元の世界の記憶

悠は不思議と痛みを感じなかった。ぎゅっと閉じた瞳を開くのは怖くて出来ないが、まるで夢の中のようにふわふわとした気持ちよさを感じていた。


(死んじゃったのかな……)


意識が無くなる前、記憶違いでなければ七~八程の光の塊が悠へ向けられていたのだ。全てが体を貫いていれば死んでいてもおかしくはない。

痛みにより意識を飛ばせないことを考えれば、苦しまずに死ねたことは不幸中の幸いだったのかもしれないが。


(結局、櫻井さん一人にしちゃった)


悠が居なくなれば桃華はこの世界で一人になってしまう。

ここで仲間を作ればいい話なのだろうが、元の世界に居た知人が居なくなることは結構心細いものではないかと悠は考えた。悠の杞憂であればいいのだが、召喚された後の桃華の態度を見ていれば居なくなったと聞かされるだけで落ち込むだろうことは容易に想像出来た。


(泣くかな。泣くだろうな……涙脆いもんな、櫻井さん)


元の世界に居た時のことを思い出しながら悠は少しだけ笑った。


学級委員だった桃華は三教科の先生からプリント整理の雑用を任されていたことがあった。既にほとんどの生徒が下校した後で手伝ってくれる友人は居なかったのだろう。図書室で本を読んでいた悠が鞄を取りに教室に戻ると、桃華は一人黙々と山になったプリントを整理し、一人分に分け冊子にする作業を続けていた。

見つかると面倒だと思った悠は教室に足を踏み入れることを少し躊躇ったのだが、悠に気が付いた桃華が先に声を掛けた。


「橋本さん、今帰り? 気を付けてね。また明日」


作業を止め、手を振る桃華に悠は問いかけた。


「……櫻井さん、それ後全部やんなきゃ帰れなかったりするの」

「え? あ……うん、あとこれだけだし……明日必要なものらしいからやって帰っちゃう」

「ちなみに今日一緒に帰ってくれる人は?」

「居ない……かな?」


既に普段よりも遅い時間だというのにこれ以上居残りをして一人で帰るのは流石に危ないと思った悠は隣の自分の席に戻り、桃華が仕分けた折るだけのプリントの山を一つ移動させた。


「手伝うよ」

「え、いいの?」

「いいよ、やる。櫻井さんも早く帰りたいでしょ」


そう言いながら悠が顔を上げると、桃華は目尻に少しだけ涙を滲ませながら笑っていた。


「……ありがとう、橋本さん。優しいね」

「いや……逆の立場で考えたらどうなの。櫻井さんもこういうの手伝うでしょ」

「そうかな? ……そうかも」


この時間になって手伝って欲しいと言うことが難しいだろうことは悠にもよく分かる。一人で抱え込むよりも二人の方が断然早いだろうな、とも思えたし、放っておけないのは見て見ぬふりをしてしまったら良心が痛むことが分かっていたからだ。


「実はちょっと怖かったの。外真っ暗だし話し声も聞こえないし、先生は全然見に来てくれないし……」

「夜の学校と夜の病院は分かる」

「そうだよね?! あはは、二人なら早く終わりそう」


全てをやり遂げた悠と桃華は初めて二人で一緒に下校した。先生から買ってもらったココアを飲みながら他愛ない話をして帰路をのんびりと歩いた。

それからも悠と桃華の関係は特に変わらなかった。特別仲が良くなるわけでもなく、進んで話に行くことも無い。ただ居心地が良い、可も不可もないクラスメイトという存在だった。

悠にとっては学校全体の人気者という認識の桃華。あの夜のことが特別だっただけでこんな世界へ来なければ卒業した後は連絡先を知ることも無く疎遠になっていただろう。

だからこそ分かることもあった。

我慢をしてプリントを片付けていた桃華は、きっとこの世界でも苦しいことや嫌なことを我慢して聖女としての役割を果たすために頑張るのだ。都合のいい存在として扱われても、一人でこっそりと泣くに違いない。

気が付いて歩み寄ってあげなければ桃華は弱みを見せない。そんな人が現れればいいが、そこは攻略が進み次第といったところだろうか。


「……ん、……さん……!」


どこか遠くで悠を呼ぶ声が聞こえる。

それと同時に、まるで深い眠りに落ちた時に聞こえる目覚ましのように、ドンドン、と扉を叩くような不鮮明で鈍い音も脳内に響く。


「……しもと……ん! はし……さん……!」


悠を呼ぶ声が段々と鮮明になっていく。

この人は泣いているのだろうか。悲痛で必死な声が、悠を起きなければ、という気持ちにさせる。

ぼやけた思考は微睡みから抜け出せないまま、悠はゆっくりと瞼を開いた。

まず視界に映し出されたのは自身で抱えていた膝。スカートの灰色を認識して次に目の前を見つめる。

前方はぼやけていた。何かに覆われていると言った表現が正しい。水色のガラス越しに奥へと続く廊下を眺めていた。


「橋本さん! 起きて! 橋本さん……!」


そうしている内に誰が悠を呼んでいたかが分かった。桃華だ。

泣きじゃくりながら淡い光に包まれた桃華が必死に何かを叩いていた。

悠はぐるりと全身を見渡すと、大きなガラス玉のようなものの中に浮いていることを理解した。


「……え……?」

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