第27話

「クソ!!!」

 ドウダンはアクセルを全開に踏み込む。もはや、ヴァジュラからは逃れられない。しかし、それでも吹かさないわけにはいかなかった。ドウダンはミラーを見る。ヴァジュラはもう目前まで迫っていた。ハンドルを切り建物の脇に入る。道は狭い。少しでも逃げ切る可能性を残した。その少路をミニバンは吹っ飛んでいく。再びドウダンがミラーを見るとヴァジュラがちょうど同じ少路に入ってきたところだった。ヴァジュラのレンズは正確にミニバンを捉えていた。

「っ!!!!」

 ヴァジュラはそして一瞬でミニバンの前に降り立った。ナノマシンに覆われた黒いボディ。そして背中から伸びた刃に針。そしてその周りにはいくつも武具が浮いている。ドウダンは懐から札を取り出すと叫んだ。

「阻!!!」

 すると、ミニバンを光の膜が覆った。守りの護符だ。外部からの攻撃を防ぐ障壁。

「ミサイルも3、4発耐えるこれなら少しは.....」

 しかし、ドウダンの希望はあっさり打ち破られた。その障壁はヴァジュラが一発蹴りを入れただけで儚く吹き飛とんだのだ。

「くそ!!!!」

 ヴァジュラはそのままミニバンの側まで歩いてきた。冷や汗を流すドウダン。ニールは、固まっていた。二人はヴァジュラをどうすることも出来ずに見ることしか出来ない。ヴァジュラはそして、ミニバンのドアに手をかけるとダンボール紙か何かのように引っ剥がした。とうとう、ニールの眼の前にヴァジュラが迫った。

『目標に到達。回収します』

 ヴァジュラは言った。その腕にはあの鍵がはめらていた。

「うわあああああああああああ!!!!!」

 ニールは叫んだ。そして、力の限りヴァジュラを蹴った。その声を合図にドウダンが再び札を取り出す。

「衝!!!!」

 ヴァジュラに衝撃波が飛ぶ。しかし、それはヴァジュラを一瞬仰け反らせただけでこれといった傷は負わせない。しかし、ドウダンは続けざまに札を何枚も取り出し次々術をかけていく。氷結、火炎、電撃、侵食、重力操作。

「クソ!!! クソ!!!!」

 しかし、一切はヴァジュラに通用しなかった。ヴァジュラはそのままニールに手をのばす。しかし、その時だった。ヴァジュラが横に吹っ飛んだ。

「待たせた!」

 白い鎧だった。さっきの女だ。もはやボロボロになっているが何とか稼働している。さらに、銀色の狼男もヴァジュラに追撃を加えた。二人でヴァジュラに襲いかかる。

「2分は保たせる!! 早くシェルターへ!!」

「了解だ。恩に切る!」

 ドウダンは再びミニバンのアクセルを全開にした。急発進でバックし、少路を出ると目的地に向かって突っ走る。二人は2分保たせる、と言った。目的地までなんとしても2分以内に着かなくてはならない。

 ドウダンは壊れた街を飛ばす。倒れた電柱もお構いなし。割れたアスファルトをジャンプ台に大地の裂け目を飛び越える。歯を噛み締めながら暴れるハンドルにしがみついた。ニールも必死にシートにしがみついていた。

 そして、ようやく目的地に着いた。壁との境にあるビルの裏。その小さな空き地に。そこには術者が3人居た。皆、術式の流れを良くするための巫女服を纏っている。

「状況は!!!」

 着くなりドウダンは叫んでミニバンを降りる。なんとかここまでたどり着けた。あとは完成しているはずのシェルターにニールを入れればドウダンたちの勝ちだ。しかし、術者の顔色は悪かった。

