ!バカじゃないの!」
バックミラー越しに子子を睨み、ゆうたは声を張り上げる。
老婆も睨んでやろうと目を移すと、すまし顔でそっぽを向いてしまった。
彼女に一言言おうと口を開いたとき、ハナが緊張感のない声で言った。
「ねえ、車のうしろからけむりでてるよ」
「は?」
「ほら、けむり。故障かな?」
ハナが進行方向とは逆を指さして再び言った。
目をやると、灰色の煙がまるでカーペットのように通ってきた道に広がっている。
単なる排気ガスだと片づけるのは無理な量だ。
「何これ!いつから?」
ゆうたはリアガラスに張り付いき、煙の発信源を探る。
だがそれは車体の真下にあるようで、ここからは確認できなかった。
「わかんない。さっき気付いた」
「これは大変だ。停まって見た方がいいんじゃないかい?」
老婆がにやりと笑って言った。
ゆうたは彼女を睨みつけ
「タイミング良すぎない?さっきお婆さんが転んだふりして何か細工したんじゃないの?」
「勘弁しておくれよ。こんな老いぼれが、そんな器用なことできるわけないだろう」
目をこれでもかと泳がせて老婆が言った。
「絶対こいつがやったよ!誤魔化すのめちゃくちゃ下手!」
「何にしても、停まって見なきゃ駄目だな。来るとき、この辺で開けた場所見たよな?そこで一旦停まるか」
「ダメだって!ガチガチの強盗パターンじゃん!こんなの無視でいいよ!」
「もしそうだとしても、煙以外にも何か細工してるかもしれないだろ。それに本当に故障だった場合、今直しとかないと下手すりゃ車が動かなくなるぜ」
「なんで急に正論言うんだよ。さっきまでの知能の低さはなんだったんだよ」
ゆうたの言葉などどこ吹く風で
「あったあった。止まるぞー」
子子は道から逸れて車を止めた。
今まで道路の左右には木々が生い茂り、逸れることなどできなかった。
だがここは展望スポットなのか、切り開かれているため車が何台も止められるほどのスペースがある。
現に、ゆうた達の車以外にも一台の車が停まっていた。
その車の持ち主はボンネットに腰をかけ、缶ジュース片手に一服していたようだ。
どこにでもいそうな男性だが、こちらをチラチラ見ているような気がする。
「嫌な予感しかしない」
「じゃ、ちょっくら見てくるわ」
ゆうたの不安をよそに、子子は運転席から降りてしまった。
「待って!何かあったとき子子さんは戦えないでしょ!」
非戦闘員の子子を一人にするわけにはいかない。
かといって老婆とハナを二人きりにするのは心配だ。
どうしたものかと考えていると、
「わたしがついてってあげる」
ハナが扉を開けて車から降りてしまった。
「ああっ……もう。大丈夫かなあ」
「坊やは心配性だねえ。」
「お前のせいだろ。青髭見えんぞ」
ゆうたの言葉に、老婆は慌てて手で口元を隠す。
汗で化粧が落ちて口周りがうっすらと青くなっていたのだ。
最早完全におっさんなのだが、ゆうたは相手にするのも馬鹿らしくなり、それ以上は何も言わず再びハナ達に目を向ける。
すると、先にいた男が
「どうしました?煙が出てますけど故障でもしましたか?」
言いながら、缶ジュースを持ったままこちらにやって来た。
子子は振り返って
「ちょっとわからないんですよ。これから見るところです」
「そうですか。何かお手伝いすることはありますか?」
「どうですかね。とりあえず見てみますわ」
言って、子子は男に背を向け車の下に潜り込もうと屈んだ。
そしてハナは男を殴り飛ばした。
「なにやってんの!」
開けっ放しだった扉から顔を出し、ゆうたが叫ぶ。
食肉植物であるハナは腕を木の枝のように硬化させ、自在に伸縮させることができる。
その腕力は常人の数十倍にもなり、人間はおろかアニマだって敵わない。
肉弾戦であれば、彼女はルバンガ団一だろう。
そんな彼女に殴り飛ばされた男はひとたまりもなく、紙切れのように吹き飛んで木にぶち当たる。
ぐったりとした男の手から缶ジュースが零れ落ち
どがあああああん
小さくはない音とともに爆発した。
巻き起こる爆風を顔に受け、ゆうたが目をしばたたかせる。
「ハナさん……?」
「ちがうよ!わたしはたたいただけ!勝手にばくはつした!」
「いや、それは見てたよ。そうじゃなくて、どうして殴り飛ばしたの?攻撃してきた?」
確かにあの男は怪しかった。
だが、ゆうたが見ていた限りでは、男が攻撃を仕掛けてきたようには見えなかった。
彼女にしか見えない角度で何か怪しい動きがあったのかもしれない、とわずかな希望をかける。
けれどハナは肩をすくめて
「なんとなく」
「なんとなくって、悪い人じゃなかったらどうするつもりだったの?」
「でもあいつ悪かったよ」
「それは結果論でしょ!もしあの人が善意で助けてくれようとしてたら取り返しのつかない……ちょっとハナ!どこ行くの!まだ話の途中だろ!」
ゆうたの前を素通りし、爆発した男のもとへ行く。
その足取りは心なしか軽やかなものに見えて
「朝ごはんまだだからさ」
「……もしかして食べる気?ダメだよ!ほんとに!」
「えー、なんでー?もう死んでるよ」
「倫理観ゼロか!お前が殺したんだろ!」
「ちがうよ。缶ジュースのばくはつで死んだの」
「どっちにしろ絶対ダメだからね。団長命令」
「パワハラだ、パワハラ」
名残惜しそうにしながらも、膨れっ面で戻ってくるハナ。
それを確認し、ゆうたは眉間の皺をほぐしながら車内へ顔を引っ込める。
呆気に取られて二人の様子を見ていた老婆と目が合い
「だから心配だったんだよ」
言って、ゆうたは腰を下ろした。
「煙の原因わかったわ」
先ほどの爆発などなかったかのように、子子が車の下から這い出した。
彼はゆうた達の元に来て
「小さい機械がついてる。そっから出てたな。煙は止めたけど、機械自体を取るのはかなり時間がかかりそうだ」
「かなりってどれくらい?」
「わからない。車の配線に絡みついてる上に、車体の奥深くにも食い込んでる。初めて見るタイプだから何とも言えないな。機械の大きさから見て、他に機能があるとしても直接被害を受けるようなもんじゃないだろうから、このまま放置するのも手だぜ」
「なんてことしてくれたんだよ。メンテナンスしたばっかりだったのに」
ゆうたに睨まれ、老婆はお決まりの知らんぷりを決め込む。
しばらく睨みつけていたゆうただったが、諦めたように
「そのままでいいよ。また襲われても困るし、下手に時間を取られたくない。他に敵がいないとも限らないしね」
ゆうたの言葉に頷いて、子子とハナは車に戻った。
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