第28話
「はぁ、はぁはぁ....」
ニールは走っていた。もたついて、転びそうになりながらそれでも走った。少しでも遠くへ、少しでもヴァジュラに捕まる時間を稼ぐために。稼いでどうなるのか。助けは来るのか。何も分からない。しかし、ただ捕まるよりはましなはずだ。捕まったら世界が終わってしまう。なんとしても、何が何でも逃げなくてはならない。壊れた電柱を超え、壊れた建物を乗り越えニールは走る。
と、その横をすごい勢いで騎士団員が二人すっ飛んでいった。しかし、その次の瞬間ゴシャっ、と音がなりニールの前に騎士団員は帰ってきた。だが、その姿は見る影もない。鎧は破砕されていた。ニールは振り返る。そこにはヴァジュラが居た。
「はぁはぁ...っ!!」
ニールは歯を食いしばった。そして、そのままさらに走り出す。また、騎士団員が、そして防衛用のドローンがヴァジュラに向かっていった。しかし、轟音と共にまたそれらも破壊された。そして、その次にニールの足元を何かものすごい振動が通り抜けて行った。そして、それは遥か彼方で炸裂した。ニールには分からないがドローンの基地が破壊されたのだ。ヴァジュラは障害をすべて排除したらしい。
「はぁはぁはぁっ!!」
それでも、ニールは走った。それでも逃げた。足を止めない。この先どうなっても、どんなことが起きてもニールは足を止めたくなかった。せめてそれだけでもやりたかった。
しかし、そんなニールの前に無情にもヴァジュラが降り立った。
「くっ!!」
ニールは反対に逃げようとする。しかし、その腕をヴァジュラが掴んだ。冷たい陶器のような感触。ニールは戦慄した。なんとか振りほどこうとする。しかし、ヴァジュラの腕はまったくビクともしなかった。そして、ヴァジュラは言った。
『ようやく捕まえたよ。ニールくん』
その声は今までの、無機質な電子音ではなかった。男の声だが今までのヴァジュラの声ではない。
「だ、誰ですかあなたは」
ニールは返す。とっさに思った。これはヴァジュラではないと。これは、あの時自分の家に来た男だと。
『その目。僕が前に会った人間だと気づいているね。土壇場で良く頭が回っている』
「離せ、離して下さい!!」
『それは無理だと分かっているだろう。だってもう我々の目的は達成されようとしている。この腕輪を君の生体認証で起動すれば惑星管理システムにアクセス出来るんだ。そんな時にみすみす君を逃がすなんてあるわけがないだろう?』
どうにも腹の立つ声だった。ニールはもはや恐怖は薄れていた。代わりにどうにかしなくてはならないと思っていた。なんとか、時間を引き延ばせないかと。
『時間稼ぎを考えているね』
そんなニールの頭を見透かすように声は言った。ニールは奥歯を噛みしめる。
『心配しなくても今すぐにことを始めはしないよ。だって、僕は君と話がしたいからね』
「話ですか?」
ニールは良く分からない。しかし、話をすれば時間を稼げるだろう。相手はそんなことも承知の上だろうがニールは相手に乗ることにした。そして疑問だった。一体何を話すのだろうかと。
『大変だったねぇ。ニールくん』
男がまず言ったのはその言葉だった。
『メイフィールドを出てから、このヴァジュラに襲われ、それを退けて次はトゥキーナ。そこで今度はレジスタンスに襲われ、ここに来てまたヴァジュラ。たったの3日間でこれだけのことが起きた』
労っているのではないか、と一瞬ニールは思ったがそんなはずはなかった。なにせその困難の9割方はこの声の主と、その声を発するマシンによって引き起こされているのだから。
『君は本当に強いねぇ。君ほど勇敢な少年は見たことがない。これほどの困難を乗り越えられる少年は居ない。これほどの大役を引き受けてこなそうとする少年は居ない』
声は感傷たっぷりに言う。しかし、ニールは黙ってヴァジュラを睨む。
『それもこれも君の意思のおかげなんだろうね。みじめなのは嫌だ、まともな人間になりたい、という』
ニールは表情を歪めた。
「なんで....」
『なんで君の考えていることが分かるのかって? 君のことなら何でも分かるよ。だって僕は魔法使いでエリザの古い知り合いなんだから。本当のことを言えば君が小さなころから君のことは知っているんだ』
「な....」
ニールはそんなことは知らなかった。こんな男がどこから自分のことを見ていたのか分からない。
