第18話
「うーん、さすがの大行列ですねぇ」
タキタはため息混じりに言った。場所はトゥルク中心部にある出入国管理局。ケイ、タキタ、ニールは出国審査を受けに朝飯を食うとここにやってきたのだ。バスを乗り継ぎ二十数分。たどり着いた出入国管理局の中は人で一杯だった。そのほとんどがトゥキーナ人だ。ホールも待合室も人だらけ、審査受付の窓口は長蛇の列だった。
「まだ、朝も早いんですけどねぇ」
タキタは時計を見る。時刻は8時を少し過ぎたところだ。この施設の開放が8時ちょうどからなので、始まったばかりでこのごった返し様ということになる。
「一体全体どうなってんのこれ。朝っぱらからどうしてこんな」
ケイは珍しく目を丸くしていた。
「もうすぐこの国は慣習の休暇が始まるんですよ。そのために申請を申し込む人たちなんでしょう。早かったら大丈夫かと思ってたんですけど読みが甘かったですねぇ」
「っていうか、空艇の審査窓口にも長蛇の列が出来てるんだけど。あの人達みんな空艇持ってんの?」
「いえいえ、そういうわけじゃないですよ。この国は制度が未完成なんです。なので旅客用の空艇の申請と個人の空艇の申請をおんなじ窓口でやってるんですよ」
「そんな....。空艇の普及してない時代ならいざ知らず。この現代で....」
「そうなんですよねぇ。まぁ、トゥキーナが発展してきたのはここ20年くらいですから。まだ、制度が追いついてないんでしょうねぇ」
「はぁ、めんどくさい」
ケイはうんざりしてため息をついた。それを見てニールが言う。
「お二人はこの国は初めてなんですか?」
「ん? ああ、そうだね。トゥキーナの街まで来たのは初めてだよ。国境で仕事したことならあるけどね。私達は主にアポロジカの中と西側の国で働くことが多いから」
アポロジカとトゥキーナは地理的には隣国同士で仲も別に悪くはない。トゥキーナはアポロジカの南東にあり、そしてトゥキーナの面した海のさらに向こうに洋上都市オルトガ自治特区がある。隣国なので仕事はあるにはあるのだがケイたちは元よりアポロジカの運び屋は好んで行くことはない。その理由はまさに今ケイたちが直面している入国出国の面倒さだ。トゥキーナの中だけで仕事が完結するならともかく、国をまたぐ場合この様に手続だけで一日が潰れてしまう。なので、今回のようによほどの利益が無い限りはあまり仕事で行きたい国ではないのだ。
「リタが先に入国の手続きはしてたから入るのは楽だったけどね」
「あ、ああ、リタさんが。そういえばリタさんは大丈夫なんでしょうか。帰ってきたらすぐ寝てましたけど」
リタはちょうど3人がここに出発するぐらいに仕事から帰ってきた。相変わらず張りの良い笑顔は浮かべていたが言葉数は少なかった。疲れ果てていたのだろう。タキタがサンドイッチを勧めても
「あんがと。でも悪い。寝るわ」
と言っただけだった。それから、
「トゥルクを楽しんでおいでニール」
と言って、そのままはしごを降りて寝てしまった。
「大丈夫だよ。仕事で疲れたんだ。多分丸一日くらい働いてたんだろうね。ゆっくり休ませてやれば良いんだよ」
「そ、そうなんですか。リタさんも大変なんですね」
「リタさんもあの空艇を買う時に借金してますからねぇ。お金が要るんですよ」
「ほ、本当に大変なんですね」
「ええ、『とかく人の生とは厳しいもの』です」
恐らく何かの小説の引用だろうがケイは聞かなかった。
「さて、この様子だと窓口までたどり着くだけで2、3時間はかかるでしょう。出国許可が降りるのは明日の昼前ぐらいになりますかねぇ」
「待つの? このまま」
「ええ、待ちますよ。ただし、私だけで十分です。お二人は街中でもぶらついててください」
「あれ? 随分気が利くじゃん」
「ニール君はただでさえ慣れない旅で疲れてるでしょうからこんな人混みの中で面白くもない申請を待つ必要はありません。そして、ニール君には護衛でケイさんが必要です。それにケイさんやり方良く分からないでしょう。なら、私が残ってお二人は好きに過ごしてもらった方が良いというわけです」
「随分出来た理屈を並べるじゃんか」
「私の心遣いですよ。それにリタさんもニール君に観光を楽しむように言ってましたからね。ここで引き止めるのは無粋ってものです」
「気取っちゃって。ならお言葉に甘えようかな」
「ええ。そうしてください。ここは私にお任せあれ。お二人は羽を伸ばしてください」
「あ、ありがとうございます」
ケイとニールはタキタの提案を受け入れ出入国管理局をあとにした。入り口まで戻る。ここもすごい人だ。入ってきた時よりなお増えている。どうやらさっきの状態でもまだピークではないようだ。
「本当にすごい人ですね」
「まったくだね。さて、ニール。どっか行きたいトコある?」
「ええと、あのロボットが襲ってきたらまずいんじゃないですか?」
「うーん。まぁね」
ケイの読みではマシンは街のど真ん中では現れないだろうと思われた。管理局の手先だと言うなら自分達が支配している都会のど真ん中で大暴れするのは損害が大きいからだ。恐らく、トゥルク市内に居る間は手出しはしてこないとケイは思っていた。しかし、あくまで予想でしかない。今回に関しては想定外というのが容易に起き続けている。警戒は怠るべきではない。
「なら、あんまり人の居ないところが良いです。あと、襲われても被害の少ないようなところとか」
「良く気が回るねニール。あんたの言うとおりだよ。なら、大暴れしても問題ないような広いところに行こうか。公園とか良いんじゃないかな」
「そ、そうですね。公園は良いです」
「よし、なら行こうか」
ケイは端末で検索して一番近い公園を見つけた。
「ふーん。サンタ・ヴィスタ記念公園っていうのがあるね。ここから歩いて10分くらいか」
「なら、そこにしましょう」
「よし来た」
二人はサンタ・ヴィスタ記念公園に向かって歩き始めた。
「ふーん、この公園はサンタ・ヴィスタ牧師がトゥキーナにルカ正教を伝えた聖地らしいね」
「は、はぁ。ルカ正教の」
「そうそう。ここからトゥキーナ全域に、それからさらに南や北に広がってったんだってさ」
「へぇえ」
ケイは公園の案内板を見ながら言った。正直ケイは信心深い方ではないし、歴史だとかにもそんなに興味が有る方ではない。ただ、ニールがこの公園に興味を持ったようだったので案内板を見つけて見てみたのだ。
「こういうの好きなのニール」
「記念公園っていうからなんの記念なのか気になって」
「ふーん。なんかを知るのが好きなのかニールは」
「そ、そうなんですかね。自分では良く分からないです。それにしても広いですね」
「そうだね。メイフィールドはビルばっかりだからこんな広い公園は無いね」
サンタ・ヴィスタ記念公園は広かった。ケイは端末で見た地図からある程度の広さは予想していたがその予想を超えた広さだった。野球場何個分あるのかという広大さだ。だだっ広い広場に木々が植えられ、その中を道が走っていてたまに池がある。作り自体は普通の公園だがとにかく広かった。そこかしこに移動販売の車が停まっており、飲食店が立ち並ぶエリアもあった。その中で市民が思い思いに過ごしていた。ランニングをするものや楽器を鳴らしそれに合わせて踊っているものも居る。
「どうする?」
「どうしましょうか」
ニールは選択をゆだねられることに慣れていないのか若干おろおろしている。ケイはそんなニールを見かねて園内の案内板を見た。
「あ、動物園があるみたいだよ。行ってみる?」
「あ、良いです、すごく。そこに行きたいです」
「なら、そこに行ってみようか」
二人は動物園に向けて歩き出す。タキタは昼頃には手続きが終わると言っていた。なので、ケイは昼頃までにあっちに戻れれば良いか、などと思った。
ニールは動物園に向かって公園を歩く。公園は広い。ケイの話では5分近く歩かなくてはならないらしい。そこかしこで色んな人がそれぞれの時間を過ごしている。アポロジカでは見たことのない服装をしているものも居る。柄の入ったシャツにつばの極端に広い帽子。どれもこれもニールが見たことのないものばかりだった。空までメイフィールドとは違って見える。ここに来るまでもそうで、空艇に乗ったのも初めて、空を飛んだのも初めて、それからこんなめちゃくちゃな目に遭ったのも初めて。ニールにとってこの数日は初めてだらけだった。だが、そんなことは今あまり頭には思い浮かばなかった。ニールは思っていた。
(ひょ、ひょっとして。これってデートっていうやつなのでは)
ニールは年上の女性とどこかに行くのも初めてだった。ニールはそんなことを思うとなんだか気が気でなくなってきた。傍らのケイはそんな感じでは全然無かった。明らかに子供のニールに大人として付き合っているという感じだ。ニールもそんな感じで良かった。しかし、状況がいわゆる『デート』に似ていると気づいてからそればかり気になるようになってしまった。異性と二人切りでどこかに行くのが『デート』なのだとニールは聞いていた。こんな大変な時にそんな浮ついたこと思うべきではないとニールは自分に言い聞かせたがどうにも頭の片隅にこびりついて離れなかった。『デート』の3文字が。
「どうしたのニール。なんか考え事?」
「い、いえ。なんでもないです」
「まぁ、色々考えちゃうのも仕方ないと思うけど。あんまり思い詰めない方が良いよ」
「は、はい」
あなたと居るのが緊張しますなどとは言えないニールだった。ニールはケイの事が嫌いではなかった。むしろ好きと言っても良かった。なんだか怒りっぽくて怖いところはあるけれど、全体で見れば良い人だと思っていた。何度もニールに思いやりのある言葉をかけてくれる。何よりニールを守るために戦っている。ニールはケイに感謝していた。
それからケイはそこそこの美人だった。人相が怖いので隠れがちな事実だがケイは割と顔立ちが整っている。その人相の悪さにも慣れてしまえばいよいよその整った顔立ちが気になり始めるというものだった。
別にニールは面食いだとかそんなこともなかったがやはり『綺麗な大人の女の人』というのは意識してしまうお年頃だった。
今のニールのケイに対する認識は『綺麗で良い人な大人の女の人』だった。そういう人と一緒に居るというのは12歳の少年には中々大変な事態だった。
(な、なんかドキドキする)
ニールは今や動きがぎこちなかった。意識し出すとどうしようもない。そして意識すまい、緊張すまいと思えば思うほど体はカチコチになっていった。
(ケイさんは良い人なのに。こんな風に緊張してしまうなんて失礼なんじゃないだろうか...)
そう思ってしまうとニールはなんだか気分が落ちる。しかし、ケイの顔を見るとまた楽しくなる。ニールは妙な袋小路に陥ってしまった。
(困ったなぁ...)
ニールは実に困ったが、とりあえずタキタが気を効かせて気晴らしの時間を用意してくれたのだ、と思い出しカチコチのまま何とか気晴らしをしようとするのだった。そして、動物園に向かって歩いていく。
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