「申し訳ありませんドウダンさん。術が張れません」

「なんだと?」

 ドウダンはわけが分からなかった。

「ここが最適な場所ではなかったのか」

「それが、分からないんです。さっきから磁場と脈の流れが著しく乱れていて術が正常に発動しないんです」

「.......っ!!!! ヴァジュラか!!!! 奴が磁場と魔力の流れを乱しているんだ!!!」

 ヴァジュラの能力、気候を、星を作り変えるマシンの能力だった。星の磁場と地脈の流れをヴァジュラは変えていたのだ。次元干渉術式は空間に関与するために発動の際、磁場や重力力場、そして魔力の流れが顕著に影響を及ぼす。そのために、

「これではシェルターを作れません」

「クソ!!!!」

 ドウダンは苦悶の表情で叫んだ。その時、激しい打撃音が響いた。そして、何かが回転しながら落下してきた。鎧だった。女がボロボロになって落下してきたのだ。

「カレンさん!!」

 術者が叫ぶ。しかし、もう女に意識は無かった。そして、その女が降ってきた方向、その空からヴァジュラが降り立った。

『障害を排除。目標に再到達。回収を再開します』

 ヴァジュラは言った。

「くそおぉおぉぉお!!! 化物め!!!!!」

 ドウダンは再び術を連発する。次元術者達も持ちうるありったけの術をヴァジュラにお見舞いした。しかし、そのどれもヴァジュラに傷一つ付けられなかった。万事休すだった。


 ニールは走った。ヴァジュラが目前に迫ったのを見た時だった。ニールは走り出したのだ。苦しかった。悲しかった。逃げ出したかった。なんとか楽になりたかったのだ。あまりに恐ろしかった。怖くて怖くてたまらなかった。今までで一番怖かった。後方では今もドウダンたちが戦っている。しかし、ヴァジュラは何一つ動じては居ない。まるでドウダンたちが居ないかのようにニールに向かって前進している。音速でぶっ飛ばないのはおそらくニールを無傷で回収するためだろう。

 ニールは走りながらもはや引き止めるものが無くなっていた。あまりの恐怖、あまりの精神的重圧。ケイのこともタキタのことも今まであった温かいことも思い出せなくなっていた。代わりにニールの脳裏に浮かんでいたのは今までの失敗だらけの人生だった。

 学校の不良にいじめられたこと。ニールは何もしていないのに不良たちに絡まれボコボコにされたのだ。その時ニールは何もやり返せなかった。ただ、ヘラヘラ作り笑いを浮かべながらされるがままになるしかなかった。すべてが終わって不良たちが去った後ニールは泣いた。

 他の誰かが同じ様に不良に絡まれていた時。その彼は迫る不良達から一瞬目を離しニールを見た。ニールはそっとその視線を外した。彼はその後ボコボコにされていた。次の日学校には来なかった。そしてその次の日に学校に来た。彼は何事も無かったかのように過ごしていた。その日ニールは帰って泣いた。

 学校の成績が悪かった時。ニールは奮起し、必死に勉強をした。毎日一生懸命勉強しておばあちゃんも応援してくれた。しかし、それでもテストの成績は上がらなかった。どうしてあんなに勉強したのに。ニールはそう思って泣いた。

 友達と遊んだゲームでまるで勝てなかった時。ニールは必死に考えた。どうしたら上手くいくだろうか。他の人はどうやっているんだろうか。ニールなりに努力をした。しかし、ニールが上手くなることはなかった。まるで、どうやったら良いのかニールには分からなかった。ニールはヘラヘラ笑ってピエロを演じ、心の中では泣いていた。

 小学校の運動会。ニールは徒競走でチーム同士の勝負の分かれ目の走者になった。スタートラインに立った時、ニールは足が震えた。怖くてたまらなくなった。体が重かった。今すぐに逃げ出したくなった。それでも無情に合図は鳴り、ニールはよたよたと力の入らない体で走った。結果は散々でチームは負けてしまった。仲間からは散々な言われようだった。ニールは家で泣いた。

 寂しくてたまらなくなったある日。ニールは母と父の痕跡がなにか無いか探した。おばあちゃんが居ない日で家の中を何か無いか探し回った。戸棚を開け、クローゼットの中身を引っ張り出し、何から何まで探し回った。しかし、ニールの親に関するものは何も無かった。ニールはくたびれて外に出た。そこで楽しそうに歩く一つの家族が歩いているのが目に入った。ニールはこっそりと泣いた。

 ニールは思い返した。これまでの人生何も上手くいかなかったと。ずっとこんなだったと。自分の人生はきっとずーっと上手くいかないのだと。自分は他人とは違うのだと。みんなは自分とは違うのだと。自分は不出来で、他人よりも色々足りなくて、ついでに心も弱くて、きっとこの先の自分は大人になっても今とおんなじで。きっと死ぬまでこんな風に誰かの影に隠れているようなくすんだ人生を送っていくのだと。もう、何度も繰り返した言葉が今蘇っていた。

 ああ、それは。ああ、それはなんて。


 悔しいのだろう


 とニールは思った。



「お前さんには2つの選択肢がある」

 スミスは言った。その前に座っているのはニールだ。二人はグッドモーニングバーガーの窓側の席に腰掛けていた。おばあちゃんが死に、途方に暮れていたニール。そこに1人の人物が訪ねてきた。その人物は恐ろしい人間だった。ニールの大事な腕輪を、両親との唯一のつながりの腕輪を奪おうとし、そしてニールを連れ去ろうとした。それを目の前のスミスが助けてくれた。そして、それについての話を聞くためにニールは今ここに居た。スミスは続ける。

「この腕輪を俺に預けて俺の知り合いのところに匿われるか。それともこの腕輪と一緒に安全なところ、オルトガに逃げ込むかだ」

 ニールは呆然とした。スミスが何を言っているのか良く分からなかったのだ。

「この街から出ていくってことだ」

 スミスはニールの目を見て言った。その言葉の意味をニールはゆっくり理解した。

「もう、戻っては来れないんですか」

「ずっとじゃねぇとは思う。だが、結構長くだ。大人になるまでは戻ってこれねぇかもしれねぇ」

「そう...ですか....」

 ニールは視線を落とした。あんまり突然の話だった。昨日までこんなことになるなんて思いもしなかった。なのに突然だ。今日一日でいろんなことが起きすぎた。あの恐ろしい男、そしてこの腕輪、そしてこの提案。ニールは全然頭が纏まらなかった。

「ここに居たら、あの人みたいな人がまた来るってことですか」

 ニールは自分の家に来たもう名前も思い出せない恐ろしい男を思い出しながら言った。

「ああ、そうだ。すまねぇ。本当はエリザが死んだ時にすぐにお前のところに来るはずだったんだ。ドジっちまって来るのが遅れてな」

「大丈夫です。助けてもらえただけで良いんです」

 エリザとはニールを養ってくれたおばあちゃんの名だった。スミスはおばあちゃんと仲が良かったのだな、とニールは思った。

「....先に言ったとおりな。この腕輪は世界の命運を左右する腕輪だ。決めるのは簡単なことじゃねぇ」

「....はい」

 ニールはスミスに説明を受けていた。この腕輪は惑星管理システムを再起動させる鍵だということ。そうなったら『大災厄』が再び起きる可能性が高いということ。そして、自分の曽祖父が狂気の科学者ジム・チャールズだということ。ニールは正直、もういっぱいいっぱいだった。あまりに恐ろしいことだった。ニールはもう押しつぶされてしまいそうだった。

「俺のおすすめは腕輪を預ける方だ。まぁ、本当のことを言えばお前と腕輪、両方がオルトガまで行けばそれが一番良い。だが、そいつはあまりに危険な選択だ。何より、お前自身がな。だから、お前はそいつを俺に預けてくれて構わねぇ。あとの心配はしなくて良い」

「.....ちょっと考えても良いでしょうか」

「ああ、じっくり考えろ。だが、本当にすまねぇ。時間がなくてな。そいつを食べ終わるまで決めちゃくれねぇか」

 そう言ってスミスはハンバーガーとポテトを指さした。ニールは神妙な面持ちになった。

 スミスは思っていた。腕輪を預かるのが一番良いと。オルトガの知り合いにはもう話してあった。荷物がそっちに行くかも知れないと。知り合いは受け入れるなら両方だと言い張った。片方だった場合、もう片方が奪われた時のリスクが大きい。何が起きるか、管理局がどういった手を使ってくるか分からない。防衛上の観点から受け入れがたい。だから、受け入れるなら両方だと。なのでオルトガに入れるのはニールと腕輪両方が行く場合のみだった。本当の話をすれば両方が行った方がスミスも守りやすい。どこかにニールを匿うにしてもいつか必ず危険が及ぶだろう。連中は必ず奪いにやって来る。しかし、これもある意味ツケなのだとスミスは思っていた。ニールを匿うなら他の何を差し置いてもニールを守るつもりで居た。

 そして、ニールがオルトガに腕輪と共に行くのはあまりにも危険だった。この場合、匿う場合以上に必ずどこかで連中は仕掛けてくる。本当に必ずだ。ニールの身に危険が及ぶのは間違いなく腕輪を持ってオルトガに行く場合だった。

 ニールは考えていた。12歳の子供には荷が重すぎる話だとスミスは分かっていた。世界の命運がその肩に乗るのだ。正直、スミスだってそんな大役を任されるとなったら簡単に答えることは出来ないと思った。もし、このままニールが答えを出さなかったら、腕輪は預かろうとスミスは思っていた。

 しかし、ニールは言った。

「僕、腕輪と一緒にオルトガってところに行きます」

「......マジで言ってんのかニール」

「はい。だってその方が良いんでしょう」

「そりゃそうだがな。お前さん、自分がどういう選択をしたのか分かってるのか?」

「すみません。本当は良く分かってません」

 でも、とニールは続けた。

「行きます。それが、みんなを助けるための一番良い選択なんでしょう」

 ニールの目はまっすぐだった。揺らぎない目だった。その目を見てスミスは腹を決めた。

「.....そうか。分かった。助かるニール。出来ることは全部やる。お前を必ずオルトガに送り届ける」

「はい、お願いします」

 ニールは言った。スミスは首をひねる。

「でも、お前さん。本当にみんなを助けるために行くってのか。大した聖人だな」

「い、いえ、それだけでもないんですけど」

「はぁん。なんだニール。教えちゃくれねぇか」

「ぼ、僕の今までの生活は失敗だらけ、負けだらけだったんです。これをこなせたら少しは良いんじゃないかって思ったんです。だから、半分は自分の都合なんですよ。あんまり良い人間じゃないんです、僕」

「.......はっ。良い理由だニール。それくらいの気構えの方が気分良いぜ」

「ありがとうございます」

 ニールは笑った。ニールは自分が動けばみんなが助かるならそれが一番良いと思った。誰かのために役に立てるなら、それは行動に移すべきだとニールは思った。それは小さな時からいろんなところで聞いてきたことだったからだ。そして、今まで一度もこなせなかったことだった。だから、ニールは今度こそ、なんとか上手くやりたいと思ったのだ。それだけだった。しごく個人的な理由だった。でも、本当の理由だった。だから、ニールは旅に出たのだ。


「ううう....」

 ニールは思い出していた。この旅の始まりを。自分が何を思っていたのかを。自分はどうなりたかったのかを。今だって恐ろしくて、苦しくて、何もかもから逃げ出したかったが、その記憶が真っ暗闇の中の一つの灯火のように、濁流の中の小さな浅瀬のようにニールの正気をギリギリで保った。

 だから、ニールは走った。こんなことしてもヴァジュラから逃げ切れるとは思えない。しかし、少しでも時間稼ぎにはなる。ニールは走った。日の当たるところに向かってニールは走った。

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