『君が不良に殴られたこと、君がその不良に殴られている友人を見捨てたこと、君がテストを頑張っても上手くいかなかったこと、君が友人とのゲームを上手く出来なかったこと、君が運動会で失敗をしたこと、君が両親の痕跡を探していたときのこと、全部知っているよ』
ニールの心に恐怖が沸き起こった。なんだ、こいつは。なんでそんなことまで知っているんだ、と。
『恐れているね。いい表情だよ。そうだね。君はそうやって失敗した過去の経験をバネにしてここまで乗り切ってきたというわけだ。こんなのは嫌だ、こんなのは悔しい、なんとかしたい、と。良いねぇ。自分を乗り越える、自分を変える。青春じゃないか』
声はクツクツと笑った。
『世界を守る、まるでコミックの中のヒーローだ。君は間違いなくまともな人間になろうとしているよ。君は間違いなく自分を乗り越えようとしたよ。努力は報われる、頑張れば上手くいく、日陰者だって陽の当たるところへ出られる。うんうん、素晴らしいことだ』
男は情緒的に言う。ニールはこの男の声がとても嫌いになった。しかし、逃げられない。
『でも、そんなのは全部嘘っぱちだったね』
声は言った。
「そんなことは.....」
『強がりはよせよニールくん。現に君の眼の前に居て君の右手を掴んでいるのは何だい? 君が逃げようとして結局逃げられなかったものだよ? どうやらまだ現実を直視出来ていないようだね。教えてあげよう。君はね、また失敗したんだよニールくん』
ニールは肩を震わせた。
『君の努力は報われなかった、君の頑張りは形を成さなかった、君は日陰から出ることが出来なかった。君は世界を救えなかったんだよニールくん。だって、我々に捕まってしまったんだから。今から始まるんだよ? 世界の終わりが』
声は続けた。
『残念だねぇ、悲しいねぇ。全部君のせいだろうねぇ。そうだよ。初めにアーネスト・スミスの言うように鍵とは別々に逃げればこんなことにはならなかったし、マシンに襲われた時に引き返してもう一度選択し直すという手もあったろう。空港で1人で行動したりしなければレジスタンスに捕まることもなかった。空艇の中でうなだれないでレジスタンスもろとも海の藻屑になれば鍵が起動する手も永久に近く失われていたはずだ。残念だねぇニールくん。君のせいで世界が終わるよ』
「....っ」
ニールは声の言うことをまともに受け取らないように意識した。しかし、音は耳から入ってきてしまう。そして、ほんの少しでも思ってしまう。ひょっとして、やっぱり自分のせいではないのかと。
『でも、仕方がないよね。だって、君は大罪人ジム・チャールズの末裔なんだから』
その一言がニールの心にヒビを入れた。さっきまで叩き上げていた強固な意思に亀裂が入ったのだ。
『悲しいねぇ。悪人の末裔はやはり悪人だ。君の人生が失敗続きなのは生まれる前から決まっていたんだよ。これが運命というやつだろうねぇ。諦めるしかないよニールくん。君はなにをやってもどうしても君の望みの場所へは行けないんだよ』
「そんな....」
『そんなことあるんだよニールくん。忘れてしまったかな。なら、もう一度言おう。君は、また失敗したんだよ』
「う.....」
ニールの心が折れかかっていた。
『良い顔をしているね。うんうん。人の心が折れかけている時の顔は実に良い。でも、絶望している顔の方がもっと好きだ。だから、君を絶望させよう。さぁ、前置きが随分長くなってしまったね。始めようか。世界の終わりを』
そう言ってヴァジュラはニールを引き寄せその胸に手を当てた。腕輪の付いている右手だ。生体認証を始める気だ。このままでは惑星管理システムが再起動してしまう。なんとか、なんとかしなくては。ニールは必死にもがく。しかし、ビクともしなかった。ニールではもうどうしようもない。心は折れかけで、でもなんとかしなくてはともがく。だが、どうしようもない。
(なんとか.....)
ニールは力いっぱいヴァジュラを蹴る。ビクともしない。
(なんとかしなくちゃ!!)
ニールはもがく。
『さぁ、認証開始だ』
その時だった。
―ミシリ
音が鳴った。それはニールから出た音ではなかった。周りの瓦礫から出た音でもなかった。
それは、
『な......』
ヴァジュラの腕にヒビが入った音だった。それは別の手に握られていたのだ。強く。
「なにやってんだテメェ」
そう言ってケイはありったけの力でヴァジュラを蹴り飛ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます